悪逆の極み・後編

「な……⁉ う、牛裂きの刑ですと⁉ 正気ですか、父上! 深雪みゆき殿は父上の子を身籠っているのですぞ!」


 父の言葉に驚いた新九郎しんくろうが、声を震わせながらそう叫んだ。


 氏家うじいえ直元なおもとも、さすがにそれはやめさせねばと思い、


「ただの侍女を手討ちにするのとはわけが違いまする。深雪殿を殺せば、腹の子供も死にます。いくら守護代殿がおのれの悪名を意に介さぬといっても、子殺しの罪を背負うのはおやめくだされ」


 と、必死になって止めた。


 だが、利政は「黙れッ!」と一喝し、自分の肩をつかんでいた新九郎の頭を鞭打った。新九郎のひたいからビュッと血が噴き出す。


「『我が人を背くことがあっても、人が我を背くことは許さぬ』。魏の武帝(曹操)は、恩人を殺してしまった時にそう言ったという。魏の武帝の言葉は正しい。俺は、俺に背いた者を何が何でも許さん。裏切り者には、死あるのみじゃ」


「し、しかし、彼女は父上の子を……」


「裏切り者の言葉など信じられるか。どうせ、大桑おおが城の若い侍と深い仲になって身籠ったゆえ、俺の子供ということにしておいて美濃守護代の側室という地位を手に入れようと企んでいるのだろう。

 ……ええい、何をもたもたしている! 皆の者、処刑の準備をいたせ!」


 利政は悪鬼の形相で喚きたてる。めすの飼い犬に手を噛まれたことがそうとう腹立たしいのだろう。

 その場にいた部将たちは、利政の凄まじい剣幕に気圧されて、口をつぐんでしまった。今の利政に何か言えば、自分たちも殺されかねないと考えたからである。


 利政の悪逆の牙は、敵対する武将にだけのみ向けられるわけではない。つまらない理由で怒って、か弱い者や小さな罪を犯した者にも残虐な刑を科した。


 太田おおた牛一ぎゅういち(信長の側近だった人物)の『信長しんちょう公記こうき』にいわく、


 ――山城道三(斎藤道三)ハ、小科之輩(軽い罪を犯した者)をも牛裂ニし、あるいは釜を居置、その女房・親・兄弟ニ火をたかせ、煎殺いころす事、冷敷すさまじき成敗也。


 つまり、牛を走らせて罪人の体を引き裂く刑や、釜に罪人を放り込んで親族たちの手で煮殺させるなどのむごたらしい処刑方法を好んだというのだ。下剋上の鬼として悪名高いこの男が国を治めるには、恐怖政治によって人々に逆らう気力を奪うしかなかったのだろう。


「父上。牛を四頭調達して来ましたぞ」


「よし。喜平次きへいじ、深雪の両手両足と牛のつのを縄で繋げろ」


 幾度となく行っている極刑なので手慣れたものである。利政は喜平次にテキパキと指示を与えた。


 牛裂きの刑は、二頭もしくは四頭で行う。牛たちは背負わされた柴に火をつけられると、猛烈に暴れて走り出し、縄で繋がっている罪人の体をバラバラにしてしまうのである。


 ただし、人間に従順な馬に比べたら気まぐれな性格の牛がやることなので、罪人の腕や足が今にも千切れて絶命しそうなところで急に立ち止まったりなどして、すぐには死ねずに余計な苦しみを味わわなければならないこともあり得た。


「深雪! 深雪! 深雪に何をするの⁉」


 半ば狂乱状態に陥っている帰蝶きちょうは、深雪が兵たちによって引きずられていくのを見て、金切り声で泣き叫んだ。何度もつまずきそうになりながらも深雪を追いかけようとしたが、兄の新九郎が帰蝶を抱きしめてそれを制止した。


「帰蝶、見てはならぬ! あんなものを見たら、お前の心が死んでしまう! 俺が耳を塞いでいてやるから、両手で目を覆いなさい!」


「嫌! 嫌! 嫌よ! 深雪を殺さないで! 深雪は私の大事な姉なの!」


 牛裂きの刑という残酷な処刑方法を今まで知識として知らなかった帰蝶でも、深雪が四頭の牛と縄で繋がれているさまを見たら、これから何が起きるのかおおよその予想がついてしまう。必死に泣き喚き、


「ねえ! 誰か止めて! お願いだから、やめさせて!」


 と、美濃の将兵たちに訴えた。しかし、悪逆凄まじい利政を恐れて、深雪を救おうとする者は誰一人としていなかった。


 一方、当の深雪は、死を前にして震えおののいていた。


 だが、それと同時に、今まで考えてもいなかった奇妙な感情――よろこびにも似た想いが胸の奥底から唐突に湧き出ていた。


(あの冷淡な利政様が……私のことを性欲のはけ口程度にしか思ってくれていなかったあの人が、今は私のことだけを考えている。私に烈しく怒り、容赦極まりない刑で殺そうとするほど強い関心を抱いてくれている。

 ……ようやく、私に振り向いてくれた。どんな形であれ、利政様の心をつかめたんだわ)


 恍惚こうこつの表情で利政に眼差しを向けながら、深雪は心の中でそう呟く。


 利政にいじめぬかれて精神に異常をきたしつつあった深雪は、本人も知らない内に、病的なまでの愛憎と独占欲を胸中に隠し持っていたのだった。


(もっと早くに利政様を裏切っていればよかった。そうすれば、利政様は私にこんなにも関心を持ってくれたのだもの。……そして、死ぬほど愛しくて憎いこの男を地獄へと道連れにできたのよ)


 口ではああ言っているが、利政は深雪の腹の赤ん坊が自分の子だと確信しているはずだ。それを、この男は、自らの憤怒の感情に身をゆだねて母親もろとも今から殺してしまうのである。


 いくら悪逆非道の蝮でも、人には越えてはならない一線というものがある。


 娘婿むすめむこだまし討ちにし、愛人とその胎児を牛裂きという残酷な刑で殺すことによって、この男はいよいよ歯止めがきかなくなってこの世のありとあらゆる悪事に手を染めていってしまうはずだ。果て無き修羅道に陥り、きっと引き返せなくなる。これから先、斎藤利政はこれまで以上に残虐な怪物と化して、周囲から嫌われぬいて自滅の道へと突き進んでいくに違いない。


(頼純様と私の死が、利政様を狂わせるんだわ。最期に、この人の人生に私という存在を深く深く刻みつけることができてよかった……)


 絶望に満ちた人生の終わりに闇深き光を見出した深雪が、唇を震わせながら微笑んだ。その直後、牛が背負っている柴に火がつき、四頭の牛たちが怒り狂って走り始めた。


 猛然たる力で四肢を引っ張られ、深雪の肉体にかつて経験したことがない凄まじい激痛が襲う。


 人間のものとは思えないようなけたたましい喚き声が、深雪の可憐な唇から吐き出され、美濃の将兵たちはその凄惨な光景に顔をしかめて多くの者が目をそらした。ケラケラと笑って喜んでいるのは、蝮の血を濃く受け継いでいる喜平次ぐらいである。


「深雪! 深雪! 深雪ーーーッ‼」


「帰蝶、見てはならぬと言っておるではないか! よ、よせ! 近づくな!」


 新九郎に抱きしめられていた帰蝶は、その華奢な体のどこにそんな力が湧いてくるのか、兄の巨体を押しのけて深雪の元へと駆け寄ろうとした。新九郎は慌てて帰蝶を追いかけ、後ろから羽交い締めにして妹を再び止めた。


 利政は、苛立った様子で深雪の処刑執行を見守っている。

 あの気弱な小娘が、死が目前に迫っているというのに、悲鳴を上げながらも一切の命乞いをせずに、強い光を宿した眼差しを自分に向け続けていることが不気味だったからだ。


「深雪よ。命乞いぐらいしたらどうだ。助けてくださいと言え。泣き喚いて俺に謝れ。なぜ、そんな気味の悪い顔をして俺を見る」


 期待外れの反応を見せられて腹が立った利政がそう吠えた。


 深雪は、口から大量の血を噴き出した後、ほんの一瞬だけ妖艶な微笑を浮かべ――かすかに唇を動かした。そのか細い声は誰の耳にも届くことはなかったが、利政にはこう言っているように感じられた。


「じ、ご、く、で、まっ、て、い、ま、す」


 ぞくり、と利政の背筋が凍った。これまでさんざん馬鹿にしてきたか弱い少女の思いもよらぬ情念の烈しさに、不覚にも身の毛がよだつ感覚に襲われたのである。


 長年に渡る美濃国内の権力闘争で、数多あまたの人間が、利政に恨み言を叫びながら死んでいった。その怨嗟の言葉のたった一つですら利政は記憶にとどめておらず、死にゆく者の恨みなどいっさい意に介してこなかった。

 そんな利政の心をわずかに動揺させてしまうほど、深雪の利政に対する愛憎という名の執着は烈しかったのだろう。そして、彼女が隠し持っていた心の闇は、他でもない利政自身が作ったものであった。


「チッ……! もういい! 喜平次、牛を叩いてもっと怒らせろ。刑をさっさと終わらせるのだ。あの女を早く殺せ!」


 利政がそう言った瞬間、「ああっ‼」という声が将兵たちから出た。


 途中で走るのをやめてじわじわと深雪を苦しめていた牛たちが、背中の火の勢いが強くなったせいか再び猛烈に走り始め、深雪を瞬く間に絶命させてしまったのである。


 利政が将兵たちの声に驚いて視線を向けたその時には、が大地に転がっていた。




            *   *   *




「ああ……あああ……うわぁぁぁ‼ 深雪ぃぃぃ‼ いやだいやだいやだぁぁぁ‼」


 一人の少女の壮絶な死を目の当たりにして陣営内の武士もののふたちが黙り込む中、帰蝶の絶叫が響き渡った。


「何という……何という男だ。俺は……あんな男に愛されたいとずっと願っていたのか。娘の目の前で、姉妹のように仲の良かった侍女を殺すなんて……。しかも、彼女はあの男の子供を身籠っていたのだ。あの男に疎まれている俺も、いつつまらない理由で命を狙われるか分かったものではない」


 発狂している妹を強く抱きしめながら、新九郎は震え上がっていた。


 もはや、あの男に親子の情というものを期待することなどできない。自分も、いつかきっと殺される……。あんな無残な光景を見せられてしまったら、そう思わざるを得なかった。


「……む。守護代殿、西方より騎馬兵たちが数百騎やって来ますぞ」


 帰蝶が叫ぶ体力を使い果たして兄の腕の中でぐったりと項垂うなだれた直後、氏家うじいえ直元なおもとが味方の軍勢がこちらに接近して来るのに気づいた。


「おう、孫四郎まごしろう(利政の次男)の部隊ではないか。意外と早かったな。……孫四郎よ、首尾はどうだった!」


 利政が、騎馬隊を率いている若武者にそう怒鳴ると、若い頃の利政の容姿によく似ているその武者――斎藤孫四郎は馬上でニッと笑い、


「首尾は上々。野田とかいう護衛の武士に少々手こずりましたが、矢の雨を射かけて始末しました。これは父上への手土産です」


 そう言って、片手に持っていた生首を乱暴に放り投げた。


 帰蝶の視界の端に、宙を飛ぶ首が映る。頼純よりずみの首だった。


「よ……頼純……様?」


 帰蝶は、心の臓を手で直接鷲掴わしづかみにされたような衝撃を受けた。しかし、もはや叫ぶ力などは無い。悲鳴にもならないような「ひ……ひぃ……ひぃぃ……」という引きつった声を喉から漏らすだけであった。


 頼純は、死ぬ前に孫四郎の手勢によってそうとう痛めつけられたのだろう。光源氏のごとき美貌は無残に変わり果て、左の目玉が無くなっていた。


「これはこれは婿殿。ご機嫌いかがかな?」


 利政は酷薄な笑みを浮かべ、地面に転がった頼純の首を踏みつける。


 帰蝶は「や……やめ……」と声を震わせたが、精根尽き果てた彼女はまともに喋ることすらできない。


「婿殿よ。貴殿は俺のことをさぞかし恨んでおるであろう。だが、こんな簡単に討ち取られるほど弱かった貴殿が悪いのだ。

 弱きの肉は、強きの食なり。乱世において、強さこそ正義であり、弱さは悪じゃ。貴殿のような弱者はかくのごとき最期を迎える運命だったと諦めなされ」


 利政は嘲笑うように頼純の首にそう語りかけたが、殺してしまった人間のことなどもう興味がないのだろう。すぐに顔を上げ、頼純の首をポンと蹴って喜平次の足元まで転がした。


「それを大桑城の外にさらして、城内で立て籠もっている頼純の家臣どもに見せてやれ。奴らが怒り狂って城から打って出て来たところを一網打尽にしてやる。

 ……者共、出陣じゃ‼ 稲葉いなば良通よしみちたちの援軍に行くぞ‼」


 利政は全軍に出撃の下知をくだす。


 帰蝶は、いつの間にか気絶してしまっていた。








※次回の更新は、12月29日(日)午後8時台の予定です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る