大桑城下燃ゆ

 土岐とき頼純よりずみは、大桑おおが城の留守を羽田仁左衛門にざえもんに任せると、帰蝶きちょう深雪みゆきを伴って稲葉山いなばやま城へと向かった。


 供の数は五十人。野田のだなにがしという豪の者も連れている。


 しゅうとの見舞いに行くだけなのに少々大げさなのではと頼純は思ったが、仁左衛門や他の家臣が主君を心配して、


「絶対に、五十人以上は連れて行ってください」


 と強く言ったため、重臣たちの意見に従ったのである。


 また、南泉寺なんせんじ快川かいせん紹喜じょうきの弟子である宗乙そういつ(後の虎哉こさい宗乙)もこの一行に同行していた。

 彼は僧医ではないものの、唐土もろこしの医学の知識が多少ある。「もしかしたら、宗乙なら父上を治せるかも知れないから」と帰蝶が無理を言って連れて来ていたのであった。




「……頼純様が、大桑城を出たようだな」


「うむ。手はず通り、頼純様が大桑城から十分離れた頃合いを見計らって大桑城を攻撃しよう」


 大桑城の南方の岸見きしみ山から、頼純一行が南へ向かうのを見届けている武将が二人いた。


 稲葉いなば良通よしみち一鉄いってつ)と安藤あんどう守就もりなりである。


 昨夜出陣した良通と守就は、岸見山に築かれていた岸見砦を夜陰に乗じて急襲し、ここを守っていた頼純の兵たちを皆殺しにしていた。


 砦が落ちたことを頼純側に気づかれないように、頼純の軍旗を砦のあちこちに掲げてはいるが、大桑城の南の守りである岸見砦は完全に無力化されてしまっている。


 良通と守就の両将は、利政の本隊が長良川の南岸で頼純を襲撃している間に、主のいない大桑城を攻め落とす任務を利政に託されていたのだった。


「俺の姉(深芳野みよしの)が今回の企みに一枚噛んでいるせいで、まむしに大桑城攻めを命じられてしまったが……。何とも胸糞の悪い作戦じゃ。卑怯極まりない。仁岫じんしゅう宗寿そうじゅ和尚や師兄すひん(禅宗における兄弟子あにでしの呼び名)の快川様に顔向けできぬ……」


 稲葉良通は、さっきから何度もため息をついている。


 良通は、父と兄たちがいくさで死ぬまでは家督を継ぐ予定がなかった。だから、幼少期には仁岫和尚の門下で僧になるための修行をしており、兄弟子である快川にもずいぶんと世話になっていた。


 今から攻める大桑城の主・土岐頼純は、師匠と兄弟子がいる南泉寺を庇護している。良通が大桑城を攻め落とせば、仁岫和尚と快川はさぞかし良通のことを恨むであろう。そう想像すると、憂鬱で仕方がなかったのだ。


 そんな良通に対して守就も同調し、「私も今回の利政殿のやり方は気に食わん」と不愉快そうに言った。


「いくら邪魔な明智一族を遠くへ追いやるためとはいえ、自作自演で本巣もとす郡の民たちを襲わせるとは……。

 私は、他国の侵略から美濃国を守れるのは利政殿しかいないと思っていたからこそ、これまで協力してきていたのだ。しかし、おのれの野望のために自国の民たちに犠牲を強いる彼の所業を見ていると、斎藤利政という御仁は国を背負って立つべき人間ではないような気がしてきた」


 守就の領地は本巣郡にある。彼の居城・北方きたかた城の周辺の村々は浮浪者たちによる略奪の被害にあってはいないものの、自分が生まれ育った地域の民たちが利政のせいで苦しんでいるかと思うと胸が痛かった。


「稲葉様! 安藤様! 現在、土岐頼純様と帰蝶様は長良川のすぐ近くの村で小休止しています! 間もなく、川を渡るはずです!」


 その後もしばらく二人で愚痴を言い合っていると、頼純一行を密かに尾行させていた騎馬武者が舞い戻り、良通と守就にそう報告した。


 渡河したらすぐに稲葉山城だというのに農村などで休憩するとは少々妙な話だが、一行には帰蝶や深雪など女たちも数人いるので、頼純が彼女たちが疲れないように気遣ったのあろう。


「……あい分かった。安藤殿、このままここでぐだぐだ言っていてもらちが明かぬ。覚悟を決めて、参るか」


「うむ、やむを得ぬ。……者共、出陣じゃ!」


 二人は出撃の号令を出すと、土岐頼純の軍旗を兵たちに掲げさせたまま岸見山を駆け下りた。


 標的である大桑城は、標高四百メートルの古城山こじょうざんに築かれた難攻不落の城である。


 城下町は越前朝倉氏の一乗谷いちじょうだに城を手本にして南麓の谷に作られ、越前兵や他国の援軍が掘ったと伝わる越前堀・四国堀などの堀や巨大な土塁、そして天然の地形が城と町を守っている。


 この攻め難い城を攻略するには、城主である頼純が不在の時を狙って奇襲を仕掛けるのが最善――それが利政の作戦であった。




            *   *   *




 一方、その頃、南泉寺では――。


「和尚様! 快川師兄! い、一大事です!」


 快川が師の仁岫和尚と禅堂で座禅を組んでいると、用事があって城下町に出かけていた修行僧が血相を変えてお堂に飛び込んで来た。


「騒がしいですよ。何事ですか」


「じ……城下が……城下町が燃えています! いくさが始まったようです!」


「戦……⁉ 何者が攻めて来たというのですか?」


 驚いた快川は両眼をクワッと大きく開き、修行僧に問うた。


「そ、それが……。城下の南口に現れたその部隊は、最初はお味方の旗を掲げていて、『我らは岸見砦を守っていた部隊だが、突然何者かに奇襲を仕掛けられて砦を奪われ、命からがら逃げて来た。どうか城内に入れて欲しい』と告げたらしいのです。

 大桑城の守備兵が合言葉を唱えるように求めると、その部隊を率いていた二人の武将は頼純様の軍旗を捨てていきなり襲いかかってきたとか……」


だまし討ちとは、なんと卑怯な。その部隊を率いる将とは何奴じゃ」


 嫌な予感がした仁岫和尚が眉をひそめ、そう言う。そんな狡悪こうあくな作戦を指示するのは斎藤利政ぐらいしか思いつかなかったからである。利政は、頼純の話によると瀕死の重体で臥せっているというが……。


「私がこの目で確認して来ましたが、『折敷に三文字』の家紋をあしらった軍旗が見えました。恐らく、攻め手の大将の一人は稲葉良通様かと」


 稲葉良通の名を聞くと、快川はハッとした顔になって「良通が……。そうか、そういうことであったのか」と呟いた。


「たしか、彼の姉の深芳野殿は斎藤利政殿の側室だったはず。良通は義兄にあたる利政殿の命に従い、大桑城を攻めたのでしょう」


「……ということは、守護代殿の病はやはり偽りであったか」


「はい、我が師。そうとしか考えられませぬ。あの殺しても死なない御仁が重病など、どうもおかしいと思っていたのです。きっと、病は頼純様を稲葉山城におびきだす口実だったに違いありません。頼純様と家臣たちを引き離し、同時に攻め滅ぼす――いかにも性格の悪い利政殿が考えそうな作戦ではありませんか」


 帰蝶を伴って稲葉山城へ向かっている頼純は、今ごろ利政の軍に襲われているに違いない。娘の帰蝶と侍女の深雪はさすがに命を奪われないだろうが、頼純に従っている供の者たちはことごとく殺されることであろう。その供の中には、快川の弟子である宗乙もいる……。


「これはいかん。いかんぞ。いったい、どうしたものか」


 このままでは三年前を上回る惨劇が起きてしまう。

 打開の策が思いつかず仁岫和尚と快川が悩んでいると、小太りの僧侶が慌てふためきながら禅堂にやって来て、「大変です!」と報告した


黒漆くろうるし塗りの甲冑の侍が、兵を引き連れて寺の門前に現れました!」


「何じゃと? 黒漆塗りの甲冑を好んで着る武将といえば、良通か。まさか、この寺を焼き払うつもりでは……」


 斎藤軍に一度寺を焼かれたことがある仁岫和尚が心配そうに呟くと、快川がすっくと立ち上がった。


「良通は、利政殿とは違って、恥を知る武士です。幼い頃に我々から受けた恩義を忘れてはいないはず。南泉寺を焼くような真似はしないでしょう。……何用で参ったのか確かめるため、私が会って来ます」


「あっ。待ちなさい、危険じゃ」


 僧侶にしては大胆不敵なところがある快川は、師匠の仁岫和尚が止めるのも聞かず、山門まで走って、


「六郎(稲葉良通の幼名)よ、何をしに参ったのです! まむしごときの駒となって主がいない城を攻めるとは、正義感の強いあなたらしくもない!」


 と、一軍の大将に向かって頭ごなしに叱りつけた。


「す……師兄すけい


 守護代の利政に対しても傲岸不遜な態度を取ることが多い「一徹者」の良通も、幼少期に自分を厳しくしつけてくれた師兄に対しては、強く出られない。おのれが恥ずべきことをやっている自覚もあった。だから、「申し訳ありませぬ……!」と言いながら下馬し、快川に頭を下げた。


「言いわけのしようもありませぬ。この稲葉良通、おのが正義に反する非道を働いておりまする。

 ……されど、仁岫和尚様と師兄がいらっしゃるこの寺にだけは何があっても戦火が及ばぬようにいたす所存。拙者の直属の精鋭五十数騎を南泉寺の警固に置いて行きますゆえ、何とぞ拙者の愚行をお許しくだされ」


「この寺を守るために来てくれたのですか。それはありがたい。

 ……だが。利政殿は、大桑城を攻め落とすと同時に、頼純様をほふるつもりなのでしょう。頼純様の一行の中には、私の弟子の宗乙がいます。残虐極まりない利政殿ならば、僧侶であろうとも、供の者たちはまとめて皆殺しにするのではありませんか? もしも宗乙が死ぬようなことがあれば、私は一生あなたと利政殿を恨みますよ」


「そ……それは……」


 まさか快川の弟子が頼純一行に付き従っているとは考えていなかったのだろう。良通は言葉に窮し、快川から目をそらした。


「まことに……申し訳ござらぬ。意に沿わぬ命令でも、一度受けた軍令は最後までまっとうするのが武士というもの。拙者は大桑城攻めに戻らねばなりませぬ。お許しください、師兄。……御免ッ!」


「あっ! 良通!」


 良通は再び馬上の人になると、快川の呼びかけを振り切るように愛馬を疾駆させ、戦場へと帰って行った。快川はおとうと弟子でしの背中をなす術もなく見送る。


「宗乙……。どうか無事でいてください」



 かくして、悲劇の幕が上がったのである。


 大桑城が稲葉・安藤両将の猛攻にさらされていた頃――。頼純一行は、長良川を渡河する手前で止まっていた。


 帰蝶に付き従っていた侍女の深雪が、吐き気を訴えて急に倒れたのである。

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