冷酷と情愛のあいだ
竹千代誘拐未遂事件の後始末に関して、織田家には一つの問題が残されていた。
竹千代の世話係だった
信長が竹千代奪還作戦を遂行していた頃、
順盛は気難し屋なところがあるが、嘘を嫌う実直な人物である。また、孫八郎の命乞いを信秀にしてくれると信長が約束していたこともあり、彼は自分の家来の失敗を包み隠さず信秀に言上していた。
「……順盛は、『我が家臣に切腹を言い渡すのだけはお許しくだされ』と再三再四嘆願してきている。信長よ、そなたならどうする?」
ここは
事件の
信長は居住まいを正し、父に自らの考えを述べた。
「孫八郎の不手際は言語道断です。大事な人質である竹千代に無礼を働き、完全に世話係としての役目を放棄していました。その結果、廊下で松平家の侍たちと口喧嘩をしている間に竹千代を
……されど、孫八郎は熱田港を支配する加藤家の家来です。加藤順盛は織田家のためにこれまで莫大な軍資金を調達してくれました。順盛の忠節に報いるためにも、今回だけは彼の願いを聞き届けて死一等を減じてやるべきはないでしょうか」
「…………」
外では木枯らしが吹いている。信秀は紅葉が散り乱れる庭の風景をじっと眺めながら、我が子の進言を黙って聞いていた。そして、信長が最後まで言い終えると、「その判断は甘いぞ、信長」と強めの口調で否定した。
「山口孫八郎の犯した罪は許し難い。温情をかけることなどできぬ。お前が今川家の隠密を追跡して竹千代を取り戻してくれたからよかったものの、もしも竹千代の身柄が今川家に渡っていたらどうなっていたと思う。せっかく屈伏させた
取り返しのつかない罪を犯した者を処断せねば、織田家の結束に
「……しかし、加藤家との関係がギクシャクしてしまうのは我らにとって良いことではないのでは?」
「織田家が加藤家の財力の世話になっているのは事実だが、家臣は家臣だ。従うべきところでは大人しく従ってもらう。我が決定に不服を言うのならば、順盛も罰する。それが主従のけじめというものだ。
……順盛が粛々と織田家の意向に従って孫八郎の命を諦めてくれるのならば、俺も順盛の忠義に応え、織田の一族か重臣の子女を加藤家に新たに嫁がせよう。そうすれば、加藤家との絆が壊れることはないだろう」
「山口孫八郎には妻子がいたはずですが、その者たちは――」
「無論、領地を取り上げて屋敷から追い出す。熱田の山口家は取り潰しとする」
「承知……いたしました……」
父があくまでも
(平手政秀から聞いた話では、初陣戦における信長の戦ぶりは鬼神のごとく凄まじく、神聖なる森を焼き払って敵兵を容赦なく殺したらしいが……。この子は、身内の人間にはやたらと甘い。優しすぎる。
信長は幼い頃、俺に「
信長の様子を観察していた信秀は、ふとそんな危惧を抱いた。
牛頭天王は、おのれに敬意を払わぬ人間には凄まじい残忍さを見せて皆殺しにする。しかし、おのれを篤く信仰する人間には鬼神の力で加護を与える。そんな牛頭天王の敵への冷酷さと味方への情愛の深さが、信長の理想なのだ。
今も信長は「我は牛頭天王たらん」という信念を抱いているのだろう。家族や家臣、領民たちを「織田家を信仰する者」としてとらえ、おのれの力の限り守り抜こうと考えているのだ。
だが、その「身内を守りたい」という過剰なまでの情愛が、身近な人々に対する「甘さ」となってしまっているのではないか。だから、信長は自分の
そういえば、
「……信長よ。
罪を犯した者の罰をなあなあで済ませれば、その者は必ずや再び御家に災いをもたらす。なぜなら、後ろめたいことをした人間は、自分の罪を見て見ぬふりされても恩義など感じぬからだ。してやったり、としか思わぬ」
そう教え諭す信秀の言葉には、強い実感がこもっていた。人間には多かれ少なかれ身近な者には甘くなってしまう傾向があるが、家督を継いだ頃の信秀にもそういった経験があったのである。そして、手痛い裏切りに遭って危機に陥ったことが何度かあった。信長ほど身内愛が強すぎると、そういった身内の背信行為に上手く対処できるか不安で仕方がない。まだ若い今のうちに、「身近な者たちに対しても、いざという時には厳しい罰を下すべきだ」という心構えを持たせておきたかった。
「よいか、父の言葉をゆめゆめ忘れるでないぞ」
「……はい、父上」
信長は素直に
信秀はズキズキと痛む頭に片手をそっと添え、そんなことを考えているのであった。
近頃、美濃へ三河へと
勢力を三河国へ一気に拡大させたのはいいが、この後の今川家との抗争をいかに有利に持っていくべきか?
信長を殺されそうになった憤りからまだ幼い竹千代を松平家から強奪するようにさらってきたが、これは本当に天が望むような行いであったのだろうか? 天道から外れてはいなかったのであろうか?
そして、ここ一年ほど静かな美濃の
考えれば考えるほど、頭が痛いことばかりである。知らず知らずのうちに、信秀の心身には疲れがたまりつつあった。
* * *
それから数日後。
死を賜った山口孫八郎は、切腹して果てた。
信長は孫八郎が腹を切る前日に、織田兵によって見張られている彼の屋敷を訪れていた。
「孫八郎。無念ではあろうが、そなたの落ち度だ。最期は、妻や子たちに胸を張れるような立派な死に方をするのだぞ。……何か言い遺しておきたいことはあるか?」
「いえ、特に何もありませぬ。ただ、竹千代殿に『感情に走ってあなた様を侮るような真似をしたこと、心よりお詫び申し上げる』とだけお伝えくだされ」
孫八郎も武士である。すでに死を覚悟していたのだろう。何の恨み言も言わない。静かに竹千代への謝罪の言葉を述べただけであった。
「……デアルカ。お前の妻子は明後日にはこの屋敷から追い出され、山口家は取り潰しとなる。だが、何年かかってでも、お前の家族がこの地に戻って来られるように手を尽くす所存だ。だから、心安らかに逝くがいい」
「ありがたき幸せ……。信長様に熱田の神々のご加護があることをあの世で祈っておりまする」
孫八郎は涙ながらに平伏し、信長に心から礼を言った。信長はしばし孫八郎を見つめていたが、「さらばじゃ」と言い捨てて屋敷を後にするのであった。
後年、織田家当主となった信長は孫八郎との約束を果たすことになる。山口家の再興を許可し、東加藤家に「所領について望みがあれば、亡き孫八郎の妻の思い通りにさせよう」という書状まで与えていた。
織田信長という武将は苛烈な印象が強いが、かくのごとく過ちを犯した家臣を意外なほど寛容な態度で許すことが多かった。そして、許した末に再び裏切られることが度々あったのにも関わらず、その傾向はなかなか治らなかった。信秀が心配した通り、彼は裏切られ、裏切られ、裏切られつつ覇道を歩んで行くことになる。
<信長の手紙を読む~山口孫八郎の妻子への赦免状>
加藤順盛の家来である山口孫八郎が人質の竹千代に対する何らかの扱いの不手際で信秀の怒りを買い、厳しい罰を受けた(たぶん、切腹)のは史実です。
孫八郎が罰せられて死んだ後、孫八郎の妻子は零落しました。しかし、七年後、織田家の当主となった信長は孫八郎の妻子を呼び戻す許可を加藤順盛に与えています。
以下が、その時に信長が加藤順盛に送った手紙です。
山口孫八郎後家と子共(供)の事、
十月廿日(二十日) 信長(花押)
加藤
ざっくり内容を説明すると、
「山口孫八郎の後家と子供のことだが、あなた(加藤順盛)の赦免の願いを聞き入れて山口家の再興を許すので、所領などで望みがあるのならば後家の考えに任せよう。なお使者の二人がこの書状を持参して口述するであろう」
ということになります。
赦免を伝える使者が二人というのは、奥野高廣氏によるとかなり丁重な扱いだそうです。
※書状の読み下し文と現代語訳は、奥野高廣氏著『増訂 織田信長文書の研究 上巻』(吉川弘文館刊)を参考にしました。
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