竹千代と黒鶫

 もう何度も語っていることだが、松平まつだいら広忠ひろただの嫡男である竹千代たけちよ――後の徳川家康は織田信秀の人質となっていた。


 三河から竹千代を連れ帰った信秀は、この六歳の幼児を熱田あつたの加藤家に預けて、


「憎き広忠の子とはいえ、大事な人質だ。丁重に扱ってくれ」


 と命じた。加藤家のごとき大富豪に養育を任せたら、幼い竹千代も何不自由なく暮らせるだろうと信秀なりに配慮したのだ。


 熱田という交易都市は、津島つしま港とともに織田家を経済面で大いに支えた熱田神宮の門前町である。このことは以前にも書いた。


 そして、この熱田の豪族たちの中でも突出した財力を持っていたのが、


 加藤家


 だった。


 加藤家は交易だけでなく漁業や質屋業など幅広く商いを営んでおり、熱田港の顔と言うべき大長者である。信秀から様々な商売上の特権を許され、その見返りとして軍資金を用立てていた。


 要するに、竹千代は尾張国で一、二を争うセレブな家で生活することになったのである。人質とはいえ、一国一城の主の嫡男なのでそれなりに贅沢ぜいたくな暮らしが約束されているはずであった。しかし……。




            *   *   *




「林殿、叔父上。あの竹千代とかいうわらべ、何とも可愛げがありませぬぞ。子供のくせに、やけに疑い深いというか……」


 ここは熱田の羽城はじょう(現在の愛知県名古屋市熱田区)。この城の主である加藤かとう図書助ずしょのすけ順盛よりもりがしかめっ面でそう愚痴っていた。


「わざわざ京から珍しい菓子を取り寄せてやったというのに、毒が入っていないか警戒しているようでまったく手をつけようとしないのです」


「まあまあ、順盛殿。六歳の幼子おさなごゆえ、知らない場所に連れて来られてまだ馴染めないのでしょう」


 温厚なはやし秀貞ひでさだがそう言って順盛をなだめる。


 秀貞は、織田家と熱田の加藤家が結びつくために、信秀の命令で加藤家と姻戚関係を結んでいた。だから、八、九年ほど前から加藤家とは親戚付き合いをしている。今日は人質の竹千代の様子を見てくるように信秀に命じられたため、羽城に久しぶりに顔を見せたのだが……順盛は竹千代の扱いに手を焼いている様子だった。


「順盛よ。竹千代殿の世話係は誰に任せておるのだ。ちゃんと気の利いた者をそばにつけておるであろうな。当家が信秀様からお預かりしている竹千代殿が病にでもなれば、信秀様に対して面目が立たぬぞ」


 頭を丸めた初老の男――加藤全朔ぜんさく(全朔は入道号。本名は延隆のぶたか)が半ば説教するような口調で甥の順盛にそう言う。商いの才はあるがいささか短気な性格の甥が竹千代を粗略に扱わないか心配しているのだ。


「家臣の山口やまぐち孫八郎まごはちろうに面倒を見させていますが」


「大丈夫なのか、あやつで。孫八郎は主君のお前に似て気短な性分だぞ。竹千代殿に対して間違えを犯さぬであろうな?

 ……我ら東加藤家、西加藤家が繁栄しているのは信秀様のおかげじゃ。信秀様からお預かりした人質をけっして乱暴に扱ってはならぬ。孫八郎はそこのところをよく承知しておるであろうな?」


「し、心配いりませぬ、叔父上。孫八郎には、私からきちんと言い聞かせています」


 熱田の豪族・加藤家は、本家である東加藤家と分家の西加藤に分かれ、東加藤家の加藤図書助順盛(甥)は羽城、西加藤家の加藤全朔(叔父)は旗屋(旧熱田区役所があった場所)を拠点にしていた。


 普段は別々に暮らしてはいるが、歩いて四半刻(三十分)もかからぬ距離なので、全朔は何かあると甥の順盛に助言を与えるためにこうして羽城にやって来るのである。若い順盛にしてみたら、クソ口うるさい叔父だった。


「しかし、何とかして馴染んでもらわないと少々困りますな。竹千代殿にはこれから長い歳月をこの尾張の地で過ごしてもらわねばならぬのです。できれば織田家に好意を持ってもらい、成長した後は我らの味方となる武将に育て上げたいというのが信秀様のご意向ですし」


 秀貞が主君の思惑を伝えると、全朔は「う~む。何か子供の心を惹きつける遊び道具でもあればよいのですがなぁ……」と唸りながら腕組みをした。


 城内に「あっはっはっはっ‼」と騒々しい声が響き渡ったのは、その直後のことであった。


「そーいうことなら、私にお任せあれ! 子供が喜びそうなものを持ってきましたぞーっ!」


「この無駄にでかい声は……大宮司だいぐうじ殿か」


 両手で耳を塞ぎ、順盛が眉をしかめながらそう呟くと、障子が勢いよくパーン! と開いた。


 案の定、現れたのは熱田神宮の大宮司にして織田家の武将――武闘派神職の千秋せんしゅう季忠すえただだった。


「千秋季忠、見参ッ‼」


「見たら分かりまする、大宮司殿」


「ここは戦場ではないのだから、怒鳴らないでくだされ」


 同じ熱田の人間なので季忠の暑苦しさに慣れきっている全朔と順盛が、呆れつつもそうたしなめる。秀貞は呆然としながら口をあんぐりと開けていた。


「わっはっはっ。あいすみませぬ。面白い鳥を手に入れたゆえ、竹千代殿にお贈りしようと思いましてな。この鳥ならば、竹千代殿のご退屈を慰めることができるでしょう」


 季忠は陽気に笑いながら秀貞、全朔、順盛の前に鳥籠を置く。


 籠の中には、真っ黒で腹だけ白い小鳥がいた。


「ほほう、なかなか愛らしい顔の鳥ですな。こういう可愛らしい小鳥ならば気難しい性格の子供も喜ぶやも知れませぬ。大宮司殿はがさつな性格に見えて、意外と気の利く御仁でいらっしゃいますなぁ」


「……全朔入道殿、それは褒めておるのか? けなしておるのか?」


「それで、この鳥の名は?」


「ええと、何だったかな。……くろ……くろつぐ……おお、黒鶫くろつぐみじゃ。黒鶫の雄鳥です。この鳥は他の鳥の鳴き声を巧みに真似ることができるのです」


「なるほど、それは面白い。わしが飼いたいぐらいじゃ」


 全朔は鳥が好きらしい。上機嫌で黒鶫を褒めた。すると、褒められたのが嬉しかったのか、黒鶫は、


 キャァ キャァ キョコ キョコ キーコ キーコ


 と複雑な歌声を披露した。秀貞たちは「おおっ」と歓声を上げる。


「で、さっきのは何の鳥の鳴き声を真似たのですか?」


 順盛も興味が湧いてきたらしく、季忠にそうたずねた。しかし、季忠は鳥に詳しいわけではないのでよく分からない。「さあ? きっとこの鳥の故郷にいた別の鳥の声でしょうな」と適当に答えた。


「そんな細かいことは別にいいではありませんか。竹千代殿が喜んでくれたらそれでよいのです」


「……まっ、それもそうですな。早速、竹千代殿にこれを渡しましょう」


 順盛はそう言いながらうなずくと、竹千代の世話係である山口孫八郎を呼び出して「大宮司殿を竹千代殿の部屋へ案内するように」と命じるのであった。




            *   *   *




 しかし、である。竹千代は大人たちの予想に反する反応を示した。


「他の鳥の声を真似る小鳥……ですか。千秋殿のお気遣いはありがたく思いますが、私には必要ないのでお返しいたします」


 季忠が山口孫八郎の案内で竹千代に面会し、黒鶫を見せると、竹千代はその小鳥にほとんど興味を示さずにキッパリとそう言ったのであった。


 季忠は、六歳の幼児にそこまで冷ややかな態度を取られて贈り物を突き返されるとは夢にも思っていなかった。「ほえ?」と間抜けな声を出し、呆然としている。


 三河から竹千代に付き従って来た家臣たちも、「竹千代様、本当によろしいのですか?」と戸惑っているようだ。

 家臣たちはこの愛らしい鳴き声の黒鶫を気に入ったらしく、竹千代がなぜ受け取りを拒否しているのか理解しかねている様子である。


 世話係の山口孫八郎などは、


偏屈へんくつな子供め。せっかくの大宮司殿の贈り物だというのに……)


 と、忌々しげに竹千代を睨んでいた。


 そんな大人たちの思惑など、竹千代は意に介していないようである。ツーンと澄ました顔で、


「用が済んだのならば、お引き取りくだされ。私は今から兵法書を読む時間なのです」


 などと言って、季忠を部屋から追い出すのであった。


 季忠は、がっくりと肩を落として、すごすごと鳥籠を持ち帰って行った。


(あの竹千代というガキは、いったい何を考えておるのだ?)


 季忠が帰った後、孫八郎は竹千代と家臣たちの会話を障子越しに盗み聞きした。


「竹千代様。あんな珍しい鳥をそばにおけば、この退屈な人質生活も少しはお気持ちが慰められたでしょうに……。何故なにゆえ、黒鶫を受け取らなかったのですか?」


「あれは、大将たる者が慰みにするにはふさわしい鳥ではないからだ。おおかた、黒鶫はおのれの鳴き声が他の鳥よりも劣っているから、おのれの未熟な声を隠すために他の鳥の鳴き声を猿真似しているのだろう。

 黄鳥こうちょう(ウグイス)は杜鵑とけん(ホトトギス)の声を真似ないし、雲雀ひばりは鶴の声を真似ぬ。おのれの声に自信があって、人に愛でられる良き鳥はそんなことはしない。

 人間の場合も同じだ。何でもかんでも器用にこなす者にかぎって、大器を備えていない。底の浅い小人物だ。……おのれを華々しく飾ることしかできぬ無能な鳥など、松平家の嫡男たる私が飼うべきではない」


「おお……。まだご幼少だというのに、なんとご立派な……。我ら家臣一同、感服しました」


 何がご立派だ、クソガキめ。


 聞き耳を立てていた孫八郎はチッと舌打ちしていた。


 あれが六歳児の吐く言葉であろうか。可愛げがないにもほどがある。容姿も、織田家の美男美女ぞろいの御子たちとは違い、まるで子狸みたいでなんとも小憎らしい。


(たかが三河の田舎武士の子倅こせがれではないか。身のほどをわきまえないにもほどがある。我らに馴染む気がないのなら、こっちにも考えがあるぞ)


 孫八郎は心の中でそう毒づくと、肩を怒らせてその場を去っていった。







<竹千代と黒鶫のエピソードについて>

作中で竹千代(後の徳川家康)が黒鶫という小鳥をめちゃくちゃディスった(笑)エピソードですが、これは『徳川実紀』(江戸幕府の公式史書。19世紀前半に編纂)に収録されている逸話を元にしています。

『徳川実紀』には、「熱田の神官(千秋季忠とは書いていない)が人質の竹千代の退屈を慰めるために黒鶫を持って来たが、竹千代はそれを受け取らなかった。近侍の者に理由をたずねられると、竹千代は『あの鳥は自分の無能さを覆い隠すために、他の鳥の声真似をしているのだ』『外見を飾って真の能力がない鳥など、大将の慰みにはならない』などと語った。近侍の者たちは『竹千代様、まだ幼いのに賢い! すげぇぇぇ!!』と思った」といった内容が記されています。

この逸話は現代人の私たちも『現代語訳徳川実紀 家康公伝3 逸話編・三河から関東の覇者へ』(出版:吉川弘文館)で読むことができます。およそ6行にわたって竹千代くんが黒鶫の悪口をたっぷり言っています(笑)。


黒鶫「解せぬ……」

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