死のうは一定・後編

 やがて、粉雪が舞い始めた。

 信秀は、狂ったように刀を打ち振るのをやめない。


 これ以上は雪に濡れて父が風邪を引いてしまう、と思った吉法師きっぽうしはようやく「父上」と声をかけた。


 完全に我を忘れていた信秀は、肩をビクッと震わせて振り向き、屋敷の縁側に立つ息子を見つめた。


「……吉法師。ずっとそこにいたのか。恥ずかしいところを見られてしまったな」


「いいえ。父上は、与三右衛門よそうえもんたちのことを忘れてはいなかったのですね。何だか安心しました」


 吉法師がそう答えると、信秀は「忘れるはずがない。忘れられるものか……」と無念の思いを吐き出すように言った。


「お前は、俺が帝から女房奉書にょうぼうほうしょたまわったことに喜んで舞い上がり、連歌会にうつつを抜かしていると思って怒っているのだろう?」


「…………」


「その顔は、図星だな」


 フッと笑い、信秀は刀を鞘におさめる。そして、屋敷の縁側に腰を下ろした。吉法師もそれにならい、父の隣に座る。


「……吉法師よ。合戦だけが、武士の戦いではない。富を蓄え、名声を高める努力をすることも大切な戦いなのだ」


「富と名声、ですか。銭が人を動かすために大切だということは、以前父上から教わりました」


「うむ。そして、名声も富と同じくらい重要なのじゃ。世間の評判が良い領主のもとには味方が集まりやすいが、『あの領主はいざという時に頼りない。我らを守ってはくれない』という悪評が流れたらおしまいだ。その領主は武将として死んだも同然、家臣や民衆に見限られて滅亡するだけじゃ。

 ……俺も危ういところだった。まむしに惨敗を喫して多くの将兵を死なせたせいで、尾張の侍たちの人望を失う寸前であった。だが、勅使ちょくしが来訪してくれたおかげで助かったのだ。『帝から礼状と礼物をたまわるとは、織田信秀という大将はまだまだ捨てたものではない』と何とか名声を取り戻すことができたからな。

 だが、それだけではまだ足りない。再び尾張の諸侍たちを率いて蝮と戦い、与三右衛門たちの仇を取るためには、勅使の宗牧殿を可能な限り利用しなければならぬ……。俺はそう考え、尾張の武士たちを集めて連歌会を大々的に行ったのだ」


 吉法師はハッとなり、「あっ、なるほど……」と呟いた。


「ようやく理解できました。つまり、勅使を主賓にして連歌会を催し、尾張の諸侍たちに我が家の隆盛を見せつければ、父上の名声がさらに高まる……ということだったのですね。そうなれば、父上の味方はもっともっと増えます。次の戦で蝮を倒すことも不可能ではありません!」


 吉法師は、濃い霧から脱け出して晴れ晴れとしたような表情である。父が腑抜けになったわけではないのだと分かり、嬉しかったのだ。


 信秀は息子の無邪気な笑顔を優しげに見つめながら、コクリと頷く。


「……俺とて負けて悔しいのだよ、吉法師。蝮の罠にまんまと引っかかって大勢の戦友を殺され、はらわたが煮えくり返っている。自分の愚かさ、弱さが許せない。

 だがな、ここで焦って準備不足のまま再戦を挑んでも蝮には勝てないだろう。信康のぶやすや与三右衛門たちの仇を取ってやることもできない。武将には、勝機が来るときまでじっと堪える忍耐力も必要なのだ。そのことだけは、よく覚えておいて欲しい」


「分かりました……。俺が浅はかでした」


 反撃の機会を待ち、耐え忍ぶ。短気な性格の信秀には、とても辛いことだろう。それでも、家臣たちの死を無駄にしないために、信秀は耐えて、耐えて、耐え続けているのだ。これもまた、武将の戦いなのである。


「信康と与三右衛門は、誠に立派な武士もののふだった。虎は死して皮を留め、人は死して名を留む……。二人はおのれの役目を全うし、天が指し示す道を翔けぬけた。俺もあいつらのように全力で生き、後世に名を残せる男にならねばならぬ。俺のために逝った二人のためにもな」


 信秀はそう言って決意を語ると、朗々とした声で小唄を歌い始めた。



 死のうは一定いちじょう

 しのび草には何をしよぞ

 一定かたりおこすよの



 死は等しく人に訪れる。

 死して後、自分を思い出してもらうよすがとして何を成すべきか。

 その生き様を頼りに我が人生を後世の人々が語り継いでくれることだろう……。



「人はいつか死ぬ。が来たら、必ず。だからこそ、人は、おのれが生きた証を残すために、ただ一度の生を全力で、悔いのないように戦わなければならないのだ。

 ゆえに、俺は、勝機が到来するまでは敗北の悔しさを耐え忍び、けっして捨て鉢にはならぬ。じっくりと力を蓄え、ここぞとばかりに美濃に攻め込んで捲土重来けんどちょうらいを果たしてみせる。敗軍の将として名を残してしまったら、俺のために戦死した者たちが報われないからな」


「父上……。大雲だいうん和尚も『しょう全機現ぜんきげんなり、死は全機現なり』とおっしゃっていました。俺も、我が名を後の人々に語り継いでもらうため、おのれの人生を全力で生きてみせます。どんな苦境に陥っても、死んでいった家臣たちの無念を思い、けっして挫けたりはしません」


 吉法師は天から舞い落ちる粉雪を見上げながら、力強い声でそう誓った。与三右衛門たち戦死者への鎮魂の祈りを込めて。


「俺ももう少しで元服です。元服したら、武将として父上の夢の実現のために、俺も戦います」


「ああ。頼りにしておるぞ、息子よ」


「全力で生きて死ねば、本当に我が名を後世に残せるでしょうか?」


「残せるさ、俺もお前も。共に、この国の歴史に名を刻んでやろう。室町幕府による天下静謐せいひつを復活させ、乱世を終わらせた英雄の親子としてな」


「はい!」


 吉法師は、年相応の子供のように無邪気に笑い、うなずいた。


 実際に、この父子は歴史に名を残すことになる。ただし、この夜の二人が思い描いたのとはかなり違ったかたちで……。




            *   *   *




 それから、二年の月日が流れ――。


 天文十五年(一五四六)、十三歳になった吉法師はついに元服の時を迎えていた。

 尾張の地に梅花咲き乱れるある春の日、那古野なごや城の城主館では厳かに元服の儀が執り行われようとしていたのである。


 儀式には、大雲だいうん永瑞えいずい(吉法師の大伯父)を筆頭とした一門衆と、吉法師の家老となるはやし秀貞ひでさだ平手ひらて政秀まさひで内藤ないとう勝介しょうすけが集まった。そして、勝介の隣の席には明国渡来の鉄放が置かれていた。


「ちゃんと見ておるか、与三右衛門。吉法師様はあんなにも凛々しく、立派な若武者にお育ちになったぞ」


 勝介は、鉄放の筒をソッと撫で、涙ぐみながら囁く。


「皆を生きて尾張に帰すためにその身を犠牲にしてくれた与三右衛門の忠義に報いたい。青山与三右衛門は、未来永劫、この俺の三番家老とする」


 元服の儀の前に、吉法師がそう言い、自分の私物であった鉄放を勝介に託していたのである。

 与三右衛門が気に入っていた武器である鉄放を身代わりとして家老の席に置いておけば、あの世の与三右衛門が吉法師の晴れの姿を見ることができるだろうと考えたのだ。


 勝介も、吉法師のこの決定に不満は一切ない。あいつこそ吉法師様の三番家老にふさわしい、と亡き戦友を認めていた。


「伯父上。吉法師の新たな名を皆に告げていただきたい」


 信秀がそう催促すると、大雲は「うむ。良い名を考えてきたぞ」と自慢げに言いながら、後世の日本人が誰でも知っているその名を記した一枚の紙を高々と掲げた。



 三郎信長



 それが、吉法師の新たな名だった。


 おおっ、という喚声が一斉に湧き起こる。


「三郎……信長。織田三郎信長か。なかなか勇ましい名前ではないか」


 信秀の弟の信光のぶみつがそう言って褒めると、他の者たちもウムウムとしきりに頷いた。吉法師――いや、織田信長もこの名前を気に入ったようで、


「和尚様。我が名の由来をお教えくだされ」


 と、微笑みながら大雲にたずねた。


 信長は日に日に見目麗しい若者に育っていて、城内の侍女だけでなく城下町の娘たちでさえ、その微笑を目にしただけで恍惚とした表情になってしまう。

 ここに居並ぶ中年や老年の武将たちの中にも、信長の美貌にこの世離れしたものを感じて思わず見惚れてしまっている者が多くいた。


「よかろう。『信長』といういみなの二字はな、『桑』の反切はんせつじゃ」


 反切とは、ある漢字の子音を示すのに別の漢字二文字の音で示すことを言う。

 上の字の声母せいぼ(語頭の子音)と下の字の韻母いんぼ(子音を除いた部分)を合わせ、縁起のいい字になるようにするのである。


 信長の場合は、「shin」の「s」と「chou」の「ou」。これを合わせると、「sou」になる。


「『桑』は、『桒』とも書く。『桒』という字は、分解すると十の字が四つと八の字が一つでできておる。四十八という数字は、昔から縁起の良い数だとされているからな。

 ……また、日本国は別名『扶桑ふそう国』とも呼ばれており、桑の字が使われている。この国において信長の武名が大いに轟いて欲しい、という我が願いを込めたのだ」


「そのように偉大な名をつけて頂き、有り難く存じます。この織田信長、和尚様から授かった名に恥じぬように天下の名将となってみせまする」


 信長は望外の素晴らしい名に喜び、勇ましくそう誓った。

 ただ、まだ声変りがまだなため、信長の烈々たる決心を聞いた多くの者たちが見目麗しい若殿様を微笑ましそうに見つめているだけだった。


(信長なら、必ずやる)


 信秀だけはニヤリと笑い、烏帽子えぼし姿がまだ似合わない愛息子がおのれの志を受け継ぐ若き虎であることを確信していたのである。


 織田信長、十三歳。

 その諱に込められた「四十八」の吉数よりも一年長い四十九年の生涯を怒濤のごとく駆け抜け、日本史上最大の英雄となる男の人生が、いよいよ本格的に始まろうとしている。



 かくして物語の幕はようやく上がった。

 だが、役者はまだ完全にはそろってはいない。


 秀吉、家康、そして明智光秀……。信長は、運命の戦友たちとの邂逅かいこうをいまだ果たしてはいなかった――。






            ~三章へとつづく~







<「信長」の名付け親について>

従来の説では、「元服した吉法師に『信長』の諱を授けたのは信長の教育係の沢彦宗恩という僧である」とされています。

ただ、前にも書いたように(エピソード『堅物女』の最後の解説を参照)、沢彦は信長が元服する時期にはまだ平僧(役職の低い僧)に過ぎず、沢彦が信長の教育係や諱の名付け親になるのはちょっと無理があるのではないかという説があります(横山住雄氏著『織田信長の尾張時代』より)。

そして、この説を唱える横山氏は「沢彦の話は、萬松寺住職(大雲永瑞)の話とすりかわっているかも知れない」としています。大雲永瑞は信長の大伯父であり、信秀の菩提寺である萬松寺の住職をつとめている人物で、織田家における存在感が最も大きかった僧侶だと思われます。そのため、この小説では横山氏の説を反映させ、大雲を「信長」の名付け親として描きました。

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