天道照覧

(父上の声が、今まで聞いたことがないほど必死だ。この評定を上手くまとめることができなければ、美濃攻めができない。だから、全身全霊をもって皆を説得しようとしているのか)


 吉法師は、水中を悠々と泳ぐ鯉に夢中になっている岩龍丸が足を滑らせて池に落ちないようにしっかりと手をつなぎながらも、耳だけは屋敷から聞こえてくる父の大弁舌に集中させていた。


 信秀は、周辺諸国の人々には「尾張の虎」だとか「器用の仁」などと渾名あだなされ、一目置かれる戦国武将である。しかし、尾張国内では尾張守護の家来の家来に過ぎない。おのれ一人の決断で戦を起こすことができる「一国の主」ではないのだ。


 いくさがしたければ、武衛ぶえい様の斯波しば義統よしむねと主君の織田大和守やまとのかみ達勝みちかつに支持され、さらには尾張の侍たちに戦の大義名分を納得させなければならない。そして、彼らの信頼を失わないために、絶対に勝ち続ける必要がある。負ければ、「信秀は存外頼りのない男であったか」と失望され、一気に求心力を失ってしまうことになるだろう。


(この制約の厳しさに苦しむ父上の気持ちは、大喝一声に軍令を下して諸将を率いることができる駿河の大大名・今川いまがわ義元よしもとや、守護代の立場から美濃の諸侍に命令を出せる斎藤さいとう利政としまさ道三どうさん)には、きっと分からない。俺の父上は、敵を制する前に、まず味方を制する必要があるのだ……)


 そこまでの苦労をするぐらいならば、斯波義統や織田達勝を排斥して自分が尾張の主になればいいではないか。まむしの斎藤利政ならば、そう考えるかも知れない。だが、信秀にはそれができないのである。


 下克上げこくじょうは、信秀が信じる正義に反するからだ。




            *   *   *




「先ほどから何度も申し上げておりますが、主家筋の土岐とき頼純よりずみ様を国外に追放した斎藤利政は天道に背いています」


 信秀は、さっきから「天道」という言葉をしきりに使っている。


 天道とは、何か。

 それは、太陽や月が通過する道――または天と地のあらゆる自然の摂理を意味する言葉である。その「あらゆる自然の摂理」の中には、人間の栄光、転落、生死なども含まれている。戦国武将たちは、人の運命はこの天道の恩寵を受けるか、見放されるかで決まると考えていた。この運命論を、


「天道思想」


 と呼ぶ。お天道てんとう様は、いつでも人間たちの善行と悪行を天空から見守っていて、倫理に反する行動を取れば、必ずや天罰が下ると信じられていた。


 戦国武将たちの天道思想について、いくつか実例を挙げてみる。


 まず、『信長公記しんちょうこうき』を著した太田おおた牛一ぎゅういちが強烈な天道思想の持ち主として有名である。彼は、『信長公記』の桶狭間おけはざまの合戦のくだりにおいて、


「今川義元が大軍を擁していながらも信長に敗北したのは、功績のあった家臣に恩賞を与えずに暗殺したから天罰が下ったのだ」


 と語り、「天道恐ろしく候なり」と結論づけている。非道な行いをしたため天の怒りを買って滅んだのだ、ということだ。


 戦国大名の先駆けとされる北条ほうじょう早雲そううんも、「天道は人間の内面すら見ていて、恐ろしいものだ」と考えていたようで、


「たとえ神仏に祈っても、心がねじ曲がった者は天道に見放されるであろう」


 と、家訓で伝えており、「上たる(目上の人)をば敬ひ、下たる(目下の人)をば憐み」天意にも仏意にもかなう心持ちが必要だとしている。


 また、越後の虎・上杉謙信は、和睦の誓いを破った関東の北条氏政に対して、


起請文きしょうもん(契約の内容を神仏に誓う文書)で誓った和議を破るとは、あいつは天道も神慮も法律もわきまえていない」


 と、激怒したという。このように、約束を破った相手に「天罰が下るぞ、馬鹿野郎ッ!」と罵倒する時にも頻繁に「天道」という言葉が使われていたようである。


 織田信長ですら、この「お天道様の視線」を意識して戦国を生きた人間の一人だった。いや、生真面目な彼は、常人よりも激しく意識していたかも知れない。信長は、勝手な行動を取って戦に敗れた息子の信雄のぶかつに対して叱責の手紙を送り、このように書き記している。


「誠に天道もおそろしく、日月も未だ地に落ちず候哉そうろうや


 お前が負けたのは天道の罰だ、太陽や月は地に落ちずお前の善悪を見守っているのだぞ、と叱っているのだ。


 これらの例から、この時代の人々が天道から見放されると考えた「非道徳的な行為」というのがだいたい分かってくると思う。


「こちらに正義がないのに人を殺す」


「神仏を敬わない」


「みだりに身分の秩序を乱して主君に逆らう」


「何のとがも無い家臣を排除しようとする」


「神仏にまで誓った約束を破る」


 などである。


 そして、これら天道に背く行いをして戦争に負けたら、「お前が天の道を外れたから、こんなことになったのだ」と指弾されるわけである。(もちろん、戦の場合は双方がおのれの「正義」を掲げて戦い、負けた側が「天罰を受けた」ことになるケースが多々あっただろう。上杉謙信に「天道に背いた」と罵倒された北条氏政も、「こちらにはこちらの正義がある。天道の恩寵を受けるべきは、我らなり」と信じていたはずである)。


 そんな「天道に背く行為」の中でも最大の悪のひとつと見なされていたのが、


「主殺し」


 だった。


 戦国時代は下克上が横行する何でもありの世界観だと思われがちだが、何の大義名分もなく主君を殺す者が現れたら、人々は「奴は悪逆非道だ」と激しく非難するのである。南北朝時代の公卿・北畠きたばたけ親房ちかふさがその著作の『神皇正統記じんのうしょうとうき』で、


「下ノ上ヲ剋スルハ、キハメタル非道ナリ」


 と語っており、下克上という行為を忌避する感情を戦国時代の人々も(いくぶんかは薄れていただろうが)持っていたはずである。

 どれだけ文武両道の名将であっても、ひとたび「謀反人」となってしまえば、必ず報いがくるのだ。――信長を殺した後、盟友だった武将たちからも支持されずにたちまち滅亡した明智光秀のように。


 斎藤利政とその父は、成り上がっていく過程で目上の人間たちを謀略で次々とほふってきた。国主を殺す――「主殺し」という最大のタブーはまだ犯してはいないが、主家筋の土岐頼純を攻撃して命を脅かした時点で、彼は着実に「越えてはならない一線」を越えようとしている。


 利政は天の罰など恐ろしくはないのだろう、と信秀は見ている。奴は、「弱肉強食こそがこの世の正義」なのだと信じているのに違いない。だから、こうも安々と天道に背く行為ができるのだ。そんな利政のごとき天意をも恐れぬ武将たちが日本全国に現れ、古き善き室町幕府の秩序を壊しつつあるのは確かなことだった。


「武衛様。『天道の罰』を恐れもせずに悪行を重ね続ける利政のような下克上の鬼が跋扈ばっこしているからこそ、戦国の世が終わらないのだと拙者は考えているのです。利政のごとき悪逆非道の者を野放しにしていたら、下克上の風潮がますます強まり、各地で主君を討つ悪臣が増えて世は千々に乱れることでしょう。この世に平安楽土をもたらすためには、武家社会の秩序を乱す悪人を討たねばならぬのです」


「……なるほど。それが、そなたが許せぬ斎藤利政の『悪』なのだな。たしかに言われてみれば、美濃が今大いに乱れているのも、蝮めが土岐氏の嫡流である頼純殿を追放したせいだ。蝮は、足利将軍家と我ら全国の守護大名家による支配体制を滅茶苦茶にしかねない危険人物……ということか」


「はい。蝮の下克上を我らが黙認してしまったら、必ずや第二、第三の蝮が周辺の国々にも現れることでしょう。この尾張にも、そのような不埒ふらちやからが出現する恐れがあります。天道に背く者を許すことは、天の意志に逆らうことと同じでござる。我らの手で、蝮に天罰を下しましょうぞ」


「ふむ……。朝倉と手を組むのは不本意だが、蝮退治のためならばやむを得ないか……」


 武衛様・斯波義統が、信秀の必死の説得によって美濃攻めに傾き始めた。(これはいかん)と焦ったのは因幡守達広である。


「武衛様に詭弁きべんを使うとはケシカランぞ、信秀! お前こそが下克上の代表格ではないか!」


 上手い反論が思いつかず、達広はひたすら憎悪を込めてそう叫んでいた。だが、これは信秀の激しい怒りを誘発するだけで終わってしまったのである。


「黙れ、因幡守ッ。おぬしは、何も分かっていない馬鹿だ。馬鹿は余計なことを喋るな!」


「な、何を……」


 達広は言い返そうとしたが、口がもごもごして動かない。信秀の大喝は、その声だけで体が後ろに吹き飛ばされそうな錯覚に陥るほどの迫力があり、恐怖のあまり金縛りにかかっていたのである。


「俺がいつ、武衛様を追放したり、達勝様に成り代わって守護代になろうとしたりしたというのだ。たしかに、俺はただの奉行の分際で大きな港を二つも持ち、莫大な富を蓄えている。那古野なごや城を手に入れるために、断腸の思いだったが友である今川いまがわ氏豊うじとよを陥れた。

 だが、それはこの尾張の国を守るための力を欲したからだ。武衛様、達勝様、信安様、おぬしたち同僚、各地の武士たち……尾張の人々を守りたいと思ったからだ。そして、いずれは俺が尾張衆の先頭に立って上洛し、将軍家を助けて室町幕府による平和な世の中を取り戻したいと心から願っているからだ。

 ……それが、俺の志なのだ。国主様や主君を陥れてまでして、大それた身分や肩書を手に入れたいとは思わぬ。天が指し示す道をひたすら翔けぬけ、乱世を終わらせる英雄になりたい……それだけなのだ。おのれの野心のために安々と外道な行いに手を染めて成り上がって行く斎藤利政と一緒にするのはやめろ。俺は、奴が、大嫌いなのだ」


「……そ、それこそ……詭弁……綺麗事ではないか」


 達広は何とか力を振り絞ってそう言い返したが、その声は非常に弱々しいものだった。評定に出席している多くの武将たちが、信秀が熱弁した「志」に心を打たれていたのである。信秀殿はそこまで我らのことを考えていてくれたのか、そんなにも気宇壮大な志を持っていたのか……と。


「上洛、か。大きく出たな、信秀。その心意気や良し」


 感嘆をもらしながらそう呟いていたのは、主君の織田大和守達勝だった。

 達勝にも、京都には強い思い入れがある。十四年前、達勝は、足利将軍家や細川京兆けいちょう家(細川本家)が内部分裂して混乱していた都に三千の軍勢を引き連れて上洛したことがあるのだ。しかし、その時は何事も成せずに虚しく尾張に帰るしかなかった。


わしはすでに老いた。儂の志を家来の信秀が継ぎ、実現してくれるのならば、儂が十四年前にやろうとしたことも無駄ではなくなるかも知れない)


 達勝は心の中でそう呟くと、「武衛様。儂は信秀にこの尾張の未来を託したいと思いまする」と言上するのであった。


 すると、信秀の義弟である上半国守護代の織田伊勢守いせのかみ信安のぶやすもすかさず「それがしも、達勝殿と同じ意見です」と言った。


「両守護代に言われるまでもなく、我が心も決している。……信秀よ、美濃攻めの際には陣代として尾張の諸侍たちを統率せよ。儂は戦の経験に乏しいからな、今回もそなたに全て任せたほうがいいだろう。朝倉家との交渉は、達勝に一任する。頼んだぞ」


 義統がテキパキと指示を下すと、一同は「ははぁー!」と一斉に平伏した。


 義統は尾張の国主として、順調に成長してくれている。部下を信じて任せる、ということができるようになってきていた。信秀のように優秀な家来にしてみたら、のびのびと働くことができるのでとてもありがたい。


(血気盛んな殿様であったのに、よくぞ理想的な主君に成長してくださった)


 信秀は深々と平伏しつつ、そう喜んで微笑んでいた。


 それに対して、反信秀派の因幡守達広と坂井さかい大膳だいぜんは苦虫を噛み潰したような顔で悔しがっている。


(せっかく、息子を達勝様の養子にして家中での発言力を高めたというのに、信秀の尾張における圧倒的な実力と人望には対抗する術がない……。ケシカラン、ケシカランぞ……)


 達広は、「また信秀に負けた」という敗北感だけでなく、年内には決行されるであろう美濃攻めに嫌な予感を抱いていたのである。


 その予感の正体は、分からない。まさか、自分がその戦場で討ち死にすることになるとは考えてもいなかったのだった。







<「天道」の読み方について>

天道は、言葉の響きのカッコよさから「てんどう」と発音したいところですが……。

1603年発行の『日葡辞書にっぽじしょ』(日本語をポルトガル語で解説した辞典で、イエズス会が発行)によると、天道の項目に「Tent ǒ」と記されていて、どうやら当時の人たちは「てんとう」と発音していたようです。

でも、「天道てんどうよ、照覧あれ!」と「天道てんとうよ、照覧あれ!」を比較すると、濁音がついているほうが台詞にしまりがあるような……(汗)

ということで、悩んだ末、「天道」にはルビを振らないことにしました。「作者は史実では『てんとう』だと思っている。でも、信長たちには『てんどう』と言わせたいらしい……」と思って頂けると助かります(^_^;)


なお、「天道思想」については、

神田千里氏著『戦国と宗教』(岩波新書)

堀新氏著『信長公記を読む』(吉川弘文館)

谷口克広氏著『信長の政略』(Gakken)

上念司氏著『経済で読み解く豊臣秀吉』(KKベストセラーズ)

などを参考にしました。

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