四家老

「そなたたちに今日集まってもらったのは他でもない。あと数年したら吉法師も元服じゃ。吉法師が元服したみぎりには、そなたたち四人に吉法師付きの家老となってもらいたいのだ。どうだ、やってくれるか」


 城主館にはやし秀貞ひでさだ平手ひらて政秀まさひで青山あおやま与三右衛門よそうえもん内藤ないとう勝介しょうすけらを呼び寄せた信秀は、開口一番にそう言った。短気な性格なので、家来たちが着座した直後に用件をいきなり言い出すのが信秀の癖なのである。


 吉法師も同席させられていたが、特に驚いた様子もなく黙っている。

 信秀は以前からこの四人の宿将たちに吉法師の学問の指導や剣術の稽古、時には護衛などをさせていた。おかげで吉法師は四人の宿将たちにすっかり馴染み、特に政秀のことを「平手のじい」と呼んで慕っていた。信秀はかなり前から四人の宿将たちを吉法師付きの家老にしようと考え、吉法師が彼らに懐くように仕向けていたのだろう。子供の吉法師にも父のその意図が察せられたので、今さら驚くこともない。


「ええっ⁉ そ、それがしが⁉ それがしが、吉法師様の家老に⁉ う、うおおお! なんと光栄な……!」


 与三右衛門だけが、驚愕のあまり大興奮していた。


「落ち着け、与三右衛門。驚きすぎだ。唾を飛ばしながらわめくな、顔にかかる」


 勝介にひじ打ちを喰らわされて、与三右衛門は「うぐぐっ……」とうなる。


「し、しかし、驚きました。林殿や平手殿のような先祖代々の重臣が吉法師様の家老になるのは分かりますが、それがしや勝介のごとき槍働きで成り上がった者をお取り立てくださるとは……」


「勝介は先年の三河攻めで大将首を上げる大功を上げた。与三右衛門もこの那古野なごや城を乗っ取った際には大いに働いてくれたからな。お前たちはもう当家の重臣と言っていい地位にある。これからは、重臣としての自覚を持ち、吉法師を支えていってやってくれ」


 信秀はニコリと微笑み、織田弾正忠だんじょうのちゅう家きっての猛将二人をそう励ました。


 林秀貞は、津島の有力豪族・大橋おおはし清兵衛せいべえ、熱田港を取り仕切る加藤氏との間に姻戚いんせき関係があり、信秀の家来の中では屈指の派閥勢力を持っている。その秀貞が家老として吉法師を支える限り、吉法師が尾張国内で孤立することはないだろう。


 平手政秀は、信秀の父・信貞のぶさだの代から織田家に忠義を尽くしている能臣である。朝廷へ献金した際も見事な外交能力を発揮して、公家や幕府の重臣たちの信頼を勝ち得た。すでに老境にさしかかってはいるが、本願寺ほんがんじ証如しょうにょが「一段大酒」と舌を巻くほどの酒豪でまだまだ元気である。吉法師が三十代の男盛りになる頃までは現役として外交や内政で活躍して欲しいものだ、と信秀は期待していた。


 内藤勝介は、傭兵の足軽部隊を率いた白兵戦に無類の強さを誇る。彼の武は、吉法師が率いる軍勢の最強の「槍」となり、縦横無尽に働いてくれるだろう。

 ただ、頭に血が上りやすく、足軽たちに混ざって死地に飛びこむ癖があるため、しょっちゅう負傷しているのが気がかりだ。これからは指揮官として成長していってもらわねばならない。


 青山与三右衛門は、寺の領地を横領するなど、この時代の戦国武将らしい領地拡大への抜け目なさを持っている。寺社勢力と問題を起こされたら困るが、その向上心を良い方向に使えば織田家の発展に寄与してくれるはずだ。

 また、与三右衛門はその粘り強い性格を活かした撤退戦が得意なので、吉法師が戦場で危機に陥ったら殿しんがり(軍が退却する時に最後尾で戦い、敵の進軍を防ぐこと)となって吉法師を守ってくれるに違いない。


「そなたたち四家老あるかぎり、吉法師の将来は安泰だ。そなたたちに我が子の未来を託すゆえ、これからも織田弾正忠家に忠義を尽くしてくれ」


 次期当主の家老職に内定された四人は、声をそろえて「ハハッ!」と叫び、平伏するのであった。


 だが、こんな時にも緊張感がないのが与三右衛門という男である。家臣の口からは聞きにくいことをズバリと質問した。


「それで、我ら家老の序列はどうなりますか? もちろん、それがしと勝介は、林殿と平手殿の下なのでしょうが」


 与三右衛門の遠慮の無さに秀貞はギョッと驚いたが、実は秀貞もとても気になっていたことであった。


 秀貞の林家は家臣団きっての勢力を持つが、秀貞本人は平手政秀の才に数段劣る。自分でも「私は、学はあるが、頼りない男だ……」という自覚がある。もしかしたら、政秀が筆頭家老に任命されるのでは……と不安だったのだ。

 秀貞は貪欲な出世願望がある男ではないが、幼友達である主君・信秀に二番手扱いされるのは、やはり嫌なのである。信秀に「お前が、我が息子の一番家老だ」と言ってもらいたかった。


 一方の政秀はというと、一番家老だの二番家老だのという序列に関心などなく、おのれの才を遺憾なく発揮できたらそれでいいと思っているので、涼しい顔をしていた。


(秀貞を二番手にしたら、大きな勢力を持つ林一族の者たちが黙ってはいないだろう。それに、俺と秀貞の間に溝ができてしまうのは、織田家のためにも好ましくない。それに引き換え、政秀は世俗の利益や出世にいっさい関心がない。二番家老でも気にしないはずだ)


 信秀も、長い付き合いで秀貞と政秀の性格は心得ている。秀貞の不安が大きくなる前に、「秀貞が一番家老、政秀が二番家老だ」とすかさず答えていた。


 秀貞は、その言葉を聞いて、「ホッ……」と安堵のため息をもらした。こっそりとため息をついたつもりだったが、全員に聞こえている。秀貞とは、そういう裏表をつくれない男なのである。悪く言えば、浅はかだった。


「それで、三番家老と四番家老は……?」


「そうだな……。実はまだ決めていないのだが……」


「で、では、ぜひともこの青山与三右衛門を三番家老に任命してくだされ!」


 ちゃっかりとした性格の与三右衛門は、ずずずいっと前に進み出て、そう願い出た。

 勝介は呆れ返り、「図々しい奴め。そんなことは、我ら家臣が決めることではないぞ。黙っておれ、阿呆あほう」と罵った。


「誰が阿呆だ、この野郎! お前みたいな後先考えずに敵陣に斬り込む猪武者に三番家老がつとまるものか! 俺のほうが、吉法師様の三番家老にふさわしいに決まっている! 名前も、与『三』右衛門だからな!」


「名前なんて関係あるか、大阿呆!」


「むむむ、また阿呆と言ったな⁉ 阿呆と言ったほうが阿呆なんだぞ!」


 喧嘩が始まってしまった。血の気が多く年が近いこの二人は、若い頃から出世競争のライバルであり、事あるごとに衝突しているのである。


 ちなみに、駄洒落だじゃれ好きの吉法師は、「名前が与『三』右衛門だから、三番家老になりたいのか。なるほど、なるほど。ふふふ……」と独り笑っている。笑いのツボが相当浅いらしい。


「喧嘩をするな、たわけ。二人とも家老候補から外すぞ?」


「ええ⁉ そ、それだけはどうかお許しを!」


「も、申しわけありませぬ……」


 信秀に叱られ、与三右衛門と勝介は慌てて謝罪した。つまらないことで喧嘩して、主君である信秀に怒鳴られ、しゅんとなるまでが毎回のお約束である。


「……生駒いこま家宗いえむねから聞いた噂によると、近々、美濃で兵乱が起きるやも知れぬ。次のいくさで大功を上げたほうを三番家老にしてやろう。それでよいな?」


「なるほど、そのほうが分かりやすくていい。与三右衛門よ、三番家老の地位をかけて小細工なしの真剣勝負じゃ。戦場で卑怯な真似をするなよ?」


「フン。お前こそ、功を焦って犬死するなよ?」


 二人とも歴戦のつわものだ。「戦功次第で地位の上下を決める」と言われたら、やってやるぞという闘志が燃え上がらんばかりに湧いてきた。双方とも、鼻息荒く「絶対に負けぬからな」「何を言うか、俺だって!」と気炎きえんを吐いている。


「頑張るのはいいが、俺が元服するまでに戦死したら許さないからな。二人とも、無事に生きて帰るように心がけるのだぞ」


 二人が戦場で無理をしそうな気がして少し心配になった吉法師がそう言うと、与三右衛門は「ご心配には及びませぬ、吉法師様」と答えた。


「三番家老になって勝介を上から見下ろすまでは、俺は絶対に死にませんぞ。ガハハハ!」


 ゲラゲラ笑う与三右衛門。思いきり眉をしかめる勝介。また信秀が怒り出さないか心配でオロオロしている秀貞。そして、そんな光景を微笑ましく思って見つめている政秀……。


 この四人が、太田おおた牛一ぎゅういちの『信長公記しんちょうこうき』において「若き織田信長の四家老」と記されている宿将たちである。

 しかし、この四家老のうち、三十代の男盛りとなった信長が将軍義昭と手を組んで室町幕府の再興を目指す戦いを開始した頃に生存しているのは、林秀貞ただ一人だった。それよりずっと以前に死去してしまう信秀には、知り得ない未来である。

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