天の道を翔る
青星明良
序
信長上洛
「尾張の織田信長という男が、大軍を率いて京に攻め込んで来るらしい」
永禄十一年(一五六八)九月。上洛作戦をとる信長軍が
すでに六角氏の諸城は織田軍の手に落ちたらしい。上洛は間近だ。尾張の田舎侍たちは京都で
「織田出張、日々洛外洛中騒動なり」
「騒動もってのほか
とあり、彼は織田軍の略奪を恐れ、宝物を御所の台所に隠した。
時は戦国。強き者が弱者を
だが、彼らは知らなかった。
織田信長という男の理想を。
信長が都とその周辺地域にもたらそうとしているのは地獄などではないことを――。
* * *
「
入京を果たした信長は、配下の部将たちに真っ先にそう通達した。
これは、上洛作戦を開始する以前から信長が幾度となく口を酸っぱくして言ってきたことである。せっかく上洛しても都で評判を落としたら木曽義仲のように破滅するぞ、などと源平合戦の故事まで引っ張り出して、家臣たちに言い聞かせていた。懇々切々と語る信長の心配と緊張が部将たちにも伝染し、兵の統率に抜かりのある部隊は一つもなかったのである。
織田軍の兵士たちの意外なほどの規律正しさが功を奏して、洛外洛中の騒動は嘘のようにおさまった。京から
そして、喉元過ぎれば熱さを忘れるとはよく言ったもので、
「信長というお人は先代将軍の弟君・足利義昭公に従って上洛したらしい。その義昭公の
「八年前、今川義元の数万の大軍をたった二千で打ち破ったらしいぞ。織田軍の足軽から聞いた話だから、間違いない」
「どのように立派な方かこの目で見てみよう」
京の人々は口々にそう言い合い、摂津方面へと出陣していく織田軍を見物しようとぞろぞろと駆けつけたのであった。
* * *
織田軍は、おびただしい数の軍旗を掲げ、京市内を整然と行進していた。
天を突かんばかりの長さの三間半槍(約六メートル強)が林をなし、火縄銃の数もかなり多いようだ。これだけの装備をそろえるには相当の財力がいるだろう。
見物人たちの中の何人かが、その威容に圧倒されつつも、「尾張の殿様は銭が好きなのかのう」と呟いていた。
黄色の絹地の旗に描かれているのは、「
「あの、馬上でふんぞり返って満面の笑みを浮かべているのが織田信長公じゃろうか」
「違うだろう。あんな猿顔の小男が数万の大軍を小勢でやっつけられるはずがない」
口さがない
「猿顔の小男」と馬鹿にされた
「わ、笑うなぁ!」
赤面した秀吉が
猿顔の秀吉がひどく滑稽だったせいで、おっかなびっくり織田軍を見物していた人々の緊張もだんだんとゆるみだしたようだ。男ぶりのいい
「……京童は噂好きだとは聞いていたが、面と向かって笑うことはないだろう。信長殿がいっさいの乱暴狼藉を禁ずると命令していなかったら、この場で無礼討ちにしてやったのに」
信長の兄である
しかし、そんな緊張感のないひと時はすぐに終わることになる。
「ヤッ、あの騎馬武者たちは――」
誰かが、張り詰めた声を上げた。
精鋭無比を誇る信長軍の親衛隊――
そして、何よりも――。
その親衛隊に守られるようにして駒を進める長身の男に、京の人々は見惚れて押し黙ってしまっていた。ぺちゃくちゃと騒いでいたならず者たちも、その男の「異形さ」に雷に打たれたような衝撃を受け、呆然と立ち尽くしている。
美貌の人、と言っていいだろう。鼻筋は真っ直ぐ整い、口は女のように小さい。頬は痩せ、
民衆たちはこの馬上の人の美しさに見惚れつつ、誰もが「このお方は異形だ」と感じていた。だが、こんなにも美しい男のどこが「異形」なのだろう。それが分からない。
「ありがたや、ありがたや。
一人の老婆が、手を合わせながら涙声でそう言った。
彼女の視線の先にあるのは、美貌の男が被っている
その兜の前立てには、牛の頭と大きな角を持つという異形の神・牛頭天王の神紋「五つ
老婆のそばにいた人々は、「ああ、そうか……」と納得する。
この美貌の人――織田
「このお方は神か人か」
と思ってしまっていたのだ。
当の信長は、民衆たちの
「亡き父から受け継いだ志を必ず果たしてみせる」
と気負いこんでいた。その情熱の炎が、信長に神々しいまでのカリスマ性を与えていたのだろう。
その信長の志というのは、たった四文字で表すことができる。
それは――「
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます