第10話 物事の奥にあるもの
「お前はこの仕事向いていない。」
辛辣な言葉を放ったのは
亮太は責任感が強く、仕事にクオリティと正確さを求め、少しでも自分の物差しからずれたりすると、たちまち機嫌が悪くなる。しかしながら今の世の中、怒ったり、言いすぎてしまうとすぐにアルバイトは辞めてしまう。辞めはしなくても、すぐに泣き出す子もいた。挙句に社員でも辞めていってしまう。
なので、亮太は込み上げてくる感情を必死に堪えながら、なるべく笑顔でアルバイトにも、社員にも接し、なるべく細かい事は言わない、というよりは言えずにいた。亮太がアルバイトや部下の社員に見せる笑顔の大半は、口角は上がっていても目尻は下がっていなかった。
亮太の本心からしてみれば、許せない事をノートに書きだしてみると、たちまち白いノートが、文字でぎっしり埋め尽くされ、真っ黒なノートに変貌を遂げてしまうくらいだった。
そのストレスの大きさは察して余りあるものだ。さらに追い打ちをかけるように、上司には、求人広告費などの人件費もバカにならないから、アルバイトや部下の社員を辞めさせるなと釘を刺されていた。
多くの企業、特にサービス業や飲食業界が抱える深刻な問題、人材不足の風当たりを、例外なく亮太の会社もくらっていた。『安い給料で、何で自分はプライベートも犠牲にしてまで、こんなに働かなくてはならないのか?』業界に携わる、特に『店長』『支配人』『主任』などの肩書を持つ者の多くの声である。
そんな事情で、出来る限り自分の感情を殺し、アルバイトや部下の社員に接してきた亮太の我慢の限界を越させ、怒りの矛先になっていたのは、部下社員のであった。
亮太との関係も決して悪くなかった。普通にコミュニケーションも取れる。ただ、亮太に対して苦手意識はあった。かの子は接客や商品の陳列などの仕事はそつなくこなす反面、在庫の数を数えたり、バイトのシフト管理など、事務的なものや数字が苦手だった。加えて亮太に頼まれた仕事や雑用等を忘れてしまう事がちらほら見受けられていた。亮太も社員を育てるという観点から、かの子に対し、アルバイトよりは若干厳しく接していたが、それでも具体的に『怒る』といった行為は今まで皆無だった。
しかし、たっび重なる物忘れと、在庫の数え間違え。数え間違えから起きた発注ミス、シフト管理のミスで、必要な数のバイトの確保をしていない、または、過剰に確保して人件費を無駄にあげていたりと、数々のミスを今まで呑み込んできた亮太の堪忍袋の緒が、ついに切れてしまったのだ。
本来融通が利かず几帳面な完璧主義者の亮太が耐えに耐え、自分の意志に背き続け、かの子が自分の頼みごとを忘れていたり、ミスをしても口角だけが上がる笑顔でごまかして、無理に溜め込んだ分、抑えが利かず、亮太の口から発せられる言葉も、辛辣な物ばかりとなってしまっていた。
「どうしたらそんなに俺が頼んだことを、ことごとく簡単に忘れられるんだ!?ふざけんなよ。バイトから社員になったんだから、もうちょっと自覚をもって仕事してほしいんだけど。何で簡単なシフト管理も出来ないの?チェックして、数を俺に伝えるだけなのに、お前を信用してシフト組んでみたら、バイトの数が過剰になってるじゃん!人件費って鉢屋が出してるの?在庫の数もちげーしよお!数も数えられないのかお前は!?お店屋さんごっこしてるんじゃねーよ。この仕事向いてないと思うよ。バイトの方が仕事できるんじゃね?」
かの子は耳を覆いたくなった。そして、深く傷つきながら、亮太の言葉を聞いていた。悔しくて、今にも泣き出したかったが、亮太の前だけでは泣くまいと、歯を食いしばり必死に堪えていた。
『雑貨が好きでこの仕事選んだのに、なんで私こんなに怒られているんだろ?なんで、ここまで言われなくてはいけないんだろう?意味わからないよ!私だって、一生懸命やっているのに!もう、数かぞえるとか、バイトのシフトまとめたりするの嫌なんだけど......お前がやれよ、おまえが!』
亮太の解放された怒りは、かの子に反省を促すのではなく、かの子の反感を買うだけの詭弁と化してしまっていた。そもそもミスをして、迷惑を掛けたのは、かの子の方だ。本来は、かの子が反省をすべきだ。反省の無い者に成長などあり得ない。
しかし、亮太の言い方は問題があり過ぎだ。かの子に反省を促し、かの子を成長させ、社員として育てなければなければならないのに、これでは捉えようによっては、パワハラまがいの文句と悪口だ。亮太にも店長としての技量不足が否めない。仕事ができるから店長なのではなく、全体を見て把握し、適切な対処と行動がとれるのが店長の品格だという事が理解しきれていないか、忘れ去られているのである。
この一件以降、その日は二人とも、業務内容の事以外で口を利く事は無かった。その二人の雰囲気は、他のアルバイトにも感染するかの如く伝わり、お店の雰囲気がいつもと違う、どこか違和感がある雰囲気になっていた。
仕事が終わり、かの子はアルバイトの女子二人とミニ女子会を開いていた。一緒に居たのは、かの子のバイト時代から一緒に働く大学生の美和とフリーターで一つ年下の
「かの子さん、辞めないですよね。」不安な表情で美和が聞いた。
「私も辞めてほしくない。」希美が美和に続いて言った。
「辞めはしないけどさ......明日から店長とどうやって仕事していけばいいのか、私には分からないよ。」
真面目な表情で、かの子は気持ちを吐露した。
「そういう事があるとねえ、確かに気まずいよね。」希美がかの子の気持ちをくみ取るように、眉毛をさげ、口もへの字にして言った。
「私に確かに落ち度はあったと思うけど、『この仕事向いてない』とか言われちゃうとさ......好きを仕事にするって、こんな筈じゃなかったんだけどな......」
かの子は小さくうつむき、こぼすように呟いた。
「面倒くさいですね、そういう場面を見てしまうと、就活が重くなってしまうんですよね。私は入った会社でそんなこと言われたら耐えられる自信......ないです。」
美和も小さくうつむき、自身の前にある、烏龍茶の入ったグラスを触りながら呟いた。
「私も、これだから正社員として働く事に、二の足を踏んでしまうんだよお。バイトの方が割り切れるというか、気が楽だと思っちゃう。」
希美は二人とは違い、上を向き、店の照明と天井を眺めながら、ため息まじりで呟いた。
三人の空気はどこか重たく、仕事の事や仕事に取り組む姿勢、亮太に対する愚痴などで時間の大半を割いていた。
「なんだか今日はごめん。でも、話せてスッキリした。ありがとう。」
女子会がお開きとなり、帰り際にかの子が二人に笑顔でお礼を述べた。
「ううん。私らだって、かの子にいつも愚痴聞いてもらってるし、お互い様でしょ。」
希美が笑顔で返した。
「私もいろいろ社会勉強させてもらってます。」美和も冗談っぽく笑顔で答えた。
「そう言ってくれて助かる。ありがとう。またね!」
かの子が笑顔でそう告げ、女子会は解散となり、各々帰宅の途についた。
── 翌日 ──
かの子は昨日の出来事を、引きずりながらの出勤となった。いくら、仲間に愚痴ったところで、根本的な回復には時間が必要だった。ふとした時に、ブックマークでもしたのかというくらい、昨日のあの光景が、かの子の記憶のスクリーンに生々しいとも思える音声と共に鮮明に映し出され、思い出す度に嫌な気分になり、目をぎゅっとつむって首を小刻みに横に振ってみたり、突如、自分の頬をつねってみたりして、嫌悪な気持ちを払拭することに一生懸命だった。
制服に着替え、出勤したことを証明する認証端末に、認証をするために事務所へ入った。そこには既に、亮太が出勤していて、亮太の姿を見たかの子は、見た感じは平然を装っていたが、内心は『げっ、さっそくご対面かよ。』と嫌な気持ちと、気まずい気持ちが交差する複雑な心境だった。
「鉢屋おはよう。昨日は、言いすぎだったな......ごめん。」
亮太がかの子と顔をあわすなり、申し訳無さそうな表情ですぐに謝ってきた。
「いいんです。私こそ、ミスが多くてすみません。」
昨日の亮太のイメージとは違う、かの子が予想だにしなかった亮太の一言に、小さな動揺をみせながら、両手をせわしく振りながら応えた。
「日頃のストレスが溜まりすぎて、心にも無いことを言ってしまった。傷つけてすまなかった。もちろん、昨日言ったことは、本心じゃない。ついカッとなってしまって......すまなかった。」
暗い神妙な表情で頭を下げながら、亮太がかの子に謝罪と釈明をした。
その亮太の素直な言葉と素直な態度は、かの子の嫌悪な気持ちを大きく払拭し、つい数秒前まで、重たくて仕方のなかったかの子の気持ちを嘘のように、すっと軽くしていた。
「私こそ、集中力や仕事に取り組む姿勢が足りなかったと反省しています。これから、気持ちを切り替えます。すみませんでした。」
亮太の真摯で素直な姿勢がかの子に自然と反省を促し、かの子が抱いていた、亮太への苦手意識も爽やかな風が心に吹き込んだように、しずかに吹き飛ばしていた。
「これからも、よろしく頼むな。今日、この後、部長が来て、俺と鉢屋と別々に面談するみたいだから、頭にいれといて。」
亮太がかの子に伝えた。そして、付け加えるように、
「忘れるなよ。」と冗談まじりでかの子にいった。二人の間には、なにか微笑ましい雰囲気すら漂っていた。
そして、亮太が部長と面談を終え、かの子が呼ばれた。事務所に入ると、部長が椅子に座っていて、かの子を自分の前に用意した椅子に手招きした。
「お疲れ様。どうだ?アルバイトと社員では仕事が違うから、戸惑いもあるだろうけど、やっていけそうか?」
部長との面談は月一程度の割合で、定期的にあった。相談事や業務連絡、報告は勿論のこと、亮太やかの子などの現場の声を聞き、本社に持ち帰り、今後の職場の環境づくりや人材育成、仕事の戦略や戦術を練る為のヒントとなるものを吸い上げていくことが大きな目的であった。
「はい、頑張れそうです。私のミスで店長の足をひっぱてしまい、申し訳なく思っています。」
かの子が率直に答えた。
「そうか、昨日の話を山田から報告された。大丈夫か?」部長が心配そうな表情と口調でかの子に問いただした。
「はい。店長から今朝、優しい言葉をかけていただいて、気持ちも随分と楽になりました。」かの子がスッキリとした表情で答えた。
「そうか、それならいい。」すこし意味含みなニュアンスで、部長が応え、話を続けた。
「山田も大分気にして後悔していたよ。『感情任せに物事を言ってしまって、彼女を傷つけてしまった』と。」
「そんな。......そこまで。」
もう済んだ事と、かの子個人の中ではスッキリしていたので、亮太が今なおそこまで思い悩んでいることに多少の驚きと、なにか申し訳ない気持ちになった。
「あいつはさ、鉢屋さんも分かっているだろうけど、几帳面で細かい、そして責任感が強いから、どうしても一人で抱え込んで、溜めこんでしまう悪い癖がある。俺も何度か、もう少し気楽にやれとアドバイスしても、本人の性格だからな、なかなか......」
苦笑いしながら部長が言った。かの子は複雑な表情をするだけで、適当な言葉が思い浮かばず、何も言えないでいた。
「あいつは独り身で、誰かと飲みに行ったりもしないから、愚痴も言えず、一人で抱え込んで、結局溜まったものが溢れ出して、爆発しちゃんだよな。」
何気ない、部長のこの一言に、かの子ははっとした。昨日の自分を思い出したのだ、自分は美和や希美に愚痴を聞いてもらい、帰ってからも実家暮らしのかの子は、母親に愚痴を聞いてもらっていた。そして、今日優しい言葉を亮太にかけられていた事で、昨日の今日の事なので、全快とまでいかないが、亮太に対するモヤモヤもだいぶ消えていた。
ところが亮太はどうだ?亮太はいつも最後まで一人で仕事をし、飲みに行く時間も無ければ、相手もいない。彼女が居るとも聞いたことがない。全部自分で抱えて、自分で消化しなければならない。
言いたいこともこのご時世じゃ、言葉を選びながら、自分を抑えて慎重に発言しなくてはならず、挙句に私がミスして、敗戦処理をするのはいつも店の責任者である亮太だ。
『なんてことだ......』
かの子は心で呟き愕然とした。少しだけ物事の奥にあるものを覗いたとたんに、いままで知る由もなく、知ろうともしなかった真実と実情が見え始め、かの子の頭の中を急激に、これまでの数々の亮太の仕事をする場面、自分がミスした時、アルバイトがミスをした時、その敗戦処理を淡々とこなす亮太の姿、それでもアルバイトや自分に対して、時に褒めてくれた亮太の姿が思い浮かび、その奥にある見えない心境が見えた気持ちになり、かの子はキュっと胸が痛くなった。
その日の業務は、亮太の出す指示という指示をノンミスで乗り切り、亮太に対する返事も素直な、キレのあるものだった。店も閉店し、閉店作業を終え帰宅しようと、出退勤の認証をしに事務所に入ると、亮太が一人パソコンと向き合い仕事をしていた。
「まだ、上がれないんですか?」かの子が亮太に聞いた。
「うん。来月の『平成最後の文具・雑貨市』の人員計画だけして帰るよ」パソコンを見つめたまま、かの子に返事を返した。
「私、手伝う事ありますか?遠慮なく言ってください。」かの子の口から自然と発せられた言葉だった。
「えっ!?めずらしい。いつもはすぐ帰るのに......部長に何か言われたのか?」
亮太はかの子の方に振り返り、目を丸くして、少し驚いたような表情でかの子に問いただした。
「別に何も言われてないですよ。ただ......店長は何でもかんでも、いつも一人で抱え込んでると感じたんです。」
かの子が真面目な表情で、亮太の目を見ながら言った。
亮太は、普段のかの子からは考えられない気遣いと、自分に対する優しさに驚いた。デスクに向いていた椅子をかの子の方へ向け、かの子の正面を向き、静かに語り始めた。
「たぶん部長から、何か言われたんだな。ありがとう気遣ってくれて。でも、本当に大丈夫だから、帰って身体を休めなさい。」
かの子は何故だか分からないが、亮太の『帰って身体を休めなさい。』という一言に、何かぐっとくるものを感じていた。何故だか分からないが......それはたぶん、今まで気が付きもせず、見ようともしなかった物事の中身を、今日初めて見たことで、亮太の持つ、本当の優しい部分を垣間見た新鮮な気持ちがそうさせたのだろう。
かの子は、またも言葉が見つからなくなっていた。『ありがとうございます。』と一言返せばいいだけの事なのに、なんと言葉を返していいのか本気で分からなかった。
少しの沈黙の後、亮太が再び話し出した。
「俺はさ、仕事のクオリティを大事にして、正確さばかりか、完璧さも求めている。それを鉢屋や、アルバイトさんに求めてしまい、自分の物差しからずれるとイライラして、ストレスを溜めてしまう。はけ口があればいいんだけど、見当たらないし、どう愚痴っていいものか、正直分からないんだよな。その事で、鉢屋やアルバイトさんには今まで、本当に嫌な思いをさせてきたと思う。昨日、鉢屋にキレてしまった後に、自分のあり方を考えて、本当に後悔したんだ。」
亮太が神妙な面持ちで言った。かの子は相変わらずただ押し黙って、口を真一文字にして、その亮太の言葉を聞く事しか出なかった。適当な言葉が見つからないままだったからだ。その中でも、ぼんやりとではあるが、気が付き始めたことが一つだけあった。それは『亮太は不器用な人』という事だった。一見、器用そうに見えるが、見えていなかった中身を見たかの子にはそう思えていた。しかも、ある意味自分より不器用な人だと感じ始めていた。
「だから、俺の存在なんて、ただ店長として置物みたいに居るだけの存在でもいいと思ったんだ。でも鉢屋は違う。アルバイトさんに慕われ、俺には無い大切な存在として、この店に必要なんだよ。決して被害妄想とかで言っているんじゃない。俺は店長として店長の仕事を全うするだけの存在でもいい。でも、鉢屋が居ないとそれは成り立たないんだ。大切なアルバイトさんの拠り所でもあり、寄り添いやすい身近な存在なんだ。俺は立場上、甘い顔ばかりできない。時には厳しく接しなければいけない。だから頼むな鉢屋、ミスしても、頼みごとを忘れても構わない。この『このはずく』を、お客さんにも従業員にも愛されるいい雰囲気のお店にする為に、一緒に協力してほしい。」
穏やかながらも真剣な表情で、かの子に訴えかけるように亮太が言った。
どちらかといえば、人と目を合わせて話をするのは、苦手なかの子だったが、亮太の真剣な目に自分の目を合わせても、今は不思議と大丈夫であった。そして一言、
「はい。」
かの子は首をこくっと縦に振り、シンプルな返事を返した。でも、そのシンプルな一言に込められている気持ちは、普段の『はい』の比にならないほどの気持ちが込められていた。
真摯に自分の過ちを認め、かの子を『大切な存在』とし扱ってくれ、自分は邪険にされてもかまわないという、自己犠牲の垣間見える亮太の言葉に感心し、何処か心を奪われるような気持ちがかの子のはあった。いままで生きてきた中で、自分の存在をここまで認められたことも無かった。くわえて亮太の不器用さが、かの子の心を揺さぶって仕方がなかった。
かの子は『はい。』といった後に続けて心の中で、こう呟いていた。
『苦手だったはずなのに、あなたのことが好きになりはじめたの』
と、かの子の恋の始まりを告げていた。
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