その時あふれる

蛭間 あひる

第1話 キツい女

「木嶋課長、マジでキツいです。」

もう、何回も聞いた言葉である。私は、物事をハッキリ言う。

それが、その人にとって、一番の親切だと疑わなかったからだ。でも、31年間、疑う事すら無かった私の信念が、大きく揺らいだ。

大きく揺らいだ分、自然と涙も出始めていた。

それは、この落ち着いた喫茶店で、先程から流れているショパンとも、バッハとも誰かは分からないが、悲しげに、静かに奏でられるクラッシック音楽が、私の気持ちをさらに泣かせる方向へ誘導している影響も否めない。人前で泣いた事なんか、小学五年生の時、クラスの男子に、成長し始めた私の胸を面白半分で、鷲掴みにされた時以来だ......。


【何で、わたしは泣いてるんだ......。】


実来みくは、すぐに気が付いてはいたが、認めたくなかった。

いや、正確に言えば認めるのが怖かった。


大卒で入社して今年で九年。課長を務め、責任感が強く、気も強い方。

立場上、部下には厳しく、自分にも厳しく、上司にも、納得いかなければ、とことん噛みつく。プライベートでも、ハッキリ物事を言い、白黒ハッキリしないのは、許せない性格だった。他人からしてみれば実来は、取っ付きにくく、プライベートでは、出来れば一緒に居たくないと思わせてしまう人柄だった。

入社以来、付き合った彼氏は一人だけ、僅か二ヶ月で破局した。理由は、

「実来と一緒に居ても、気が休まらない。」

だった......。でも、傷も浅ければ、涙も出なかった。それは、実来がまだ、二十代前半と若かった事もあるが、

【彼の成長を願って、彼の事を想って、彼に対して、何でも正面からぶつかっていったのに......。分かってくれないのなら、こっちから、願い下げだわ。】

と、そう思っていた。

なのに、今は「キツい」と言われ、泣いている自分が居る。

何度も何度も耳にした、聞き慣れた自分への"評価"にも、関わらず。


【わたしは誰にもわたしを分かってもらえない。わたしは、みんなが嫌いな訳じゃなく、むしろ好きだから、嘘、偽りなく本音で接してるだけなのに。分かってもらえないのが


と、始めて自分の心の奥に置き去りにしていたを認めたのだ。

確かに私はキツいし、他人ひとに対して、許されない暴言を吐いた事もあったし、傷つけもした。今ではパワハラと言われても仕方がないほどに。

私に傷つけられた人達は当然、私から離れていった。しかも、私に傷つけられても、私を傷つけようとはせず、静かに黙って去って行った。

実来は、自分の心の倉庫の片隅に隠し続け、目を背け続けていた本心の扉を開けたとたんに、後悔と自責の念にかられ、そして、"本当はわたしは弱い"という本当の姿を発見してしまい、細胞が突然変異を遂げたかのように、今まで感じることの無かった言い知れぬ不安に襲われた。

そこには、鬼課長の木嶋実来の姿ではない、一人のになった木嶋実来がいた。

そして、また、目の前に居る、部下の男にハッキリとキツいと言われてしまった......。

実来は正直さみしかった。

そして、この人も、私から離れて行くのだろう......。なぜ、わたしは立ち止まらなかった?なぜ、もっと早くこの心の扉を開けなかった?後悔ばかりが実来を攻めたてていた。

心の扉を開け、もうひとつだけ、実来が気が付いた事があった。それは......、今自分の事を"キツい"と言った、目の前に座って、コーヒーを口にしている部下の彼が"好きだ"という想いだった。

それが、子供の時以来、人に涙を見せたことのない実来が、思わず涙を見せたもう一つの理由だった。

せっかく彼に対するわたしの本心に気が付いたのに......。

"彼も、離れていってしまう。"そう実来がしかけた時だった。

部下の彼から意外な言葉が語られた。

「不器用なんですよね~。

木嶋課長が言ってる事は正しいと思います。仰られている通りだと思います。ただ、伝え方が不器用で、周りが付いていけなかったり、反発しているだけです。

僕がフォローしますよ。僕は課長について行きます。」

部下はコーヒーを一口飲んだ後、少しだけ笑顔を浮かべながら、そう実来に伝えた。

彼は、正しいことを言っているのに、彼女の"キツさ"のせいで、みんなが素直になれず、反発を招き、孤立して、ふと見ると、いつも何処かさみしそうな実来を放っておけなかったのだ。


気が付けば、実来は、生まれて初めて、人前で大粒の涙を流していた。

そして、実来は、"人に優しくなろう"と決意し、彼への想いも"大切に育んでいこう"。そう決意した。

人は他人ひとを変えることは出来ないが、気付きと決意があれば、自分は変幻自在に変えることが出来るのだ。


コーヒーは冷めてしまっていたが、実来にとっては最高に温かいコーヒーに思えていた。

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