第4話
後から母に聞いた話だが、学校でチラシを貰ってきた俺が演劇をやってみたいと言い出して聞かなかったらしい。自己主張の少なかった俺からすると、珍しかったらしく、喜んでOKしたのよと教えてくれた。
鏡張りのダンススタジオみたいなところに入った俺は、目を見張り怖気づいた。部屋には二十人ほどの女の子が楽しそうに談笑を楽しんでいる様子が広がっていた。様子を見るためについてきた母をちらりと見上げて助けを求めた。この頃から女子が苦手だったのだ。当時の俺の、おそらくつぶらであったろう目に見上げられた母は、我が子の不安を打ち消すためになんでもないよと訴えかけてきた。もう引くことができないと悟った俺は、少ない勇気を振り絞って挨拶をしようと息を大きく吸い込んだ。
「こんにちは!」
緊張で混乱する中、やっと出した勇気をすんでのところで止められたような気になって声の主を探した。やたらとケバい長身のおばさんが、ハイテンションで手をふり近づいてきていた。
「こんにちは!」
おばさんはもう一度言うと俺に目線を合わせるためにしゃがんだ。俺が吸い込んだ息は、行き場をなくして体中を彷徨っていた。
「ほら、挨拶は?」
沈黙に耐えかねた母が俺の背を少し強めにトンと叩いた。肺にこもっていた息が口から一気に飛び出る。はう。と変な声が出たものの、母のおかげでやっと話せる状態になった。
「こんにちは。」
聞こえるか聞こえないかギリギリの声で出たかすれ声は、十分に息を吸い込まなかったことが原因だった。それでも、初対面のおばさんは笑顔で頷いてくれた。
「私は安藤雅美といいます。安藤先生って呼んでね。君は、竜也くんだよね?」
母には丁寧に、俺にはフランクに話してくれる、優しそうな人だなあと思った。
鏡の前に安藤先生が立っていた。俺含め今回の演劇に参加することを希望している人たちは、先生の前に半円を描くように体育座りで集まっていた。先生はその半円をぐるりと見回すと笑顔で話し始めた。
「今までいろんなワークショップをやってきましたが、今回チャレンジの意味も含めて演劇公演を行います。みんなそれを聞いて集まってくれたんだよね。新しい顔がいくつも見えます。」
今までのワークショップで常連であったろう、ダンサーみたいな見た目の中学生かどうか位の女の子や二十代位の女性うふふと笑う。先生は、ハイハイ静かに。と手を二、三度叩いた。
「今のままで内緒にしていたことですが、ここで今回行う演劇公演の演目を発表したいと思います。」
勢いをつけて先生が言うと、部屋の隅っこに座る地味な見た目のおばちゃんが、いよっ。と言いながら拍手を始めた。俺が、あの人も常連なのかなとか思ってさっき笑っていた女の子たちの方をちらりと見ると、
「あれだれ?」
「なんであんな離れたところに座ってんの?」
とかコソコソ話していた。どうやら常連ではないようだけど、安藤先生も気にしていないようだし誰もその人に触れることができないでいた。
「では、演目を発表します。では、清美さん!お願いします。」
「キヨミさん?って誰?」
常連の女の子たちはまたコソコソ話し合っている。うるさいなあ。と思ったと思えば、はいよはいよ。と言いながら、さっきの地味めなおばちゃんが前に出てきた。え?あの人が清美さんなの?てか何をする人なんだろう。あの人が発表するのかな。そんな様々な疑問が生まれる。
「今回の演目は…『どんぐりと山猫』です!」
もったいぶって発表した清美さんだったが、話のインパクトは清美さん本人全部持っていかれていた。
数秒遅れて俺は思った。『どんぐりと山猫』って何?
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