KNHT DX3rd

@kunihata

幕間

見積梟と檜森アオ -あなたが大嫌い-

陶器の器に波紋が広がっていく。

白い指を水面からそっと離し、指の腹を擦り合わせて乾かせる。はぁ、と一息吐き出し、集中して吸い込む。もう一度。

見積みつもりきょうは縁側で器に注がれた湧き水と対面している。全神経を指先と水面に集中させ、手をかざす。頭の中でイメージを膨らませる。触れた指先に水面が張り付く。指を引けば水は重力に逆らって、水銀柱のように持ち上がる。見積の家の子であれば物心つく頃には自然とできる芸当。梟はもう高校生なのだ。できないはずがないのだ。

指は、しかし、冷たく濡れた感触だけを梟へ返す。何度繰り返しても、物理法則は―――少なくとも、この水の物理法則は覆らない。代わりとばかりに、庭でつむじ風が吹き荒れる。梟の心境を反映するように、風は時折鋭いかまいたちとなって砂に模様を刻んでいく。

「何してんの?」

顔を上げれば、好奇心に彩られた一対の瞳が梟を見返していた。日本人離れした鮮やかな鳶色の視線は静かな水をたたえた器と梟を交互に見る。

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「そりゃ、無理じゃない?ボクにだってできないよソレ」

それは、そうだ。あなたは檜森の娘なのだ。口には出さず、内心にとどめておく。それを言うなら僕もそうだ。僕は見積の血を引いているわけではない。


防人さきもり一族は東北に隠れ住む異能力者の血族集団だ。

火を司る東の檜森ひもり家。

風を司る南の禍是杜かぜもり家。

水を司る西の見積みつもり家。

土を司る北の槌盛つちもり家。

この四家からなる防人一族は、書物が歴史を書き残すようになる以前から胡乱なまじないをなりわいとしてきた。卜占、陰陽術、易経、六師外道…種々の技術・思想は外部との交流から持ち込まれると渾然一体となって咀嚼され、彼ら独自の御業ものとして昇華されてきた。近年になり、レネゲイトウィルスの発見、UGN発足を経て、一族の長はコードウェル博士と対談。彼らの技術とレネゲイトの関連性に気づき、UGNへと合流した。

僕、見積梟はUGNエージェントだ。見積の代表としてUGNに参加している。目の前にいる檜森の娘、アオを含めて、一族の能力者は皆オーヴァードだ。一族の古いオーヴァードは古代種に感染しているが、僕たち若い者は10年前から世界に拡散された今のレネゲイトの方が色濃い。そのあたりの事情はよく知らない。何せ気づいたら力が目覚めていたのだから。

「僕は見積の跡取りですから、水を扱わなければならないんですよ」

言葉を選び、紡ぐ。

本来、僕は禍是杜の家の生まれだ。禍是杜家を継ぐ実兄はエージェントとして外に出ている。生まれて間もなく、子に恵まれぬまま年老いた見積家の家長夫妻へ養子として引き取られた。血の繋がった親は親戚と同じような距離にいるし、血の繋がらない義父母は実のとして僕を扱う。

それが見積梟の立ち場だった。体が子を産む準備を始めても、あふれ出る力が風ばかり好んでも、胸が膨らんでも、水に嫌われても、見積梟は水を司る家を継ぐ長男なのだ。

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「だからソレがおかしいんじゃん」

ああ、彼女はスパッと言ってくる。僕が、見積の父と母が、必死に目を背けていることを。

「きょーの風は好きだよ。力が湧いてくるんだ。UGNだってそういう評価してるんでしょ」

事実、霧谷雄吾UGN日本支部長は僕を戦闘におけるサポート要員として重用してくれている。前線の戦闘員へ追い風を送り、戦場をコントロールすることが今の僕にとっての主たる仕事である。

「それはそれ、これはこれなんです。僕は見積の…」

「そんなの大人が勝手に決めたことじゃん。きょーだって別にやりたくてやってるわけじゃないんでしょ」

ああ、彼女はそうなのだ。サラマンダーシンドロームを発現し、火を司る檜森家でも十世代に一度といわれる火術の天才。

あなたは、やりたくなくてもできてしまうからそんなこと言えるんだ。

不意にこみあげてきた言葉を飲み込む。疲れている。こんなこと考えるなんて。

「あかね様はアオが後を継いでも継がなくてもいいっておっしゃってましたけど、それと違って、見積には僕しかいないんです」

「あのネグレクトウォーモンガーは関係ないでしょ」

アオが口をへの字に曲げる。檜森あかねは強い女性だ。代々防人一族をまとめ上げる禍是杜の家長が空席の今この時にあって一族をまとめる手腕も、相手を隠したままアオを産み、ここまで育ててきた精神力も、それを一族の老人たちに認めさせたカリスマ性も、いずれアオは継承する。そうしようとせずとも、彼女は母の背を見て育ったし、ともに育った僕はその片鱗を垣間見てきた。彼女は母を超えるとさえ思う。

「きょーしかいないからって、きょーが犠牲になることないよ。ボクがショウザンの爺ちゃんに掛け合う。きっと爺ちゃんなら見積のおっちゃんもおばちゃんも説得してくれるし、きょーは好きなこと…」

「かってなことしないで」

低く、ねじれ、心の澱の底から這い出てきたような声が聞こえる。これは自分の声か。そう気づいてはっとアオを見る。アオは先に僕を見ていた。目を逸らす。

「………ごめん、何でもない。でも大丈夫だから。ご隠居様は里を出ていったし」

「勝手だよね。うんうん。わかってるよ。押しつけがましい真似だよね」

お願い、掘り返さないで。押し込めてきたんだから。吹き出してしまうから。

「ちょっとさ、リラックスして考えよ。ケーキあったかな。持ってくる」

「いりません」

ぴしゃりと口から吐き出す。やめて。止まらなくなっちゃう。

「気分転換しなよ。一緒に服でも買いにいこっか。そんな古臭いもの着てるから考えも凝り固まっちゃうんだよ」

アオはわかっていってる。そんなに聞きたいなら。ダメ。彼女の言ってることは一理ある。僕の言い分は。大人の対応だ。聞き流せ。息が上がる。言葉がまとまらない。

「僕は見積のです。跡取りなんです」

「きょーは禍是杜のでしょ」

「アオ、僕は君が嫌いだ」

止まらない。目が熱い。水が、ああ、自分の体からあふれる水すら制御できない。

ぼくを女として扱う君が嫌いだ」

声が震えてか細くなっていく。息が整わない。鼻が詰まる。

「大嫌いだ」

依って立つところもなく、こんな子供じみたことしか言えない自分が大嫌いだ。

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結局、僕にも彼女にもどうしようもない歴史の重みなのだ。アオに器の水で強制的に顔を洗わされ、差し出されたタオルに顔をうずめながら考える。

「ごめんね」

彼女はコンプレックスだと公言する胸に僕を抱きかかえてあやす。厳格な見積の母も遠い人となった禍是杜の母もこうして抱いてくれた記憶がない。

「アオは間違ってません」

「きょーは間違ってると思うの?」

「………これしかないんですよ」

生まれた時から自分のさだめは決まっている。アオ、あなたにはわからないでしょう、いや、わかってほしくない。せめてこの苦しみだけは。

「ケーキ、頂けますか」

同い年の少女に抱かれて、僕は心の澱に向き合い、見つめながら蓋を閉じた。

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