伸縮自在の怪異『スレンダーマン』

「約束が違います……。佃先輩は助けてくれるって、そう言ったじゃないですか……」

 鋭利な管をあてがわれた背中越し、私は恨みを吐きました。

「降り掛かる火の粉は払う。それだけの話だ」

「……ちゃんと、助けてください。それが条件です」

「約束しよう」


 立ち上がり、加治に向き直りました。この胸の痛みを抉り取ってくれるなら一石二鳥の取引です。両腕を広げ、渾身の力を篭めて睨みました。

「いつでもどうぞ」


 半透明の管――――ナイフのように鋭利な触腕が鎌首を擡げました。

 私が見ていられたのはそこまで。いつかの御守りを握り締めて、ギュッと瞼を瞑ると堪えてきた物が溢れ出してしまいます。それみたことか。こんな御守り、全然効かないじゃないか。……そんな口喧嘩ができる相手も、もういないのです。



 ――――不意に後ろへ引かれて、尻餅を付きました。

 ハッと瞼を開けば大きな背中。

 仁王立ちした部長が、私の身代わりに貫かれているのです。

 血の滴る触腕を引っこ抜いて束ね。

「こうすれば我輩にも見える」

 グッ、と手繰って一回転。ハンマー投げの要領で触手の先に繋がった加治ごと廃機材の山に叩き込んでしまいました。あんまりにも無茶苦茶な所業。


 尻餅をつく私に差し伸べられた手は冷たくて。硬くて。生きているようには感じられません。既にグールなのかもしれない。そんな予感に反して私は抱き付いていました。

 冷たい手が、背中を優しく擦ってくれます。


「……全く手の掛かる部員だ。おちおち死んでもいられない」

「ああ、ああ! 耕太郎さん! よかった! よかったよぉ!」

「普段からこれぐらい可愛げがあれば良かったのだが」

 はた、と我に返りました。……一生の不覚。ぐっ、と彼を押しやります。

「……元気じゃないですかっ! 心配して損しました!」

 そう言って睨むと彼は愉しげに微笑んで、こちらを無遠慮に撫でやがりました。



「全部、思いだしてしまったよ」

 部長は呟きました。廃機材を押しのけ、中から這い出してくる加治を眺めて。


 そういえば、どうして奴を投げ飛ばせたのでしょうか。

 妖怪扉を蹴り壊すほどの力。白煙の中でグールを倒せるほどの力。

 本来の彼は、私を抱えて跳ぶことすらできない、どうしようもないもやしさんのはず。


 その答えは周囲に渦巻いていました。

 掌サイズのイナゴが、黒いサイクロンの如く飛蝗を成して、グールの群れを蹴散らしています。噛み付き、喰い千切り、血を啜り。ミイラとなって倒れていく死体達。

 反撃しようと藻掻く群衆の姿には見覚えがありました。

 防犯カメラに映った怪人の正体は――――。



「キミだったのか。スレンダーマンは」

 半透明の鞭を振って飛来する蝗を両断しながら、竜巻の中心に向かってきます。「キミには実に感謝している。社会のゴミをこちらへ回してくれたお陰で、素材には事欠かなかった」

「貴様も断罪すべきゴミの一人だ。加治健斗」

「目的は復讐か? なるほど。柚木をった下手人が分からぬから、めぼしい悪人を無差別に。だとすればお門違いだ。私は検死に立ち会っただけ。殺した者は別に居る」

「ではなぜ自殺で処理した? そのせいで碌な捜査も行われなかったんだ。……あんな常軌を逸した死に方で。何より彼女が自殺などするものか」

「もっと上からの指示だ。……キミの事件とてそうだろう? 集団昏睡。魂魄が喰い千切られたとは書いてない。……そんなものを集めて何に使うのか」

「――――今、教えてやる」


 血を吸い尽くした蝗が紅い霧と化し、彼に吸い込まれていきます。

 死人のようだった体は熱され、あちこちがボコボコと膨らんでいきます。

 まるで沸騰。触れていられません。


 肉も骨も肥大化を続け、遂に服が引き裂けました。

 胸には天秤に似た紋章が灼々と輝いています。

 それは明らかな、怪物ルディクロの証――――。


「チッ。面倒な……!」

 加治が両腕を振い、無数の触腕がビームのように広がりました。

 ザシュシュシュシュッと貫かれて尚、部長の肉体は成長を続けます。

 場内を揺るがす咆吼が一つ。


 刺さった触腕は膨張する筋肉に圧され、残らず外へ弾かれました。

 皮膚は硬質化して緑に変じ、黒金の棘が肉を食い破って両肩から飛び出します。

 背中からは更に多く、棘々具合はヤマアラシのよう。

 元々高かった背丈は3メートルを有に越え、赤い複眼を備えた怪物の顔に彼の面影はありません。絶大な威容を一言で形容するなら『甲殻巨人』。


   ◇


 巨人の太い脚部がスプリングに変化しました。

 グッ、と沈み込んでから砲弾のように飛び出します。


 加治は革靴を踏み込んで、人間業とは思えない跳躍力でそれを避けました。

 しかし部長は躱された先からの更にバウンド。

 瞬く間に加冶に追いつき、コンクリに叩き付きました。

 その威力はクレーターが出来るほど強く。最早人の戦いではありません。

 

 ボロボロの白衣を翻し、下に着込んだ黒いカソックから近代的なクロスボウを引き抜く加冶。

 銀の尾を引いて連射される弩の矢。跳ぶ巨人に着弾、爆発。

 炎の渦を抜けて現れる部長の拳と、十字型の大剣が激突しました。

 巨人の膂力は圧倒的で、大剣で踏ん張る加治の足元が見る間に砕けていきます。

 硬質化した緑の外皮には傷一つありません。

 力量の差は明らかでした。


巨人型半獣タイプ・ヘルギガース……ッ! 幾度となく屠ってきたが、キミの珠力じゅりょくは群を抜いている。さぞかし強い恨みなのだろう……!」

「我輩はただ、守りたいだけだ! 今度こそ……!」

 部長は、彼の物とは思えないノイズ掛かった低音を発しました。

「譲れないのは、私とて同じだ!」


 半透明の触腕がクロスボウを操ると、それはまるで念動力のようでした。

 撃ち出される銀の矢。

 複眼は難なくぶち抜かれ、内部で炸裂。


 頭半分が吹き飛び、脳漿が弾ける光景に目を覆いたくなる一方、なおも倒れない巨人から目を逸らせません。

 投擲される大剣。巨人はそれを紙一重で躱して掴みかかります。

 豪腕は鞭に絡め取られ、ブーメランのように戻ってきた十字の大剣に切断されました。

 瞬く間に死に体の巨人。


 残った複眼にクロスボウの切っ先が向けられて。

「洗礼を受けたやじりは効くだろう? かつては私も祓魔師ふつましの端くれだった。魔獣の類いに遅れは取らない」



「――――たぁぁぁ!」

 鉄パイプを握り締め、加冶へ突撃する私。

 武芸十八般は乙女の嗜み、お爺ちゃんに教わった冷器術を今こそ!

 頭めがけて振り下ろす、その途中で鉄パイプは輪切りに。

 鋭い蝕腕が刹那の速さで私の得物を細切れにしたのです。

 あっという間に四肢を絡め取られ、空中で身動きがとれなくなってしまいます。


 加冶は私を縛ったまま、巨人の頭を吹き飛ばすべく、矢が撃ち出し。

 ――――遮られました。

 巨人の左腕に。

 先程斬られたはずの腕。――――もう生え替わってます。

 強靭な外皮は爆発を物ともせず、重い拳骨を振り落としました。

 グシャッ、と潰される加冶。

 私に絡んだ蝕腕も力を失い、ドサッと解放されます。


 巨人はペシャンコにした加治を掴むと、工場の壁でガリリと摺下ろし、地面に叩き付けます。自身は高く跳ね、天井でバウンド。猛烈な勢いで加治を踏み抜きました。

 死んでしまうのではないか、という衝撃を受け、まだピクピクと動く加治の触腕の一本を掴み、豪腕でブチンッと引き千切ります。

 痛ましい絶叫が工場内に響きました。


「事件を偽装している『上』とは誰だ。答えろ」

 激痛にのたうつ加治を捕まえてもう一本。――更にもう一本。

 まるで虫の足をぐかのように無感情な動作で尋問する彼に、私が恐怖を覚えなかったと言えば、嘘になります。


 まるで冷徹な拷問官のよう。

 品性の歪みを感じます。

 加治の右腕を取ると、なんの躊躇いもなく握りつぶしました。

 ゴキャッ、と骨の砕ける嫌な音。千切れた血肉の破片で緑の外皮を染めながら、今度は左腕を掴んで。


「こちらも義手なら良いが」

「やめろ……! 『人類保全機関』だ! 名を出させるな! どこで聞き耳を立てているか分からない!」

「聞いたことがないな」

「当然だ。『機関』は人外の排除と秘匿を主とする秘密結社。しかし一度接触すればどこまでも影が付き纏う。――キミやアナのような人外の存在を、決して放っておかない連中だからな」

 踏み付けられる加治に、蝗が噛み付きました。

「おい、話しただろ!? 頼む、待ってくれ! 俺が死んだらッ、誰がアナを救えるんだ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る