棺の中に眠るのは
私達は薄暗い通路を進んでいました。
いざというときは警棒代わりになる頑丈な懐中電灯を頼りにしながら。
宙を漂う埃の先にグールがいないことを頼るばかり。
工場内にはそこいらの心霊スポットなど比較にならないほどの気配が蠢いていました。
じとりと嫌な水気が纏わり付く共同トイレの前を早足で通過し、鉄錆の臭いが鼻を突く資材加工室を調べようとする部長を必死で押し留め、大きな姿見に映るものは見ないフリ。
全部ヤバい。出会えば即死系の香りがします。グールなんて可愛いもんです。
床板も腐りかけていてフカフカと軋み、そこら中が穴だらけ。部長の歩調に合わせて跨いで行くと、床下から粘っこい視線を感じるような。スカートの中を覗かれてるような。……気のせい、気のせいです。触らぬ神に祟りなし。もしも妖怪だとしても、恥ずかしがれば思う壺。私は平静を保ちました。
「……芥川君? どうした? 顔が真っ赤だぞ?」
「えっ!? ……べ、別に何でもありませんよ?」
彼に指摘され、思わずスカートを抑えてしまいます。
こんなにも意識が下に向いてしまうのは、誰のせいか。
――――そんなことは分かりきっていました。
やがて辿り着いた板チョコみたいな大扉の足元を照らして、部長が屈みます。
「埃に跡が付いてる。ごく最近開かれたのだろう」と、そう言いたげなジェスチャー。
そろり、と開いた室内も内側から目張りされていて真っ暗。
重厚な机、革張りの椅子、背後には本棚、歴代の社長らしき写真が飾られ、金属製の棚から零れた資料が絨毯に散乱しています。吸血鬼の姿はありません。
「あてが外れたか」
「ねえ部長。この扉はなんでしょう?」
「……扉? それは壁ではないのか?」
ぼんやりとした輝きを放つ扉を指差した私に、部長は首を傾げます。――いやいや、どう見たって扉じゃないですか。ここにドアノブも付いていますし。
そう言ってドアノブを握った手が、握り返されました。骨と皮だけの冷たい手に。
ノブとすり替わった死人の感触。ゾワッと総毛立ち、反射的に跳び退こうとして、それは叶いません。強く握られ、先割れした爪が食い込んで、痛い。私はタタラを踏みました。
ドアが肉色に変じ、瞼が開くように現れた巨大な瞳が私を映します。瞬間、金縛りのように全身が引き攣り、悲鳴すら喉元で止まってしまうのです。
「芥川君? どうした? 大丈夫か? おーい……?」
何も答えられません。亡者の手が私の深い部分――魂魄とも言うべきものに爪を食い込ませ、引き抜こうとしています。主観が、身体からベリベリと剥がされていくような感触に、どうすることもできません。これはドアの姿をした妖怪なのだと気づいた時には手遅れで。
「どりゃああああっ!!」
蝶番がぶっ壊れ、彼に蹴倒される肉色の扉。……無茶苦茶です。見えないというのは無敵なのかもしれません。彼は私を抱き留めて「大丈夫?」と問いました。
「お、お陰様で……」
「良く分からないが……、これは確かに隠し戸であるな」
肉色の扉が倒れたことで長方形に刳り貫かれた穴が残り、彼の見据える先には暗い空間に続いていました。
◇
私達は懐中電灯の明りを頼りに、奥へ奥へと進んでいきます。
ベルトコンベアがラインを作る用途不明の機械群。縦横に巡る配管。断線した電源装置。
立ち並ぶ機材は埃が層を成すほど長い間放置されているようでしたが、私達が身を隠しながら進むのにはうってつけでした。
上に伸びる配管を追うように照らしてみると、天井はかなり遠く、4,5階分の高さが吹き抜けになっています。
そして、場内を見下ろすように囲む金網の足場。それが回廊を成す二階と、私達のいる一階の壁面が所々で長方形に発光しています。あの妖怪扉です。
部長にそのことを告げると、彼も奥を指して。
「こっちも見つけた」と呟きました。
暗い円柱に囲まれた場違いの祭壇。中央に鉛の棺桶が安置されています。
二人でひーこら言いながら重たい棺の蓋をずらすと、中には真っ白な女性が横たわっていました。艶やかな肌を際立たせる黒のゴシックドレス。棺を埋め尽くす色取り取りの花々を添え物にしています。月光を編んだように煌めく髪、鮮血に似たルージュ。降りた瞼、長い睫の一本一本まで計算尽くで配されたかような完全性には、触れがたい神々しさがありました。
――――美の極致体。
不意に浮かんだそのフレーズこそ相応しい。見目の麗しさに呑まれ、あれほど乱れていた自分の呼吸がピタリと止まっていることに、暫く気づきませんでした。そして目の前の女性が静かに胸を上下させていることにも。
死体ではなく、棺で眠る酔狂な美女。
「……彼女が、そうなんでしょうか」
「間違いないだろう。そして、これで終わる」
部長はそう言って、銀の杭を彼女の胸に突き立てました。右手には槌。
振り降ろす前に手を出して遮ります。
「ま、待ってください! 退治って、本気で殺すんですか!? そんないきなり……!」
「見たくなければ離れていたまえ。千載一遇の好機だ。今を逃せば次はない。……我輩は、キミも、部員たちも、失いたくないのだよ」
「こんなの分かりやすすぎます! 吸血鬼しすぎてます! 何かの罠かも――――」
「随分肩を持つではないか。家を燃やされ、グールに殺されかけたというのに」
「……私、色んなお化けを見てきましたけど、彼女からは、あんまり嫌な気配が」
言い争う私達の傍らで、眠り姫が顔を顰めました。
危ない。
私達は足並み揃えて脱兎の如く。棺から離れ、円柱を盾にして様子を窺います。
女性が起き上がる様子はありません。
「お、大声出さないでくださいよっ。起きちゃうじゃないですかっ」
「そ、それは芥川君だろう!? ……というか、何を抱えているんだ?」
逃げる最中、咄嗟に縋り付いたのでしょう。一抱えほどもあるガラス瓶を懐に抱いていました。不意に部長が照らしたその中身は、眼球でした。視神経の繋がった人間の目玉。
「――――ひゃぁっ!?」
思わず投げ捨てて、ガシャンッ! とホルマリンごと撒き散りました。
円柱に飛びつく私。れ、冷静に。冷静になれ。ただの目玉です。敵ではありません。大丈夫。ひんやりした円柱が私の興奮を冷ましてくれます。
カラカラと転がった懐中電灯が、縋り付く円柱を照らし出し、ガラスを隔てて浮かび上がるグールの顔。白目を剥いた破損死体。
「ふぎゃぁぁあああっ?!」
キスしそうな距離でグールと対面して、固まる私。緑色の薬液に漬けられ、絶叫の表情で顎を開いた土気色のグール。……いえ、動かない以上グールというより死体でしょうか。それが円柱の水槽に、何体も折り重なっているのです。
「ここは……グールの製造工場か」
彼が周囲を探って呟きました。立ち並ぶ円柱にサッと光を通せば夥しい数の人間のシルエット。みな、水死体のようにグッタリと浮かんでいます。嗚呼、嗚呼。もうダメです。ずるずるとヘタリ込んでしまって尻餅すら維持できません。全身が冷たく感じるほど血の気が引いて頭の中は真っ白。怖さも度が過ぎれば目が回るって、久々に思い出しました。
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