不埒な後輩


 5月20日、私達は昼休みの部室に集まってお弁当を広げていました。

 今日、決行する作戦を話し合うためです。

 かつてフィルム現像用に備えられた新聞部の暗幕は、部長の手で黒魔術チックに改造されて今日も締め切られており、それがなかなか秘密の会合らしい雰囲気を演出しているのでした。


「おお……! この卵焼き、ふわふわだ! ジャリジャリもしてない……! 中が程よく半熟で、甘さのバランスも最高だ! めちゃくちゃ美味しい! 上達したな、芥川君!」

「……そっちはお父さんが手伝ってくれた奴です」

「う、うむ……。美味だったと伝えておいてくれたまえ……」

「そんなにジャリジャリしてました? 私の……」

「……芥川君の卵焼きが好みだ。我輩、慢性的なカルシウム不足であるからな」

「ちなみに、そっちのハンバーグは、どうですか?」

「とてもおいしい」

「――――急に語彙が減りましたね」

 目下の所、最大のライバルは父のようです。


「それで、ですね。犯行時刻を見る限り、ずっと尾行するのは難しいと思うんです」私は進言しました。「夜9時を過ぎたら、流石に家に帰らないと、お父さんに怒られてしまいます」

「人魂探しした時は、もっと遅くまでいなかったか?」

「あれは、タヌ吉の家に泊まって勉強するって言ってたんですよ。連休中にしか使えない技です」

「なるほど……」

「そこで私は考えました。部長の戦争グッズの中に確かありましたよね、発信器。あれをくっつけておけば、ずっと尾行する必要はありません。まず帰宅して、家族が寝た後こっそり家を抜け出せば良いのです。前回みたいに撒かれることもありません」

「それは名案だが、誰が猫の首に鈴をつけるのか、という話になる」


「私が行きます」

「本気かね? 相手は吸血鬼だぞ」

「衆人環視の状況では彼も不用意に手は出さないでしょう。それに、もしかすると水鏡君は吸血鬼じゃないかもしれません」

「んん? 話が見えないぞ。彼が吸血鬼だから発信器を付けるのではないのかね?」

「……実は昨日、もう一度尾行してみたのです。昇降口から張り込んで。……ほら、これを見てください」撮った写真を机に並べながら、私は話を続けます。


「彼が食べてる肉まん、私も食べてみたのですけど、にんにく入りでした」

「……ニンニクが苦手、というのは、魔除けや中東の埋葬文化に由来することだが、ブラム・ストーカーの創作という説もある。本物は普通に食するのかもしれない」

「例えばこの写真、ショーウィンドウに彼の姿が映り込んでます。吸血鬼は鏡に映らないはずでしょう? そしたらそもそも、一眼レフのファインダーにも映らない筈なんですよ。構造的に。けれど、こうして鮮明な写真まで撮れました」

「……だったらなぜ発信器を?」

「事件が起こった時、彼が近くにいたことは間違いないのです。吸血鬼を直接見に行くなら、彼を追うのが一番の近道のはず。本人でも、関係者でも。私達には彼しか手がかりがありませんから」


   ◇


 さて、まだ昼休み中の一年生の教室に滑り込み、水鏡君を探します。

 みんな後輩だというのに私より背が高く、悲しいことに潜入は容易でした。


 クラスを見渡すと、教室の隅で机に突っ伏してる生徒が一人、ブレザーに着られている感じの背の低さには、容疑者ながら親近感を覚えます。

 体調が悪いのか、眠いのか、或いはクラスに馴染めないから頭を低くしてやり過ごしているのか、それは定かではありませんが、寝ているのなら好都合。


 そろそろと彼の脇にしゃがみ込んで、ブレザーの内側に発信器を仕掛けます。

 動画ではこの制服も血塗れになっていたはずですが、血痕は残っていません。

 しかし現場に制服で行くことは間違いなく。


「なにしてんの?」と気怠げなボーイソプラノ。

「ひゃぅあっ?!」


 上体を起こした水鏡君がこちらをぼんやりと見つめていました。

 驚きの余り直立してしまいましたが発信器は上手く付いたみたいです。

 あとはこの場を切り抜けるだけ。水鏡君は訝しげに目を細めました。


「……小学生?」

「誰がですか! 失礼なっ!! 先輩ですよ先輩!!」

 言って「しまった」と思いました。災いの元栓をパッと抑えます。

 水鏡君はジロジロと私を見て、ある一点で視線が止まります。

「ああ、先パイ」

「……イントネーションだけでバカにされてる気がします」

「それで、先パイが一年の教室に何か用ですか?」


 近くで見るとよく分かる、目の下の凄い隈。

 どれだけ寝不足になればここまで色濃くなるのだろうと思うほど。

 部長は中性的な美形と称したけれど、隈のお陰で悪人面に見えてしまいます。


 一方で翡翠色の瞳には真逆の魅力が感じられ……。

 なんでも打ち明けられるような、既に友人であるかのような親しみを覚え……。

 魔性の宝石があるとすれば、それはこのような美しさを言うのでしょう。


 ……いえ、そうでしょうか?

 このときの私は、本当にそんなことを考えていたでしょうか?

 ただの緑色の目だと思った、気がします。

 部長が確か「吸血鬼は瞳術を使うから目を合せるな」と、出かける私に忠告していたのを思いだし……。

 ああ、瞳術とは目を合せた人を意のままにするという催眠術のことです。そんなのあるわけがないので忘れて良いですよ。私はもう覚えてしまいましたが。

 ……それで……、それで……、私は不思議な引力を振り切って、目を逸らしたのです。



「えっと、あの、そうですね。このクラスに、新聞部に入部届を出したにも拘わらず一度も顔を出してない子がいるので、注意しにきました」

 私は口から出任せを言いました。でも一年生の幽霊部員は五人もいるのです。嘘には聞こえないでしょう。

「先パイ、新聞部の人なんですか?」と、若干殊勝になる水鏡君。

 新一年生が私のことを知らないのは無理もないことです。

 最後に表彰されたのは3月で、その頃彼らはまだ中学生でしたから。

 それより気になったのは、背の低い私を舐めくさっていた彼が、新聞部と名乗った途端に背筋を正したことでした。


 これは妙ですよ。

 水鏡、水鏡、どこかで聞いた名字だと、ずっと引っかかっていました。

 どこでだったか。

 あれは確か職員室だった気がします。部活の顧問が預かっていた入部届の束の一番上。

 水鏡、という名字が珍しくて、それで記憶の片隅に留め置かれたのでした。


「……あなたですか、うちの幽霊部員は」私が怒気を籠めてジッと睨むと、水鏡君はそれまでの神秘性が嘘のように人間くさく狼狽えました。

「違っ、違うんだ、違うんデスよ、先パイ。俺はただ、他の先輩から『新聞部入りなよー、名前貸してくれるだけでいいからさー、楽だぞー』って言われて」

「誰です、そんなデタラメを言ったのは」

「流暢な日本語を操る怪しい外国人風の……」

「田付ですか。情報提供ありがとうございます。絞めておきます」


 腐ったみかんを我が部に放り込みまくるテロリストの正体が判明しました。

 おのれタヌ吉許さぬ。

 幽霊部員ばかりが5人も突っ込まれるなんておかしいと思ったんですよ。


「そういう訳なので、俺はこれからも出ません」などと宣う水鏡君。

「コラコラコラ、そういう訳もヘチマもありますか。ダメですよ、騙されたとはいえ入部したんですから、あなたの身柄は新聞部のものです」

「先パイも先パイで無茶苦茶言うな……」

「先輩とは無茶な生き物なのです。先輩が人魂を捕まえると言ったら網を持って墓地まで行き、人魚の唄を録音すると言ったらマイクを抱えて船に乗り、妖怪を部員にすると言ったらハロウィンに網を放つ、……それが部活です」

「新聞部ですよね?」

「たまに疑問になります」

「楽しそうですけど……俺、生まれつき体弱くて、そういうの無理なんですよ」


 水鏡君は、コンコンとわざとらしく咳をしてみせます。

 それは完全に演技でしたが、彼の具合が良くなさそうなことは前々回の尾行から分かっていました。

 そして、そんな状態で街をほっつき歩いていることも。

 あの時は「彼にもよほど家に帰りたくない事情があるのか」と邪推しましたが。


「……基本的に身体は動かしませんし、自分の担当の欄に好きなこと書くだけですから。もういっそ自由帳だと思ってくれても良いですよ。みんなで描く自由帳。楽しいですよ」

 私いま、激甘なことを言っています。これではタヌ吉を詐欺師と呼べません。

「誘われても、きっと足手纏いになります。俺のことは放っておいてください」

 水鏡君は突き放すように微笑みました。

 それがどことなく寂しそうで、私は彼の手を取って真剣に見つめ返します。


「大丈夫です。新聞部には今、足手纏いしか在籍していません!」

「全然大丈夫じゃないぞ、それ……」

 水鏡君は冷静です。

「一人二人増えたところで問題ではないのです。一緒に新聞作りましょう!」

「いや、俺は……」

「部長以外みんな女の子ですよ! 目指せハーレム!」

「逆に居づらい……」

「ですよね。うーん……、部費でスイーツ食べ放題!」

「アウトでしょ」

「今のはオフレコにしてください」


 なかなか首を縦に振ってくれません。

 私も自分で言ってて碌な部活ではない気がしてきました。

 水鏡君は溜息を一つ吐いて。


「先パイは元気いっぱいだから分からないかもしれないけど、どーやっても気力の湧かない人間てのは、いるもんなんス。グズと思って放っておいてください」

「それでも、つまらなそうに街で時間潰すよりは、有意義な時間が過ごせると思いますよ」

「……、……見られてたのか」


 水鏡君は独り言のように呟いて、目を伏せました。

 それは彼にとって恥ずかしいことだったようで、耳が少しだけ赤くなっていました。


「すみません。偶然見かけただけです、偶然」

「いや、別に、隠してるわけでもないし……」

「それであの、体調が悪そうなのになかなかお家に帰らなかったのは、なぜなんですか?」


 ずっと心に溜めていた疑問を無造作に、不用意に投げてしまいました。

 その問いは私が思っていたよりも、ずっと深く斬り込んだらしく、彼の指先がカタカタと震え出します。

 しまった、と思ったときにはもう遅くて。


「…………」水鏡君は何も言いません。

「は、話したくないことでしたら、無理に話さなくて良いですよ。私にだってありますし。けどもし辛いことがあるなら、周りを頼ってください。少なくとも、新聞部に所属した以上、私達はあなたの味方です。ペンの力は強いんですよ? どんな剣より、筋肉より――――」


 焦りは人を饒舌にします。

 矢継ぎ早に墓穴を掘っている気がするのに気まずさの余りに止められません。

 彼が顔を上げれば濡れ翡翠。

 瞳には悲しみの気配が見えて、私はようやく言葉を切りました。

 沈黙の中に彼の感情は融けて消え、また覇気のない水鏡君に戻ります。

 ふと彼の視線が私の背後に移りました。


「あ、田付先輩」

「え?」

 水鏡君の言葉に振り返りますが、そこには誰も居ません。

 代わりに背中を軽く押されました。

 その瞬間胸の締め付けが解放され、服の中で何かがスルリと滑ります。


「ひゃあっ?!」

 反射的に胸を抱えてから、ブラジャーのホックを外れたのだと気付きました。

 いえ、外されたのです。背後の彼に。


「な、な、なんてことするんですかっ!」

「え? どーかしたんデスか? 先パイ」

 しれっと白を切る悪人面。

 大声を出したことでクラスの注目が集まってしまって、ここで彼を責め立てれば自分の恥ずかしい状況を自ら宣伝するハメになりかねません。

 なんて卑怯な奴!


 その場で直したかったのですが、ブレザーが邪魔で上手くいきません。

 というより重ね着してるのにどうやって外したんですか、魔法ですか。

「くっ、この……! そこ、動かないでくださいよ! 逃げたら承知しないんですから!」

 念押しに念押しを重ねて一時撤退。

 お手洗いで着直して戻ってくると彼の姿は既にありませんでした。

 彼の隣の席、やけに前髪の長い後輩に行方を尋ねれば「午後はサボると仰っておりました」とのこと。


 実に天晴れな不良少年じゃないですか。一度絞めてやらないと気が済まなくなりました。

 幸い発信器は付けた後。地の果てまでだって追跡できます。

 上級生を舐めるなどという神をも恐れぬ愚行の極み。地獄の底で後悔するが良いのです。

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