暗躍する者


 モニターに映し出されていたのは血みどろの水鏡君でした。

 両手を翳して薄目を開けて、ぼんやりとモニターを見ました。

 打刻は13日の深夜1時26分。

 写真の中の彼が立っているのは事件現場にほど近い路上。

 ブレザーは真っ赤に染まり口元には血糊がベットリと付着している猟奇的な光景。

 稚気を帯びた虚ろな顔がミスマッチで一層不気味でした。


 私はその光景を前にして蛇に睨まれた蛙のように固まってしまい、内心では「また騙された」と部長を罵りました。

「悪趣味ですよ部長! こんな加工して!」

「加工ではない。これは事件当夜、現場周辺の防犯カメラ映像である」

「……なんでそんなもの部長が持ってるんですか」

「防犯カメラの録画映像というのは、容量が嵩張るものなのだ。データをクラウドに保存したり、或いはVPNで操作をオンラインにしているなら、こうして中身を抜き出すこともできる」

「……それ、ハッキングなのでは?」

「我輩はホワイトハッカーであるから問題ないのだ」

 あるでしょう、問題。

 こんな決め手になるものをなかなか見せなかった辺り、彼もいけないこととは分かっているらしいので、それ以上は突っ込みません。


「でも、事件になってるんですから警察だって防犯カメラの映像くらい調べますよね。こんなのが残ってて、水鏡君が普通に学校に来てるのおかしくないですか?」

「確かに、五件目から今日までは普通に登校している。我輩もそれが不思議だった」

 部長は一度映像を引っ込めて、別のウィンドウを手前に持ってきました。


 それもやはり同じ動画。

 事件現場にほど近い、先程と同じ日付、同じ場所、同じ時刻。

 しかし水鏡君は映っていません。血の気配もありません。


「……なんですか、これ」私は、そうとしか聞けません。

「こっちは県警のサーバーに保存されている事件当夜の映像だ。さっきのは我輩が13日の時点で保存しておいた映像である」

「何も映ってませんね」

「そうだ。何も映ってない。そこにいたはずの水鏡匠が抹消されてしまっている」

「……映像が差し替えられてる、と言いたいんですか?」

「正しくその通り」


「……ところでさっき妙なこと言いましたね。県警?」

「なに、難しいことでない。むしろ大勢が関わるシステムほど脆弱なのだ。セキュリティは家と同じ。どんなに頑丈な玄関でも、勝手口が開いていたら意味が無い」

「そういう話はしてませんし。できてもやっちゃいけないことってありますよ」

「能力があるのに行使しないのは怠慢だ。力には責務が伴う」

「豚箱行きだけはやめてくださいね」

「なんだ、我輩を心配してくれているのかね、芥川君は」

「いいえ。同じ房の人が可哀想でしょう? こんな、無駄にデッカいのが入ってきたら、檻の中が狭くなっちゃって」


 ふん、と私が鼻を鳴らすと、部長は得意気に言いました。

「問題ない。モバイルルーターから自宅経由で海外サーバーを踏んでる。足は付かないさ」

「ええ。私がバラさない限りは……」

「あっ、芥屋さんっ?!」


 意味深に微笑むと尊大な仮面は瞬く間に剥がれ落ちました。

 冗談ですよ。……今の所は。


   ◇


「ところで事件現場そのものの映像はないんですか? カメラって中にもありますよね?」

「ああいや、それは。――こっちはちょっと刺激が強いからな。お子様にはまだ早い」

「だっ! 誰がお子様ですか!」

「……見るのか?」

「見ますとも!」




「――――わぁぁぁああああ?! 部長の嘘吐きッ! アホ! バカッ! これのどこが〝ちょっと〟なんですかぁぁぁ! 血がッ! 血がッ! スプラッタじゃないですか!」


 座った部長の頭を捩じ切らんばかりにホールドして、視線はモニターに釘付け。

 画面いっぱいに無数の影が飛び回り、室内の人々が全身から鮮血を吹き出しながら倒れていきます。



 少し前までは怪しげクラブでした。ブラックライトに照らされた薄暗い店内に、パンクめいた格好のゴロツキがたむろして、バカラに興じたり粉を囲んだり。眉の薄い顔で獰悪に嗤う彼らはピラニアを思わせます。

 スイングドアから半裸に剥かれた女性が連れ込まれると、彼らは揃ってイキり立ちました。柔らかな肉に群がるピラニア。憐れな獲物は立ったまま回されて、カウンターに押し付けられます。音の無い画面から下品な歓声が上がった気がしました。

 そこにフラりと現れる人型。黒い靄が二足で直立したような姿に、顔付きはおろか人かどうかも分かりません。


 招かれざる客人に場の空気が一瞬で氷点下まで冷え切りました。

 ナイフをちらつかせるゴロツキ。怪人は止まりません。卓を蹴って飛びかかった者も軽々と往なされ床に叩き付けられます。腕があらぬ方向に曲がった姿で。

 黒い靄が無数の影となって台風のように荒れ狂い、人も物も無茶苦茶に。

 先程女性を連れ込んだ男が部屋の隅に追いつめられ、鬼気迫る表情で発砲しました。幾度かの銃撃を受けて尚、怪人は歩み続けます。弾切れを起こした男の胸ぐらを掴むと、首筋に噛み付いて血を啜り、そのミイラを投げ捨てて立ち去る。



 これが映像の一部始終でした。



「……だ、大事件じゃないですか。こんな映像があるなら――――」

「ないんだ」

「え?」

「県警のサーバーには、ない。押収された映像にはノイズが映ってるだけだ」

「それも差し替えですか」

「……これで分かったろう? 水鏡匠が吸血鬼であると」

「顔、見えてませんでしたよ。黒い靄のせいで。……もう一度再生してみましょう。吸血するところアップにして、スローで……」

「大丈夫かね?」

「だ、大丈夫です。……毒を食らわば、ですよ!」


 そうして映像はリスタートされました。部長にしがみついたまま、声を抑えて観察します。よく見ようと思えば思うほど、画質の粗が目立ちます。監視カメラというのはどれもこれも、なぜ映像が不鮮明なのでしょうか。あと少し、というところがハッキリしません。

 こうなれば物理的ズーム。モニターに食らい付きます。


「部長、もう一回です!」

 しかし次が始まりません。「……部長?」

「あれ、おかしいな……」

 部長も首を捻ってクリックを繰り返しますが、画面はフリーズしたまま動きません。

 ふと、微かな異音。


 部長に首ねっこを引っ掴まれて抱きかかえられた直後、閃光が部屋を埋め尽くしました。

 ――――ドガンッ、と大爆発。

 部長の背中越し、モニターとパソコンが火を吹きました。

 部室いっぱいに立ち籠める焦げ臭い煙。真っ黒な視界の中で火花が踊ります。


「けほっ、けほっ、なんなんですか、これぇ……」私は手探りで窓を開け放ち、綺麗な空気を求めて身を乗り出しました。雨の匂いと共に湿っぽい涼気が流れ込んできます。

「オーバーワークで内部温度を無理やり引き上げて爆発を……? バカな……。こんなウィルス、あるはずがない」そういう部長の目は爛々と輝いていました。遂に自分の身にまで及び掛かったオカルトが嬉しくて仕方ないのでしょう。ここまでくるとただのマゾです。あまりの煙たさに瞳を潤ませながら、私は呆れました。


「こんな目に遭って、怖くないんですか?」

「ふっ、知らないのかね? 恐怖とは常に無知から生じる。識ることこそが恐怖に対する特効薬なのだよ」

 ウザいくらいにテンションの上がりきった講釈は火災報知機のサイレンに掻き消され、飛び込んできた先生の怒声一発で恐怖に怯むのでした。


   ◇


「雷です! 雷が落ちたんです! 急に!」

 卓上のボヤは消火器一本で消し止められ、私の弁明で先生は帰っていきました。

 嘘は言ってませんよ。確かに雷は落ちました。先生のお小言という雷が。


 今日が月曜日で本当に良かった。

 もし書きかけの記事を残したままパソコンがお亡くなりになっていたら、どう足掻いてもリカバリーが効きませんでした。

 パソコンに繋いだデバイスも一目でお釈迦と分かるほど融解していて、とても人間業とは思えません。

 部長が保存していた水鏡君の映像も抹消されてしまいました。


「彼のことは、もう一度調べましょう」私は言いました。

「……明後日だ。我輩の推測では、明後日の夜に再び事件が起きる」部長がいかにも演技っぽく重々しい口調で喋ります。

「前回当てたらしいので一応信じますけど、よくそんな言い切れますね」

「はっはっは。簡単なことだよ、芥川君。吸血鬼の活動は一定周期で行われている。バイオリズムを仮定し月齢を加味すれば、次に飢える時期も分かろうというもの」

「ふーん。まあ部長は数字にだけは強いですからね」

「だけは余計である。我輩は数字以外にも強いぞ、色々と」

「説得力がないですね」

 ひょろひょろと背の高い彼を見上げて言いました。

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