偏向報道、許すまじ


「ともかく、半吸血鬼を疑うなら家族構成や家庭環境も調べておくべきですよ、部長」

「我輩もそう思ったのだが、全く情報が出てこないのだよ。お屋敷もセキュリティが厳重でね」

「お屋敷?」

「ああ、航空写真では赤い屋根の洋館だった。不動産の登記は三雲製薬のものになってる。高い塀に囲まれ、広大な森の中に建つ、人の出入りが全くなくて不気味だと近所でも評判のお屋敷。それが彼の家だ。同じ学区なら知っているだろう?」

「……あ、分かったかもしれません。そこ、私の学校ではお化け屋敷って呼ばれてました。時々女性の悲鳴が聞こえてくる、みたいな噂があって……」

「恐らくそこだろう。もしそんな屋敷が他に二つ三つあるなら、たまらないね。取材したい」

「ある夏休み、度胸試しに潜り込んだ子達が帰ってこなかったとか……」

「なんだ、芥川君もいける口じゃないか。もっと聞かせてくれたまえ」

「いえ、やめておきます。部長が調子に乗りそうなので」

「ふむ。……ともあれ、古い洋館に住んでいて家庭環境が謎に包まれている。そのうえ美形。これはもう吸血鬼でなければ許されまい」

「美形いります?」

「最重要項目だろう?」

「……吸血鬼でもないのに一人称我輩の方がよっぽど許されませんからね、部長」

「はっはっは。構わぬ。俗人に許可を乞おうなどとは思っておらぬからな」


   ◇


「僕は全然気にしてませんよ。あはははは」

 部長は外行きの声で朗らかに笑いました。私を盾にしながら。



 事の起こりは数分前、クレープ屋のテラスで卓を囲む女子達の目に留まり「うわ見て、凄いコスプレ!」「あれ、てるみんじゃね? てかウチらの部じゃね?」「おーい、てるみーん! 部長ー!」などと大声で呼び留められたことに端を発します。


 『てるみん』とは私のあだ名です。

 部長が巫山戯て『芥川あくたがわ君』と呼び続けるので、あなたは勘違いしているかもしれませんが、私の名前は芥屋照子あくたや てるこで、まあつまりそういうことです。


 この響きは不釣り合いに可愛らしくてこそばゆい。

 彼女らは我が新聞部のサボリ魔なのですが、自分にも他人にも甘い連中なのです。それが時々心地良い。まあ、時々はね。間違っても今ではありません。


「てるみん? すみません、人違いですよ。私たちは通りすがりの殉教者です。南無阿弥陀仏」

「どこの教徒よ」「そんな馬鹿でかいカメラ下げたシスター、いるわけないっしょ」

 私が敬虔に祈ってみせたのに全く信じようともしない。若者の不信心、ここに極まる。


 彼女らはあろうことかクレープに向けていたレンズを此方に向けて、パシャパシャとシャッターを切り始めました。

 堪らず横に突っ立っていたデクノボーの木影に逃げ込もうとするも、逆に両肩を掴まれ盾にされてしまいました。


「きゃあっ! やめてやめて! メモリの無駄遣いですって! 誤射ですよ、同志! これは完全な誤爆!」

 勝手に熱くなってゆく顔をレンズの銃口から庇います。


 悪友共はそんな私を見て更に調子づき、半笑いで囃し立ててくるのです。

「ネタがないから体張るなんて、流石、新聞部のエースだね」

「これで記事に困らんね。マジ感謝なんですけど」

「ひゃー。てるみんのスカート短いなー。このエロシスター!」

「コラやめろ捲んな」スカートを摘まむ悪友の手を抑えながら、私はあらんかぎりにドスを効かせました。「その写真使ったら、お前らの秘密も記事にしてやりますからね!」


 こうしてフラッシュの嵐はピタリと止みました。

 サボリ魔の一人が頭を掻いて部長に言います。

「あ、部長。すみません。今日も部室に顔出せなくて。そのまま取材に出たんで」

「僕は全然気にしてませんよ。あはははは」

 猫を被った部長が、やや縮こまりながら朗らかに笑いました。


 文化部は大抵が女所帯で、そういった場では男性の地位は低くなりがちです。

 とはいえこの優男は誰に対しても卑屈になりすぎる。そういう点です、気にくわないのは。僕って誰ですかあなた。我輩と言いなさい。



「あ、部長さんはハロウィンの時の衣装ですね、それ」サボリ魔が暢気に笑いました。

「ああ、いえ、芥屋さんがどうしてもというので、つい」


 は? は?


「てるみんってば強引だもんね。分かるわ」

「ウチらも1年の頃はね、酷かったね。てるみんが副部長と仲良くなってからは減ったけど。……あ、今はもう部長なんだっけ?」

「部長さんマジ菩薩だよねー。いや、ほんと。色んな意味で」


 勝手に納得して和気藹々とダベり始める女共。こいつら嫌い。

 彼女達は思いついたことを思いついたまま口に出します。


「ねぇ二人とも、クレープ食べていかない?」

「あ、それいいね。てるみん達も食べていきなよ。他にも撮っておきたいのが色々あるんだ。人が多い方がいっぱい頼める」

「食べます!」


 即答しました。


 ああ、いえ、スイーツ特集だなんて、そんな安直で鮮烈で享楽的なネタは全く趣味じゃないけれど親友・・の頼みであれば断れません。

 決して食欲に惹かれたわけでなくこれは人として当然の付き合い。


「ごめんなさい。僕達は先を急ぐので」などと裏切り者がのたまいます。

「そなの? てるみん」

「いえ別に。今日の取材はもう終わりですよ。付き合ってくれてどうもありがとうございました。……ね、部長」

「あ、ぐ……」

 それきり部長は言葉を失いました。主導権を擦り付けた報いです。ざまあみろ。



 ふと親友の一人がわざとらしく悪怯れて言いました。

「あ、しまった。余計なことしちゃったかな」

「どしたの?」

「……てるみん達のコスプレデート、邪魔しちゃった♪」

「んな!」

 あまりにもあんまりな勘違いに、思わず漏れ出た声を抑えます。

 女共の顔に、ニヤニヤという擬音が相応しい、好色な薄笑いが張り付きました。

 こういうのは焦って否定するほどドツボにハマるのです。

 落ち着いて、冷静に、事実だけを話せば相手は興味を失うでしょう。

 心の中で深呼吸して、私はきっぱりと言いました。


「かっ、かか、勘違いしないでくださいねっ!? これは、この恰好はですね! 取材の一環なのです!」

「取材? なんの?」

「きゅむ、吸血鬼! 吸血鬼を捕まえて取材するのです! それで、そのっ、シスターの恰好を、ですね……! これは、とても合理的な……、だから、そういう不純な奴でなく……っ」

 私がそう言うと、取り囲む女共は面白そうに口の端を歪めました。「へぇ、吸血鬼……」「そういう設定のプレイなんだ」「てるみんって好きだよね。そういうオカルトチックなやつ」


「違っ! 違います! 全く違います! 好きじゃないです! 好きなのは部長です!!」

 女共はそれを聞いて、口々に囃し立てます「部長が好きなの?」「ねぇ聞いた? いまはっきり言ったよね? てるみんは部長が好きなんだって!」「きゃー♪ だいたーん」

「はわ、わわっ、そ、そじゃなくて、えと、その……だから……!」


 私が口籠もっていると奴らの一人、田付たづきが顔を寄せてきました。彼女はクラスメートでもあり、仲間内ではタヌ吉と呼ばれています。英国人の母を持つ帰国子女なのですが、ここ一年の日本での生活は彼女の化けの皮を剥がすには十分過ぎる時間でした。転校当初はお人形さんのようにお澄まししていた彼女も、一皮剥いてみれば日本人と英国人の野次馬根性を掛け合わせたスーパーハイブリッド・ゴシップガールだったのです。挙げ句ジャパニーズ・ラクーンドッグを渾名されるほどの腹黒。

 彼女の人を誑かす言動は今まさに面目躍如といった具合で。


「部室に二人っきりにしてた甲斐があったね」タヌ吉がさも面白げに囁きます。「目を離した隙に、こんなに進展しちゃってるとは」

「あ、あなた達は外取材にかこつけてサボってるだけじゃないですか。全く、嘆かわしいことですよ、全くっ」

「本当にそう思ってるなら、とっくに先生に言いつけてるでしょ? 二人きりの空間は満更でもないわけだー」

「バッ、ばばば、バカ言わないで下さい! 友達を先生に突き出すのは可哀想かなって、それだけですよ! それだけっ!」

「これはてるみんへの御褒美なんだよ? 新聞コンクール。大活躍の報酬。わかるかな-? ウチらの思いやりが」

「わかりませんっ! わかりませんよ!」


 私のセリフは、きっと逆の意味で捉えられているのだと、タヌ吉の訳知り顔から見え透いてしまいます。

 それでもう、言葉が続けられなくなっていました。

 頭の中には理路整然としたディベートの用意があるのに、うまく言語化できないのです。

 喉はからからに渇いて、全身はカッカッと蒸気機関のように熱されて、今、誰かに水をぶっかけられたら、そのまま爆発できそうな気がしました。

 藁にも縋る思いで部長を見ると、彼は真っ赤になって俯いていて、全く頼りになりません。

 いつも通りのポンコツ具合で逆に安心です。


「二人とも顔真っ赤やん」と言って、目の前に座る沖島がデジカメのシャッターを切りました。「ふひひ。やばい、今月のベストショット頂きました。見てるこっちが恥ずかしくなるレベル」

「ちょっ、もう! 消してください!」

「これじゃあ『てれみん』だぁねぇ」

 ひひひ、と笑って逃げる沖島。

 私は彼ほど赤くない。誤謬もいいところだ。いい加減にして欲しい。

 恋に恋する腐れ乙女共の桃色眼鏡で見れば、フィルムとカメラだってカップリングできるでしょう。――――けれどそれがなんだというのですか。

 そんなのは事実じゃない、根っこも葉っぱもないのです、記事にするに値しません。分かるでしょう?

 この主張を舌の上に乗せると、途端に呂律が回らない。悔しい。このポンコツ。

 だから私は言いました。


「いただきますっ!」

 テーブルに並んでいたスタンドからクレープを引っ掴んで、勝手に食べ始めます。

 誘われているのだから問題ありません。


「あ、待って! それまだ写真撮ってないから!」

ひりまふぇん。ばーかばーか!知りません、バーカバーカ!

 二本持ちでドンドン頬張ってやります。美味しい。


「やべぇ! てれみんに全部食べられっぞ!」

「ウチらの企画を潰す気だ、こいつ!」

「待って待って! マジでレビュー書けなくなるから!」

 慌てふためく彼女らを尻目に、私は次々とクレープを平らげました。

 結局その週のスイーツコラムは材料不足でお休みになり、彼女らは普段のテンプレートが使えず苦労する羽目になります。

 珍しく部室でひーこら言っている彼女らを見て、私の溜飲は少し下がりました。



 その後、謎の大食いシスターが紙面を飾り、食べ過ぎてファスナーをぶっ壊した写真が使われることになろうとは、張り出されるまで気づきませんでした。おのれ。

 いえ、元々パツパツでギリギリだったんですよ? サイズがギュウギュウ過ぎたのです。ホントに。

 偏向報道、許すまじ。

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