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「一香、久しぶり」の声を無視して歩くことは出来なかった。岸蔦先輩に肩を掴まれたのだ。案外、手が大きくてちょっと驚いて「何ですか」の声が震えを帯びてしまって、笑われた。

「すまん。わざと無視してるかと思って」

「わざと無視してたけどね。てか、何で鞄持ってるの? 早退?」

「別に」

岸蔦は、一香とはいわゆる腐れ縁で、小学校からの付き合いだ。一応「先輩」は付けてやるけれど、敬語はあまり使わない。その方がしっくりくると一香も思っていた。

「お昼まだなの?」

「空腹の私に奢ってくれようとしてるの? ありがとう!」

手にひっさげた普通の焼きそばを見て、まだ食うのかよとでも言いたげな顔がムカついたので、一応、はたいておく。はたいたお腹がちょっとかたくて、一香は何となく背中がむず痒くなった。

『こんにちは、お昼の放送です。今日はプレミアムソース焼きそばを完食してご機嫌の佐藤友介がお送りいたします』

「あいつ、食べるの早いなー」

と、岸蔦が呟く。友介先輩と友達なの、ああ、そっか、同じクラスだけどお前は知ってるのか、うん、そっか、購買のプレミアムシリーズ食べたいと思うの、いつも狙ってるぞ、そっか、お前は狙ってるのか、うん、そっか、と、友介の放送をバックミュージックに一香と岸蔦の何でもないやりとりが続いて、どちらからともなく解散した。

一香のスマホにはこっこからRINEが届いていた。

『ごめん、いいところなかった! やっぱり1組で食べよう』

なにそれ。別にいいけど、と口角が上がってしまう自分が恥ずかしくて嫌いになりそう。


1組の教室に着いたら、更衣室に行かずその場で着替える男子がいて、一香は少々落ち着かない。一香は男と話すのは青野以外特に問題ないが意外とウブであった。こっこを含む友人にそこをよくいじられるが、今日のこっこはそんなこと御構い無し。ふっふっふー、と開口一番変な笑い方をしたので、純粋に「なんか気持ち悪いよ美奈子」と言ったら「その名前で呼ばないで」。ちなみにこっこというあだ名は、金子美奈子の苗字と名前の語尾「子子」から取っていて、わりかしみんな彼女をそう呼ぶ。イマドキ美奈子なんて名前が嫌で、こっこもあだ名で呼ばれるのを好んでいるためだ。

こっこはじゃーん! と、鞄からパック入りの焼きそばを取り出した。


プレミアムソース焼きそばであった。


大きなイカリング、肉だらけの具、そして目玉焼きが三つ、焼きそばの上に乗っている。通称、三つ目焼きそば。あるいは、妖怪カロリーお化け。しかし、女子からの人気も根強い。無論男も黙っちゃいない。これで250円はふざけるな、と言いたくなる。良い意味で。これは暴力だ。良い意味で。

しかも、パックには学校の紋章と今日の日付と曜日が入った金のシール。プレミアムシリーズの証。紛れもなくこれはプレミアムソース焼きそば……!

一香は絶句した。

あたまがこんらんしている。どうやってもこっことプレミアムが結びつかず、「こっこたんがプレミアムを狙いにいったことがあったか、いやない」という脳内会議が口からだだ漏れしてしまって、こっこはそれを聞いて思わず吹いた。

「なんで!! ダッシュ間に合ったの!? 三食限定だよ!?」

「うん。たまたま運が良かったのかな」

ピースサインを作ったこっこの元へ、クラスメイトがぞろぞろ群がってくる。群がっているのを見て、また一人、また一人と群がってくる。こっこたん、可愛いから握手会みたいだなぁと一瞬呑気に思った一香だったが、焼きそばを見るともう何も考えられなくなる。

「はいはい、昼食のじゃまー」

こっこは、ハエを払うように右手をひらひら。まじかよ、今日ワンチャンあったな、とそれぞれ背中を向けて席に戻っていく。こっこはその背中の一つを呼び止めた。

「青野くん、写真撮って」

「ん、俺?」

「ちょちょっ……」と、待って、という一香の抗議に、こっこは華麗に無視を決め込み、半ば強引に青野にスマホを渡すと一香の手を引っ張って焼きそばを前に二人でピースサイン。一香の指は緊張で伸びない。一香の脳内で、絶対今顔赤い死にたいちょっと待って無理が10回繰り返されている間に撮影会は終了。しかし、なおもまだこっこは畳み掛ける。

「青野くんはプレミアム食べたことある?」

「ないよ。金子狙ってたんだな」

「ううん、この子がプレミアム見てみたいって言うから本気出した」

青野の視線がついにはっきりと一香を捉えた時、ガスコンロがついたようにぼっと頬が一段と紅くなったのを感じる。

今、最高に、死ぬ。と訳の分からない言葉が脳を駆け巡って苦しい。

貧血でたおれた5年前、景色が虹色になったあの瞬間を鮮明に思い出す。いやいやこれはまずい、倒れるわけには、とそばにあったお茶でグイグイ感情を流し込んだら少し落ち着いてきた。

「私の友達の小野一香ちゃん。7組の子だから知らないでしょ」

「いや、知ってるよ。よく金子と一緒にご飯食べてるよね」

知ってるんだ、が一香の脳内を3回逆上がりを決める頃、青野と弁当を食べていた男子生徒がこちらに来て言った。

「なあ、今日のプレミアムは四天王と、あと二つは3年の男子が持っていったらしいけど」

怪訝そうな表情をしていた。はっきりこっこの方を向いて、不思議そうな顔をしている。

「それは情報違い。私が今食べようとしてるじゃん。いただきます」

彼は何か言いたげだったが、特に言い争うこともないと判断したのか、早く食べようぜー青野、と声をかけて二人で戻っていった。こっこは明らかな動揺とわずかな怒りがこみ上げていたが、一香はそれどころではなく、気づくことはない。感情を正常に操作するだけで精一杯であった。

黄金の黄身を崩して、トロトロのソースと絡み合う焼きそばは美味しそうな匂いを漂わせていた。

「一口だけ、いい?」

一香の舌を、黄身とソースの濃い味と、イカリングの旨味と、麺の冷たさが支配した。


一香の心に、違和感が芽吹くのを、こっこは分からなかった。

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