死後の家

胡桃幸子

第1話 蝶の令嬢

 おやおや、どちら様でございましょうか? 新しい入居者でございますか?

いや、違う? 道に迷った?

すみませんが身分証を失礼。

……おやまあ‼ 新しい担当者様でございましたか‼

ご到着が遅れていましたので心配しておりました‼

ああ、申し遅れました。わたくし、この地区のお世話係の者でございます。この地区の死者の方々のお世話をしております。


 ____ああ、マダム、お早うございます、お馬殿も。今日はどちらへ? ほうほう、あの丘までピクニックと。それは素晴らしい‼ どうぞ楽しんで来てくださいませ。


 ……今の方でございますか? あの方はつい先日こちらに来られた方です。生前は女性ながらに馬を操る名手であったそうで。連れている生き物も立派なお馬でございましょう?

ええ、ええ。この地区の方々は他の地区の方々に比べましても善良な方々が多いと評判なのです。なので私も自分のことではございませんが鼻高々なのでございますよ。


 おや、話が逸れてしまいましたね。ええ、分かっております。空き家の調査でございましょう?

先月一人逝って生まれ変わってしまいまして。一つ、空き家がございますのです。

さぁさ、こちらでございます。ほら、ここからも少し、見えるでしょう? あの赤い屋根の家でございます。少し坂道を登りますが、頑張ってくださいませ。




 はい、着きましたよ。

どうです、見事な庭でございましょう。家主の方がいらっしゃった頃はもっと花々が美しく咲き誇っていたのですよ。


 この家に住んでいらっしゃったのは蝶を連れたお嬢さんでございました。享年よわいは十六、七であったと記憶しております。まさに蝶のごとく美しく、可憐なお嬢様でございました。

生きたのは大正の日本、お家は平安から続く貴族__ああ、この時代は家族でございました__そんな良いお家で生まれ、育ったのでございます。。

彼女は不自由無い幼少期を過ごされましたが、肺の病気で若くしてこちらに来られたのです。


 来られた頃は大変でございました。

死んだと分かっていながらももっと色々やりたいことがあったと毎日のように涙を流されており、そんな様子を私はただ見守ることしか出来ませんでした。

ですが連れていらっしゃった蝶は彼女に甚く懐いておりまして、ずっと慰めるように辺りをぱたぱた、ぱたぱたと飛んでいたのでございます。


 やがて、あまり泣かなくなった彼女はだんだん笑うようになりました。

ああ、そこのテラスをご覧ください。彼女はそこで座って日がな一日、庭の花々の中を蝶が舞う様子を飽きもせずに眺められておいででした。

紅茶がお好きなようでして、私が現世から仕入れました茶葉をいつも楽しみにお待ちになっておりました。私が持っていくのを待ちきれずに私のところまでいらっしゃったこともございます。

お茶菓子はワッフルを好まれておりまして、毎日違うフルーツを乗せて召し上がっておられました。こんなに毎日ワッフルが食べられるなんて夢のようだわ‼ とたいそう喜ばれて、材料を用意しておりました私も嬉しくなったのか昨日のことのように思い出されます。


 他にも__ああ、調査ですね。ええ、忘れてはおりませんよ。一階は一通り見ましたね。それでは二階に行きましょうか。

 ええ、二階は寝室と読書室、あとは浴室でございます。

彼女はかなりの読書家でいらっしゃりまして、生きている頃に読めなかった本をたくさん読めて満足そうでいらっしゃいました。

ああ、ここは寝室です。なんでも、天蓋付きの欧州のお姫様のようなベットで眠ってみたかったらしく、このような見た目となりました。ほら、真っ白で枕がいっぱいでふかふか。細かな装飾にもこだわった、と嬉しそうにお話されておりました。

 特に私のお気に入りのところがございまして。……ほら、ここです、ここ、ここ。布団と枕カバーとベットの装飾。よくご覧くださいませ。同じ蝶の模様が入っているでしょう? この蝶は彼女の蝶でございます。青系の、落ち着いた色合いの蝶でございましたが、羽根がとても大きく、飛んでいる様はまるでワルツでも踊っているかのように優雅でございました。

庭にたくさん植えられていた薔薇もこの蝶のお気に入りの花がそれでございましたから薔薇が至るところに植えられたのでございます。




 ……ええ、分かっております。家主が生まれ変わってしまった家は全て消さなければならないのですよね。分かっておりますとも。

しかしながら、私は何度これを経験致しましても慣れることはできません。

どの家も家主様の想いが籠もっておられるからでございます。

立派に人生を生き抜かれた家主様が再び人生を生きるまでの待ち時間を過ごす、という家の役割は果たしております。ですがやっぱり、そんな家主様の束の間の癒やしの時間を提供しました家をこうも簡単に、まるで塵のように消してしまうのはいささか抵抗があるのでございます。

特に今回のこの家は見ての通り、美しい庭です。年中薔薇が咲き誇り、素晴らしい香りが漂っております。これは魂の生き物である蝶が気に入ったのですからよっぽどです。

そんな、良い庭を、消すなんて。


 ………………やっぱり、例外はありませんよね。

ええ、諦めます。私にはそのような権限も、力もございませんから。

……何をしていらっしゃるのですか? シャベルなんて持ち出されて。

……本部の彩りにこの薔薇を?

……………………。

ええ、ええ‼ 素晴らしいお考えでございます‼

私もお手伝い致しましょう‼ ほら、もう一つあるでしょう、シャベル‼

ああ、なんて嬉しい、喜ばしいことでございましょう‼

あのお嬢様が再びいらしたら本部へとご案内致してもよろしいですか?

貴女の薔薇は立派に貴女を待ち続けましたとお伝えしたいのでございます‼

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