エリアと竜

@himmel

第一章 エリア・カアラ・サーファルド

Ⅰ 旅立ち (1)

煌びやかな装飾なんて辺りを見渡せばどこにでもある。芸術的な価値なんてこれっぽっちも分からないけれど、見る人が見れば卒倒するようなものばかりが置いてある、と城に仕えるメイドたちが噂しているのが何度か聞こえたものだ。もっとも、エリアは周りの装飾の具体的な形や光沢の輝きなんて覚えてはいない。彼女は常に俯きながら歩いている。


 「エリア様、おはようございます。本日もお美しいお召し物を……」


 格式ばった言い方だな、とエリアは思った。ここにいるメイドは誰一人として自分に敬意なんて払っていないことをエリアは知っている。


 「う、ん」


 精一杯の返事をエリアはした、つもりだった。しかしメイドは「え?」と聞き返してきた。エリアはその言葉には答える事なく、そそくさとその場を後にした。去り際にチラリと後ろを見ると、そのメイドはぽかん、とした顔でこちらを見ているではないか。エリアは何か被り物があれば良いのに、と思った。誰からの視線も感じたくないからだ。


 「エリア!」


 突然の声にエリアの肩はビクッと跳ね上がる。この声は得意な声ではないからだ。決して怒声ではないし、特段大きな声ではない。しかしエリアはこの声を聞くと身構えてしまう。


 「何故下を見ながら歩いているの、エリア・カアラ・サーファルド。貴方の視線の先には私の顔があるのでしょうか。そこに私の視線を感じたのでしょうか」


 エリアは恐る恐る顔を上げた。そこには顔に幾分か皺の出来た、それでも未だに整った顔立ちと鋭い目つきをした赤髪の女性が立っている。その表情は常に険しく、眉間には加齢のせいではないであろう皺が寄っている。


 「申し訳ございません。お母様」


 自分の声が震えているのが分かる。エリアは目の前の女性が苦手だ。例え母と呼ぶべき人だとしても。


 「陛下が呼んでおります。速やかに玉座の間に来るように。貴女とアリス、双方に話があるとか」


 露骨なため息の後、母は音を立てず歩いて行った。エリアは張りつめていた空気が幾分か取り除かれたように感じた。そして後ろから聞こえるヒソヒソ話に耳が傾いてしまった。先程のメイドが先輩のメイドに耳を貸しているのが見えた。


 「貴方、ここに来てまだ年月が経っていないのでしょう?だったら、エリア様には極力話しかけない方が良いわよ。今リアナ様と話している姿を見て、分かることがあるでしょう」


 新人らしきメイドは困った顔をしていたが、何かに気付いたような顔をして先輩の耳に声を掛けている。


 「もしかして御髪の色でしょうか?リアナ様は、それはもう鮮やかな赤色でございますよね。アリス様も同じく美しく赤い御髪でいらっしゃいますし。それを思うとエリア様はまるで、炭を塗りたくったかのように黒い御髪でいらっしゃいますよね」


 エリアはその続きを聞きたくなくて、広い城の中を駆け出した。こうやって次々と自分の居場所が無くなっていくのだ。あの新人メイドも、きっとエリアの事を「あの」呼び名でコソコソと呼ぶに決まっている。だが、エリアはもう少し早く足を踏み出すべきだった。その言葉は確かに聞こえた。確かにエリアの心に突き刺さったのだ。


 「忌み子、ですか」



 玉座の間に向かうまでの通路の中で何度蔑んだ視線を受けただろう。何度クスクスと嘲るような笑いを聞いただろう。この屈辱を彼女はこの城に来た時からずっと受けていた。まるで格好の話のタネだ、とメイドたちには思われ、城に仕える兵士にはもはや、挨拶すらされもしない。本当に惨めで情けない第二王女だ、とエリアは思った。しかし一番情けないのはそれを打破する力もなければ勇気もない自分自身だ。この現状にも、自分自身ではどうしようもないという諦めだけが胸の中にあった。


 「お父様。失礼いたします」


 玉座の間に着くと、門番がギイ、と門を開けてくれた。中には城の装飾の割には地味な玉座に座る、短く金髪を刈り揃えた――所々白髪交じりの――エリアの父にして、サーファルド王国を束ねる偉大なる王、サードレアン・デル・サーファルドが僅かに厳しい顔で待ち構えていた。

 おずおずと中に入って行くと玉座の隣に母と呼ぶべきリアナが立っていた。立ち位置上当たり前ではあるが、無性に見下されている感じがした。


 「エリア」


 玉座の前に行くと隣に姉であるアリスの姿が見える。後ろには精鋭の兵士たちが武器を構えてピッチリと整列をしている。自分の後ろには誰もいないのに、これが人徳というものだろうか?


 「今日の十時には玉座の前に私たち姉妹で来るという話になっているはず。何がどうしたら遅刻なんて出来るのかしら」


 エリアは一瞬アリスの言葉が理解出来なかった。エリアが父に呼ばれている話を聞いたのはついさっきだ。チラリと時計を見ると十一時を丁度回ろうかという時間だ。そのことから計算してもせいぜい二十分前に言われた位だろう。


 「そんな話、聞いていない」


 アリスから視線を背けながら聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟いた。アリスは呆れ気味にエリアを見ている。恐らく今のは聞こえていないだろう、聞こえていたら生真面目なアリスの事だ、怒り出すに決まっている。

 「あまりにも遅いものですから、私も用を足しに行ってしまいましたよ」

 口元を隠しながらリアナはそう言った。エリアはこれがリアナの仕向けた嫌がらせであることを悟った。しかし、だからと言ってここで仮にも母にあたる人物を非難したところでどうなるだろうか、きっとどうにもならないだろうとエリアは即座に判断した。言葉を発することなく頭だけを恭しく下げた。


 「所詮娼婦の娘なのだろうな」

 「アリス様やリアナ様から感じる気品が全然ないものな」


 アリスの後ろに並ぶ兵士たちの声が玉座の間に流れた。大きな声ではなかったが、確かに部屋にいる全員の耳に入ったであろう。現にアリスの視線は後ろの兵士たちに向けられていた。


 「誰?今無粋極まりない愚かな言葉を発した者は」


 シーン、と静まり返る中で、もう一度アリスは声を発するつもりで、短く息を吸った。


 「もうよい」


 しかし、その静寂を打ち砕いたのはサードレアンであった。

 サードレアンは立ち上がり、階段を下りてエリアたちと同じ目線に立とうと歩き出した。しかし、数歩するとクラリ、とよろけた。


 「陛下。ご自愛を」


 リアナはそうサードレアンに声を掛けるも、手を突き出して「それ以上の言葉は無用」とリアナに合図をした。


 「無様な姿を娘たちに見せておるな、すまんなアリス、エリア」


 階段を下り終えると、少しばかり口角を上げてサードレアンは言った。


 「何をおっしゃいます、お父様。貴方なくして私たちはここまで育ちませんでした。そしてそれはこれからも同じことでしょう。無様などと私たち姉妹は思いません」


 アリスの言葉に、エリアは声にはしなかったが強く同意し、ハッキリと頷いた。自分は情けない人間かもしれないけれど、サードレアンは偉大な王であり、父である。

 サードレアンが王になってから、このサーファルド王国は良くなった、と巷で噂されていることは城からほとんど外に出ないエリアでも知っている。今でも城下町の貧富の差は激しいことは知っているが、それでもだいぶ良くなったものだ。エリアが物心ついてから今に至るまでだけでも、町の雰囲気が明るくなっているのが分かるほどだ。


 「お前たちはいい子に育った」


 サードレアンは慈愛に満ちた目でアリスを、次にエリアを見た。


 「しかし、私はもう長くないんだ。自分の身体のことは自分が良く分かる。最近は咳も酷くなったし、動きが鈍っているのは間違いがない。病に蝕まれているのだろうな、こうやって娘と触れ合う時間もあとどれだけあるか。そして私は……お前たちには申し訳ないが、男の子には恵まれなかった」

 「非常に残念な事だと思いますわ」


 その声はリアナのものであった。どこかつまらなそうに言うのが気になったが、エリアは父サードレアンをずっと見つめていた。


 「アリスは十八歳、エリアは十六歳。二人とも婚礼をするのに申し分のない年齢に達したが、私はお前たちを嫁に出すつもりはない。出せばこの国を継ぐ者がいなくなるからだ。だから私はお前たちに託すことにした」

 「託す、って?」


 声を発したエリアを優しく見つめると、サードレアンはポン、とエリアの頭の上に手を載せた。その手はとても大きく、暖かかった。


 「立派な婿を連れてきて、王にするか。もしくは姉妹のどちらかが王になるかだ。どちらにしてもお前たち二人には、王としての心構えを学んでもらわなくてはならない。教育、作法、それだけではなく、実際に外の町に出て民の声を聞くことも必要となるだろう。楽な事ではないかもしれないが、それでもお前たちなら出来ると私は信じておる」


 ザワザワ、と部屋の中に波紋が広がる。結婚するならするで婿を連れてきて、立派な王に仕立てろと言い、そうでなければ自分たちが王になってみせろ。そう言ったのだ。


 「陛下、無礼を承知で申し上げます」


 一歩前に出たのはリアナだった。


 「アリスには資格があるでしょう。彼女はとても聡明で下手な男よりは政には明るく、既に町の民からも愛されている、と私は思います。何よりこの私がお腹を痛めて生んだ愛娘ですもの」


 リアナは胸に手を当てて淡々と、まるで紙芝居を読むかの如くつらつらと言葉を発した。


 「しかしそのエリアは、僭越ながら陛下の娘ではあっても、私の娘ではございません。そればかりか、陛下が一日城から抜け出して会っただけの娼婦の娘でございましょう」


 エリアは目を伏せた。

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