184 潜水艦の夜


 真也は多くの検査を再度受け、自室へと戻ってきていた。


 真也が戻る頃には光一も隊長陣による作戦会議から帰ってきていたが、時間も遅いため、内容の共有は明日の朝と言い残して自室の『第二室』へと戻ってしまっていた。


 アリスとのやりとりで気を尖らせていた光一だったが、その雰囲気は一向に収まっておらず、むしろ強まっているように感じられた。


(たしか、『道化師』は『クイーンズナイト』の隊長だったよな。オルコット准尉と、またなにかあったのかな……)


 真也はそんなことを考えながら、『i』の中の自室である『第一室』の固定された椅子の上で、ペットボトルの水をあおる。


 ふと壁が目に入ったが、そこは一面壁紙だった。


「……なんだろう、夜って感じしないな」


 真也は呟きながら、ボソリと呟く。そんな彼へと返事をする声があった。


「ま、窓があればいいんですけどねぇ……。ちょっと憂鬱ですねぇ」


 ほっこりとした笑みで話しかけるのは、真也と一緒にペットポトルからくぴくぴと水分補給をしていた美咲だった。

 話に乗ってきた美咲に、真也は笑顔を返す。


「そうだね。でもやっぱ、潜水艦だと、窓つけるのは難しいのかな……」

「そうなんですかねぇ……どうなんでしょぉ……」

「ね」

「はいぃ……」


 どちらも答えを出すことができず、場はふわっとした。


 真也は、話の流れを変えるという意味も込めて、気になっていたことを口に出す。


「……そういえば、喜多見さんって、オルコット准尉と知り合いなの?」


 ホフマンの私室でのアリスと美咲のやりとりは、明らかに交流があるように見えた。


「アリスちゃんとは、何度か作戦で一緒になって……同じハイエンドだし、って事で仲良くしてもらってますぅ」

「へぇ……そうなんだ」


 真也は二人の接点に相槌をうちながら、手の中のペットボトルをもてあそぶ。


「そういえば……オルコット准尉は喜多見さんが『おもちゃ箱トイボックス』だって知ってるんだね」

「はいぃ。私のことを気遣って、黙っててくれてますぅ。色々と教えてくれたり、アリスちゃん、すごいんですよぉ」


 美咲は頬を緩める。しかし、今日の真也に対する彼女の様子を思い出したのだろう、美咲は慌てて表情を引き締めた。


「あ、あの、アリスちゃん、間宮さんのこと……あんな風に……。

 アリスちゃんは、ちょっときついこと言いますけど、でも、いい子ですから、その……」


 アリスの真也に対する懐疑の態度をなぜか自分のことのように恐縮する美咲に、真也は微笑みかける。


「うん、大丈夫、気にしてないよ」


 真也は手を振り、美咲の謝罪を受け流す。

 自分の異能に『相手の異能を無力化する』という力があるとは知らなかった。それ故、アリスから『対オーバードの異能などあり得ない、いてはならない』と言われたときに、的確に返事することができなかったのだ。


「むしろ……自分の異能がなんなのか、ちゃんと言い返せなかった自分が恥ずかしいくらい」


 真也は苦笑いを浮かべながら、頭を掻く。

 自分の異能がなんなのか、など考えたこともなかった。


 バツが悪そうな真也に、美咲はベッドから身を乗り出して両手をぶんぶんと振る。


「ま、間宮さんの異能が、どんなものだって……わ、わたしは間宮さんがどんな人か、し、知ってますから!

 いろんな人のために、がんばって、わ、わたしだって見捨てずに、仲良くしてくれますしぃ!」

「……ありがと、喜多見さん」

「えへへぇ」


 力説する美咲に真也は微笑みを返し、美咲も表情を緩めた真也に安心したように、にへらと笑った。


「きっと、アリスちゃんも、分かってくれますよ! アリスちゃん、異能について詳しくって。それに……」

「それに?」


 不意に言い淀む美咲に、真也は首を傾げる。

 美咲は何度か口を開いたり閉じたりとした後、申し訳なさそうに目を伏せた。


「い、いえぇ、なんでもないですぅ……私が、言っていいのか、分からなくて……。

 で、でも、どうか間宮さん。アリスちゃんのこと、嫌いにならないであげてくださぁい!

 わ、わたし、頑張りますから! わたしなんかが力になれるか、不安ですけどぉ……それでも、頑張りますぅっ!」


 美咲は両手をぐっと握って、力強く宣言する。

 真也がアリスに対して歩み寄ってくれるというのなら、それを全力で手伝うのが自分のやるべきことだと美咲は息巻いた。


「仲良く、かぁ。作戦を一緒に頑張れるくらいには、なれるといいけど……。

 相手もハイエンドの『突然死サドンデス』だもんね。仲違いしてちゃダメだよね」


 真也は、美咲のやる気を受けて、彼女の意見に賛同する。

 今後はどうあれ、せめて今作戦は、アリスと仲違いをせずにこなさなければならない。

 自分を信用していない、という彼女とどのように付き合っていくべきか、すぐに答えは出ないものの、それでもこちらまでヘソを曲げるわけにはいかないだろう。


 『突然死サドンデス』、人型殻獣、超自然主義者たち。それぞれの強さは分からないものの、ホフマンは『全てを利用しなければ』と言っていた。


 他でもない司令官がそう考えているのだから、真也は自分にできることは、どんなことでもしよう、と思っていた。


 それが、誰かを『守る』ことにつながるのなら。

 たとえアリスから嫌われていても、自分を曲げてでも、それでも、彼女にも力を貸してもらい、自分も力にならなければ。


「3人で力を合わせれば、きっと勝てるよね」

「そうですよぅ! 力を合わせれば、勝てますよぅ!」


 真也がアリスに対して前向きに考えていると感じ取った美咲は、内心胸を撫で下ろす。

 何はともあれ、明日からもがんばろうという、明るい雰囲気が『第一室』に満ちた。


 真也はずっと手元で転がしていたペットボトルの蓋を開け、残りを飲み干そうと持ち上げる。


「ま、間宮さんも一緒だし、今回は、あんまり死なないといいなぁ」

「……え?」


 真也は動きを止め、気の抜けた疑問の声をあげる。

 先ほどまで、共に『なんとかしよう』と言っていた美咲から、まさか『死者が出る』という言葉が飛び出すとは、つゆにも思わなかった。


「……え、な、なななんですかぁ? わ、私、変な事、言いましたか?」

「いや、死ぬ、って……」


 真也の言葉に、美咲ははっとしたように固まり、そして、申し訳なさそうに床を見つめる。


「あの……そのぉ……どうしても、死人は出ます。

 間宮さん……私は、いろんなところで、た、戦ってきました。『軍務』じゃなくて、『作戦』で……」


 美咲は床を見つめながら、しかしそれでも、伝えなければならない事を、真也へと告げる。


「どの作戦でも、死人は出ました。大きなモノ、初めて行われるモノは特に。

 ……異能は、いっぱい壊すことはできますけどぉ……いっぱいは守れませんから。今回も、きっと、人は死にますよ……?」


 真也は、ハイエンドとして活動してきた『戦場の先輩』の言葉に、ゴクリと息を飲む。


 『誰かが死ぬかもしれない。きっと死ぬ』


 まるで、日が昇れば沈むように、手を離せば物が落ちるように。作戦が始まれば、『誰かが死ぬ』。

 さも当たり前のように飛び出してきた言葉は、アリスに問い詰められた時よりも真也の心を深く抉る。


 一瞬、無力な自分が経験した、凄惨な光景が……クローゼットの暗闇と、スリットから差し込む風景が真也の脳裏にフラッシュバックする。


「そんなこと、俺は……俺が、させない」


 衝動的に放った言葉だったが、それは紛れもなく、本心だった。


「そう、ですねぇ……。

 間宮さんとなら……間宮さんと、アリスちゃんとなら、できるかも……」

「きっとできるよ!」


 真也は勢いに任せて立ち上がり、美咲の肩を掴む。

 急な接近に美咲は驚いて顔を赤くし、潤んだ瞳を少し伏せる。


「ま、間宮さぁん?」


 美咲は恥ずかしげに身動みじろぎし、大きな胸がぐにょりと形を変え、谷間が持ち上がる。


「あ、ご、ごめん!」


 いくらなんでも、いきなり女子の肩をつかむのはやりすぎた、と真也は一瞬吸い込まれた視線を谷間から外し、体も離す。


 変なことをした、と後悔する真也を助けるかのように、全艦消灯の音楽が、無言の『第一室』に流れた。


「ああ、消灯ですねぇ……」

「あ、ああ。そう、だね。お、おやすみ」

「はいぃ……お、おやすみなさい……」


 真也は火照った顔を冷ますように水を飲み干し、二段ベッドの上に上がるべく、梯子に手をかけ、上がっていく。


 そんな真也を見つめながら、美咲は呟く。


「……誰か死ぬ。それを知らないと。間宮さんも、知らないといけないんですよ」


 先ほどまでの申し訳なさそうな表情から一転した、どこか期待に満ちたような笑顔。

 完全に瞳孔は開いており、それは『興奮』を示していた。


「でも、もしかしたら……間宮さんなら、『できちゃう』のかな……」


 美咲はぶるり、と体を震わせると、眼鏡を外して自分もベッドへと潜り込んだ。

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