160 初陣


 『緑の人間』を乗せた巨大な殻獣は、怒りに任せて『葬儀屋アンダーテイカー』へと肉薄する。


 その先にあるのは、殻獣たちを砕いた、空中の『壁』。

 姫梨たちへと飛翔した殻獣たちを尽く砕いた防衛ライン。

 巨大な殻獣はその体躯からは想像もつかない速度で接近し、破壊の壁を跨ぐ。


『ギィィィィイイ!』


 その瞬間、やはりとも言える断末魔が上がった。

 巨大な殻獣の翅に、甲殻に、頭部に、節足に、次々と黒い棺の盾が刺さり、その命を削る。


 しかし、その巨躯が功を奏したのか、殻獣は防衛ラインの少し奥までその身をねじ込んだ。


 防衛ラインを超え、上に座していた『緑色の人間』が跳ぶ。


「抜けられたッ!」


 地上からその戦いを見上げていた直樹が叫ぶ。

 直樹の目では跳んだ緑色の人間の軌道を追うことは出来ないが、戦端が開かれることに違いはないだろう。


 次の瞬間、全く予想出来なかった『結果』が訪れた。


 変わらず宙に浮く棺の盾と葬儀屋。

 そして、直樹と姫梨から離れた場所で鳴り響く轟音と、地面を揺らす衝撃。

 派手に土煙が舞い、その粉末は彼らのもとにまで届いた。


 衝撃が発生した方向は建物の影になっており、彼らからは何が起きたのかは窺えない。


「なにっ!? 何が起こったのぉ!?」

「も、もしかして……叩き、落とした……とか?」

「えっ……」


 目にも留まらぬ速度で襲撃する緑の人間を、同様に葬儀屋が目で追えぬ速度で叩き落とした。

 その結果、緑の人間が地面に叩きつけられ、今の音が鳴り響いたのではないか。


「これが、ハイエンドの戦い……なの? 戦闘、終了……?」


 人間ならば『血煙』となり、オーバードでも死は免れぬような音だった。

 しかし二人が見上げれば、葬儀屋はじっと落下地点に視線を送っている。


「まさか、まだ生きてるのか?」

「そんなわけ……」


『ギィィィィ!』


 衝撃音のあった方向から響く、強烈な叫び声。

 そして同時に宙を舞う『チュロス屋台』。

 緑の人間が投げつけたのか、ファンシーな屋台が上空の葬儀屋に向けて放たれた。


「生きてるぅ!?」


 屋台は葬儀屋にぶつかる前に、急に現れた棺の盾によって受け止められ、粉々に砕かれる。


「なんつう馬鹿力……」


 飛んできた巨大な屋台を平然と受け止め、砕く異能の強力さもさることながら、それを上空まで軽々と投げつける緑の人間の膂力に直樹は驚く。


 一般人では不可能だが、空高く屋台を投げるだけなら、高位のオーバードであれば可能である。

 しかし、それを遥か上空の相手に『攻撃』と言える速度で投げつけるのは、容易なことではない。


 直樹が驚愕する間も、断続的に『巨大な看板』『街灯』『屋根』など、瓦礫というには大きすぎる『弾』が放り投げ続けられていく。


 葬儀屋は乗っていた黒い棺の上に屈み、縁をつかむ。

 そのままサーファーのように空中を滑って移動し、地上からの攻撃を避けて地面へと急降下した。


 葬儀屋の姿も直樹たちの位置からは建物の陰となり、見えなくなる。

 しかし、激しい戦闘が行われているのであろう断続的な破裂音や倒壊音が、直樹たちの耳を打ち続ける。


 その音と大気を揺らす衝撃は、特別訓練兵として幾度となく災害現場に立っていた二人ですら、過去一度も体感したことのないものだった。


「ここからじゃ見えない……!」


 完全に異次元の戦いに心奪われていた直樹は、無意識で葬儀屋が降下した方向へ一歩足を踏み出す。


「な、直樹クン、避難しよぉ!」 


 ふらふらと歩き出しそうな直樹の腕を引き、行動を止めたのは姫梨だった。


「あ、ああ。そうだな」


 あまりの衝撃に、『避難勧告を無視して戦場へ向かう』という、軍人らしくない……普段の自分からは考えられないような暴挙に出そうになった直樹は頭を振って冷静さを取り戻す。


「じゃあ、シェルターへ行こ――」


 次の瞬間、直樹と姫梨の目の前に黒い棺の盾が浮かぶ。


「……え?」


 目の前にあるのは、葬儀屋が乗っていたものと同じもの。

 『なぜここに現れたのか』という一瞬の疑問。


 それに対する回答は、すぐに与えられた。


 回答は、近づいてくる建物を破壊する連続した爆音。

 そして、硬質の『なにか』が目の前でぶつかる、聞いたことのないような衝撃音だった。


「うおぉぉぉ!?」

「きゃあぁっ!」


 直樹も姫梨も驚き、体が硬直する。耳が遠くなり、大量に押し寄せる瓦礫や粉塵から目を細める。


「あ、が……グゥ……クソがァッ! ヘレナの野郎ッ……話が違うじゃねェかッ……!」


 聴き慣れない呻き声に直樹がなんとか目を開くと、目の前にあった盾に緑の人間がへばりつき、苦痛の声を上げていた。


 緑の人間は、二十代と思しき男性だった。

 ツンツンと尖った緑の髪の毛に、攻撃的な性格を表すような釣り上がった瞳。

 手足は深緑の甲殻に覆われており、大きく露出された薄緑色の引き締まった肉体には、大量のアザが見えた。


「あ、ぐ……」


 緑の男の目が見開かれる。

 視線の先には、真っ黒なコート姿の葬儀屋が浮かんでおり、真っ白な棺の上からじっと彼を見下ろしていた。


 直樹たちの目の前に現れた黒い棺は、葬儀屋が吹き飛ばした緑の男を受け止めるためのものだったのだ。


『……キャシアス、だったか。どうした、『ひねりつぶす』んじゃなかったのか』


 葬儀屋は無機質に変声された言葉を放つ。

 激しい戦闘でフードが外れたのか、顔は鉄製のマスクで隠されていない上半分が晒されており、その瞳は冷徹なものだった。


 キャシアスと呼ばれた緑の男は、満身創痍ながら大声で吠える。


「テメェっ……異能がなけりゃクソ程度のくせにィ!」

『だからなんだ』

異能そんなもんの陰に隠れてねェでサシでかかってこいやァ!」


 直樹と姫梨に気がついていないのだろう、激昂したキャシアスと、冷静な葬儀屋の会話が続く。


『断る。俺はお前と『戦っている』わけじゃない。さあ、言え』


 葬儀屋は白い棺に乗ったまま、もたれかかるキャシアスへと近づく。


『フェイマス、って何だ』


 質問に対し、キャシアスは挑発するように緑色の血が伝う頬を持ち上げた。


「ハッ、俺から聞かなくとも、どうせ知ることになるだろうよ! なにせ有名フェイマスだからなァ!」

『そうか……なら』

「イキってんじゃねぇぞ『なりすまし』ィ! テメェも、テメェの家族も、友人も、人類全員ぶっ殺してやるからなァ!」


 言葉を遮る攻撃的な叫びに対し、葬儀屋は右手を上げる。


 その瞬間、騒ぎ立てていたキャシアスは一瞬体を震わせ、口を閉じた。


 瓦礫が遅れて崩れる音だけの静寂の中、葬儀屋は呟く。


『喋る気がないなら、もういい。終わりにしよう』


 葬儀屋の言葉と同時に、彼の周りには大量の棺が現れる。


 キャシアスは恐怖から顔を歪め、「クソが」と呟き、葬儀屋の――その異能の放つオーラに、直樹と姫梨もたじろぎ、足元にあった瓦礫が蹴飛ばされて音が鳴る。


 その音に、キャシアスと葬儀屋、二人ともが反応した。


「アァ……? 誰だテメェら?」


 より大きく反応したのは、葬儀屋の方だった。


『か……君たち、早く避難をッ! こいつの『異能』はッ!』


 ここにきて、初めて葬儀屋の焦る声を聞いたキャシアスは頬を吊り上げる。


「ちょっとくらいは道連れにすっかァ!」


 キャシアスは凶暴な笑みを浮かべ、大きく右足を上げ、地面を踏みつける。


『二人とも、跳べッ!』

「えっ!?」


 混乱する二人は動けなかったが、直後何かによって足を掬われる。

 そのまま倒れ、したたかに体を打ち付けた。


「きゃっ!」

「いって!?」


 2人とも足をかけられて地面に倒れたのかと思ったが、彼らは居たのは、地面から少し浮いた棺の盾の上だった。

 直樹は硬質な棺の盾に手をつくと、視線を上げる。


「な、んだ、これ……」


 激変した周囲の風景に、直樹は驚きの声をあげた。

 先ほどまで瓦礫しか転がっていなかった周囲には、無数の岩の刺が隆起し、乱立していたのだ。


 『岩山』の異能者の戦い方に似ているが、ここまで強力なものを直樹は見たことがなかった。


 自分の足元を再度見ると、葬儀屋の棺が完全に岩の刺をせき止めている。

 横から伸びてくるトゲは全て砕かれており、自分たちがあたふたとする間、葬儀屋の手によって守られていたことに気づく。

 葬儀屋が棺の盾を配してくれなければ、今頃身体は穴だらけだっただろう。


「助かった……?」


 葬儀屋に邪魔され、直樹も姫梨も殺せなかったキャシアスは口惜しそうに叫ぶ。


「クソが、邪魔ばっかしやがってェ! こうなりゃ、全員道連れだァァ!」


 キャシアスは再度右足を振り上げる。

 その様子と、破れかぶれの雰囲気に、直樹は岩山の異能者の持つ『追加攻撃』に思い至る。


 隆起させた地面の破裂。


 周囲を取り囲む針山全てが炸裂したら、姫梨も、自分も、下手をすれば葬儀屋すら危ういのではないか。

 この全方向攻撃を『葬儀屋』は止められるのか。


「やばい!」


 直樹は叫びながら異能発現のため右手を姫梨へと伸ばすが、キャシアスの右足が地面に到着する方が圧倒的に速いように思われた。


『させるかッ!』


 葬儀屋が吠え、棺が次々に舞う。


 直後、周囲に広がる岩山が砕けたにしては小さな『すぱん』という破裂音。続いて人間ほどのサイズの何かが吹き飛ぶ大きな音が鳴り響き、地面を転がる音が続く。


「なに……? 間に、あったのぉ……?」


 唯一、自分の身を守る術を持たなかった姫梨が、恐る恐る目を開きながら呟く。


「あ、ああ……多分……」


 未だ周囲を囲む針山は、キャシアスがそれらを炸裂させる前に、戦闘が終了したことを表していた。


『今、針を砕き……砕く。じっとしていて』


 少し口調の柔らかくなった葬儀屋の言葉とともに、周囲の岩が次々と砕かれていく。

 そうして辺りの様子が分かるようになると、少し離れたところに横たわるキャシアスの姿があった。


 目を見開き、頭を撃ち抜かれたのか、額に空いた小さな穴からどくどくと緑の体液が流れ出している。


 ひとめで死体であると理解できた。


「終わった……のか……」


 戦闘終了の安堵から直樹と姫梨が葬儀屋に視線をやると、彼はいつの間にか目深にフードを被り直していた。


『辺りに殻獣は居ない。生徒たちで連携をとって、後処理を頼む』

「は、はい!」

「あ、あのぉ……ありがとうございましたぁ!」

「俺たち、足を引っ張っちゃったみたいで……」


 直樹が申し訳なさそうに呟く。

 キャシアスと葬儀屋との戦闘において、自分たちは完全に邪魔でしかなかった。


 かしこまる二人に葬儀屋は「ふ」と小さく笑う。

 呼吸に近いその音は変声機をすり抜け、人間らしい肉声だった。


『……構わない。ふたりが無事で良かった』


 続く言葉も、機械を通していても分かる、人間臭さを感じさせる優しい声だった。

 先ほどまでの苛烈な戦いや奇抜な格好とは釣り合わない優しい言葉に、直樹も姫梨も目を丸くする。


 特務官、ハイエンド。そんな特別な存在とは思えないような、温かみだった。


 そんな2人の想いをよそに、葬儀屋は自身のフードの中に手を差し込むと耳に手を当てる。


『鞠浜の駆除は完了しました。次の現場へ向かいます』


 短く報告した彼は、棺の盾に乗ったまま瞬く間に上昇し、真っ青へと色を取り戻した大空へと消えていった。

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