140 ロシヤーネの戦い(下)
『正規軍人……こんなものか』
ぺトルーキオは振り抜いた拳を軽く握り直し、残った3人……護衛とレオノフとレイラを見る。
護衛二人が一瞬にして無力化されたレオノフは、それでも笑みを伴ったままぺトルーキオと向かい合っていた。
ぺトルーキオは再度常人には見えぬ速度でレオノフへと迫り、同時にレオノフが叫ぶ。
「ヴァレリィ!」
「はっ!」
名を呼ばれた護衛の男性軍人、ヴァレリィはオーバードとしての脚力を発揮し、一瞬でぺトルーキオとレオノフの間に割り込んで異能を発現する。
空間に『歪み』が発生し、ペトルーキオの拳が止まる。
『力場操作か』
ヴァレリィの意匠は『盾』。自身の前に力場を作り、障壁を貼る異能。
防御特化のキネシス能力を前に、それでもペトルーキオは相貌を崩さずに呟く。
『しかしまあ、どれくらい耐えられるか』
ぺトルーキオは右手を引き、左手を握ると二撃目を放つ。
そのまま再度右拳で攻撃、止まることなくさらにもう一度左。連続した正拳突きは徐々に速度を上げ、断続的な衝撃音から、ドラムロールのような連音へと変わる。
ぺトルーキオのラッシュが盾の異能を揺らす。一撃一撃が常人にとっては回避不能で必死の一撃。
「ぐっ」
ぺトルーキオの攻撃にヴァレリィは表情を歪める。通常であれば破られる事もない彼の異能も、規格外の人型殻獣の前に限界を迎えようとしていた。
突破されるかというその時、ぺトルーキオは拳を止めて振り返る。
『いい奇襲だ。気づかれなければな』
振り返ったぺトルーキオの目に映ったのは、大杭を槍のように突き出し飛びかかるレイラ。ラッシュを放つ短い間に、レイラが後ろへと回り込んでいたのだ。
察知されたと気づいたレイラは槍を投げ捨て、迫りくる拳を受け止めるようにガードを上げる。
レイラのガードをそのまま打ち砕かんとするぺトルーキオの拳が、止まる。
『ぬ』
「ちっ」
レイラは小さく舌打ちし、ガードの奥に潜ませた小型の杭をペトルーキオの顔へと放り投げる。
『素晴らしい』
ぺトルーキオは短くレイラの戦術に嘆息しながら、飛んできた杭を弾く。
あのままぺトルーキオがレイラを殴っていれば、その勢いを利用した杭が、レイラのガードごと逆に自身の拳を貫通していただろう。
『冷静な戦士だ』
自分の腕を『目隠し』として割り切る少女に、ペトルーキオは称賛の声をあげた。
レイラは即座に大型の杭を作り出し、再度構える。ぺトルーキオは構えなおすが、背後からの殺気に体を捻る。
直後、室内に響く炸裂音。ペトルーキオの背中を強い衝撃が襲う。
「ほう、硬いな。いい『素材』になりそうだ」
レオノフの感想を聞きながら、ぺトルーキオは2、3歩よろめく。
背後を見せた瞬間にレオノフがペトルーキオの甲殻のない脇腹へと杭打ち機を当てて引き金を引いたのだ。
大型の杭が射出される直前に甲殻を持つ背中で受ける選択をしたのは野生の感だったが、正解であった。体を捻らなければ、杭打ち機の吐き出した硬質の牙が脇腹に刺さっていただろう。
一方のレイラは、次の
『ふむ、異能のない身でその速度と思い切り。正規軍人も様々か……。
先程の言葉は撤回させてもらおう。お前たちは……特にその2人は、まごうことなき戦士』
レイラとレオノフに手を伸ばし喜色を浮かべて語るペトルーキオを、レイラは睨み付ける。
「なにを、偉そうに」
『ふはは、熱意やよし。しからば、こちらも全力で応えよう。時間がないのでな』
レイラは身を低くして構え、小さな杭を何本も作り出して指の間に挟む。装填を済ませたレオノフも杭打ち機を担ぎ直した。
どちらにペトルーキオが飛びかかろうとも防御に入れるよう、ヴァレリィもじりじりと距離を測る。
一触即発の空気の中、レオノフが呟く。
「……気に食わんな」
戦場の空気を壊すレオノフの言葉に、ペトルーキオは眉をしかめる。
なんと言っているのかは分からないが、彼にとって『語らい』の時間はとうに過ぎていた。
「お前が我がロシアの誇る『青い蝶』と、『白狼』を気にするのはよく分かる」
自信満々に語るレオノフの『青い蝶』という単語にレイラは少しだけ眉を歪めるが、レオノフは全く気にせずに言葉を続けた。
「しかしな、お前はロシア支部を……舐めすぎだ。
お前たち、いつまで寝ている!
レオノフが裂帛の意気を込めて叫ぶ。その気迫を受け、二つの影がペトルーキオへと迫る。
「
地面に伏していた二人の護衛。口の端から血を流しながらも、獰猛な狼を思わせる瞳でペトルーキオへと肉薄する。
一人の手には、異能物質でできた漆黒の刃。もう一人の手のひらには高圧の光。
2人はそれぞれの得物を手に、ペトルーキオへと襲い掛かる。
『まだ立ち上がれるか!』
ペトルーキオは驚きながらも、思いもよらぬ『戦士たちの登場』に破顔した。
黒い刃を左腕で弾き、迫りくるもう一人の掌に集まる『光』に注意を向ける。
『それは危なそうだな』
硬質の体を持ち、次々に攻撃を弾いてきたペトルーキオは、高圧の光が集う掌が自分の体に触れる前に、手に触れぬように手首を掴んだ。
通常の殻獣であれば他の攻撃同様にその体で自慢げに受け止めていたであろう。
「ちッ!」
護衛は『知性を持つ殻獣』の厄介さに舌打ちをした。
「セルゲイ!」
腕を掴まれ、死に体となった同僚を助けるべく黒い刃が再び現れ、ペトルーキオの腕を落とさんと襲いかかる。
刃はこれまで攻撃を弾いてきた腕ではなく、的確に『関節』を狙って振り下ろされていた。
『ぬぅ!』
同時に、手首を掴んでいるセルゲイと呼ばれた護衛のもう一方の手に光が集まっているのを確認したペトルーキオは追撃を諦めて後ろに飛び退いた。
ペトルーキオとレオノフの間に陣取った二人の護衛は声を張り上げる。
「ふん、寝坊がすぎるぞ、セルゲイ、エメリアン」
「失礼しました、少将!」
「あんなに優しく『撫でられた』のは子供の時以来でして、思いの外安眠してしまいました」
軽口を言いながらエメリアンは両手に新たな剣を生み出し、セルゲイも笑いながら両手に再度光を集める。
二人とも笑みを浮かべているが、その実、最初の一撃によって肉体の損傷は大きく、よく見れば足は震え、口の端から再度鮮血が漏れ出る。
しかしそれでも彼らは不敵に笑う。
ロシア支部の正規軍人として。人類を守る……いまの任務はレオノフの護衛だが、地球の免疫として、
三対一から、一気に五対一。
絶体絶命の状況にも思えるが、ペトルーキオは自信を揺らがせずにゆっくりと構え直そうとし、そして、自分の指先が『うっすらと消えている』ことに気付く。
戦闘による損傷ではなく、『煙』の異能によるものだった。それは『早くしろ』という協力者からの合図である。
『ぬぅ……時間か。無粋な奴め』
心底悔しそうにペトルーキオは唸った。
ここまで心躍る戦いができたのは、彼の人生の中でも数えるほど。
その『楽しさ』をここで中断させられてしまうことに怒りを覚えないと言えば嘘になるが、それでも彼は『配偶者』と違って、命令を優先する程度には『文化的』である。
ペトルーキオは肉体に力を込め、彼の異能を発現させる。まるで蒸気機関が動き出したかのように甲殻の隙間から蒸気を発し、緑色の体が、赤くなっていく。
『最後に一つ、本気を見せてやろう』
赤黒い色に変じたペトルーキオは拳を振り上げ、床へと叩きつける。
彼の拳が地面に触れ、打撃音というよりは爆発音に近い轟音が、辺りに響く。
次の瞬間、校舎自体が大きくゆれる。オーバード用に強化された教室がペトルーキオの拳を境にして、音を立てて崩れていく。
レオノフたちの立っていた床が崩落、衝撃波により強化ガラスは砕け、レオノフたちも衝撃をもろに喰らう。
狙った方向のみ破壊する、指向性をもった爆発のような異能。
ほぼ無傷の、残り半分の教室からペトルーキオは呟く。
『さらばだ。名を覚えておこう、『白狼』と『青い蝶』よ』
呟いたペトルーキオの下半身は、すでに『存在しない』状態になっていた。
「貴様ァァアアア! 逃げるつもりか! 逃さんぞ! 絶対に逃がさんッ!」
二階から一階に落下した直後にもかかわらず、杭打ち機を担ぎ、突貫しようとするレオノフの肩を護衛のセルゲイとエメリアンが必死の形相で掴む。
「少将!!」
急に自分を止める2人を、レオノフは常人なら一瞬で竦み上がるような瞳で睨む。
「お前たち! 私はいい! 奴を逃すな! 分かっているのだろうな!」
レオノフの逆鱗に触れる行為だと2人とも分かっていたが、しかしそれでもこれ以上は危険だと判断せざるを得なかった。
「少将の身が優先です!」
最後にペトルーキオの放った衝撃波。それをもろに受け止めたのは後ろで倒れているヴァレリィだった。
彼は間一髪で他の面々の前に立ちはだかって異能を発現し、衝撃を吸収したのだ。
しかし、それにもかかわらず教室は無残に破壊され、当の本人も完全に気を失っている。彼がいない状態で、高位のキネシス能力者の盾を破壊する『広域攻撃』を持つペトルーキオとこれ以上やりあうのは得策ではない。
セルゲイたちがレオノフに気を取られている中、レイラが叫ぶ。
「私が、追う!」
レイラは一飛びに二階へと戻り、そしてそのまま窓から校舎外へと飛び出す。
「レーリャ!」
身柄を押さえられながらもレオノフは悲痛な表情を浮かべ、未だ自分の体を抑える2人へと、唾を飛ばして叫ぶ。
「くそ、馬鹿者! お前たち! 優先順位を見誤るな!
まずレーリャ、次に一般市民、化物の駆除、私の順だろうが!」
「申し訳ありません! 軍規的には現状、少将が最優先です! あなたはロシア支部に欠かせぬ人物なのです!」
レオノフの優先順位はどうあれ、彼らは軍規通り『殻獣撃破』よりも『人命優先』。そして一般人のいないこの場で『最上位官』の保護を優先した。
屋上で、光一が呟く。
「……さあ、仕事の時間だ」
「やりあっていいのですね?」
ニヤリと笑うルイスに、光一は釘を刺す。
「馬鹿者。まずは一般市民の保護と、現場の安全確保からだ」
ルイスはションボリと肩を落としながらも、移動を始める残りの面々の後に続いて屋上から飛び降りた。
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