139 ロシヤーネの戦い(上)
人払いを済ませた一室に、レオノフとその護衛、そしてレイラの姿があった。
不意にドアが開き、『空間の歪み』が入室してくる。煙の異能によって姿を隠した何者かだ。
「人型殻獣。人類の、新たなる敵」
ぼそり、とレオノフが呟くと、空間の歪みは霧散し、その中から男性の……乙種の人型殻獣が姿を現す。
他の人型殻獣と同じ、緑色の肌と髪。金色の瞳はレオノフたちの動向を見逃すまいと、静かに彼らに向けられていた。
「ほう、こいつがプロスペローとかいう奴か」
「ギ。ギギ。キィ?」
人型殻獣の声色はレオノフが想像していたよりも冷静なものだったが、言葉の意味はレオノフには一切分からなかった。
レオノフはふん、と鼻息を一つ出すと、そばに立つ護衛に目をやる。
視線を受けた彼は頷くと人型殻獣へと問いかけた。
「お前がプロスペローか、と少将がお聞きだ」
「ギギッ。キィ、ギィィキキ」
人型殻獣は首を振る。
その動きの意味はレオノフにも理解できた。まるで『人間』のように振るまう殻獣にレオノフは嫌悪感を募らせ、顔をしかめる。
「こいつはプロスペローではないそうです。ぺトルーキオ、と名乗っています」
レオノフたちがあらかじめ説明を受けていた人型殻獣の名は『プロスペロー』だった。
別種の襲来に、レオノフは念のためレイラに確認をとる。
「……レーリャ、そうなのか?」
「確かに、プロスペローでは、ない。初めて、見るタイプ」
レイラの言葉を受け、レオノフは顎に手を当てる。
「ぺトルーキオ、か」
目の前にいるぺトルーキオと名乗る人型殻獣は、レオノフよりも巨大な体躯を持ち、背中は甲殻に覆われていた。
屈強な筋肉を纏うぺトルーキオは、『もし人間であれば』レオノフの好きそうな、肉体論者の体つきだった。
レオノフや他の軍人たち、そしてレイラからの視線を受けながら、ぺトルーキオは口を開く。
「ギギ? ギィギ?」
「差し詰め、なぜここに我々しかいないのか、とでも言っているのだろう?」
「
「煙の異能だ。お前にはこの一室が可愛い愛娘の喫茶店に見えただろうが、それは幻だ。
お前は誘い出されたのだよ。我々の元にな」
「ギギ」
「そう言うな。やりあおうじゃないか、ええ?」
レオノフは不適に笑う。
彼の言葉がぺトルーキオに伝わるはずはないものの、しかしながら言葉の意味を解しているようなやりとりだった。
「少将、言葉がわかるので?」
「わからんよ。しかし、あいつは『ならば用はない』とでも言ったのだろう?
自分の目指す『喫茶店』でないと分かったから、ここにいる意味はない、と」
「その通りです」
護衛の首肯を受け、レオノフは鼻で笑う。
「帰すわけがなかろう。人の盾たる国疫軍人が、人類の敵を見逃す事は、決して無い。
学生共に任せるわけにはいかん。必ずここで『
ドン、と音を立ててレオノフは愛銃の銃底を地面に叩きつけて立ち上がる。
彼の愛銃は、レイラの身の丈ほどもある巨大な『杭打ち機』だった。
「レーリャ、どうする。プロスペローという奴ではないようだが……」
レオノフは娘に優しく声をかけるが、レイラは首を振る。
「私も、戦う。奴らは、一匹残らず、駆除する」
レイラの言葉に驚いたレオノフが、彼女へと振り向く。
「レーリャ……」
「なに?」
「良い瞳になったな」
「……そう」
レイラは槍のように長い杭を作り出し、ぺトルーキオへと先端を向けた。
ぺトルーキオは、静かに語りかける。
『私は諸君らと戦う気は無い。特に真ん中の。お前はオーバードですら無い。死にたいのか?』
「————? ————」
ぺトルーキオには真ん中の男は何を言っているか分からないが、それでも闘志は本物だと感じさせる語気だった。
『そうか。ならば拳で応えよう。急いでいるのでな、少し遊んだら私は行くぞ?』
ぺトルーキオは体を低くして構えた。
そんな彼に、レオノフは愉快そうに語りかける。
「ほう、いい構えだな。武道の心得があるのか」
『見様見真似だ。我流で組み上げた』
「虫の武道か。果たしてどれほどやれるものか」
『では、その身で味わうがいい』
「ふ、がっかりさせてくれるなよ」
肉体論者2人の、言語を超えた短い会話。
レオノフは杭打ち機を持ち上げてぺトルーキオに向け、周りの護衛たちはレオノフよりも前に歩み出る。
護衛たちは歩きながら異能を発現する準備に取り掛かる。
まさに戦端が開かれるかというその瞬間——前に出た護衛2人が、壁へと叩きつけられた。
一瞬にしてぺトルーキオが距離を詰め、護衛たちを吹き飛ばしたのだ。
『正規軍人……こんなものか』
ぺトルーキオは拳を振るった格好のまま、落胆の色を浮かべる。
オーバード用に強固に作られた一室だったが、2人の護衛は壁に亀裂を入れるほど強く叩きつけられ、そして膝をついた。
「ほう、やるではないか」
レオノフは久々に楽しめそうだと歯を見せて獰猛に笑い、レイラはぎゅっと杭を掴み直した。
そんな一幕を光一と苗、修斗とルイス。そしてロシア支部のユーリイとソフィアは眺めていた。
6人がいるのは、レオノフたちのいる一室が一望できる隣の建物の屋上。
全員が完全武装の状態で待機しており、その姿を一般客から隠すのに屋上という場所はうってつけだった。
「うへぇ、なんちゅう馬鹿力や」
ぺトルーキオの先制攻撃を目の当たりにした修斗は顔を歪めながら呟く。
「兄さん、本当に良かったのですか? 正規軍人の方々、吹き飛ばされましたけど」
「知らん。自己責任だ」
苗は薙刀を手に光一へと質問し、日本刀を腰に差した光一はずっと黙っていたが、不満そうに一言だけ呟いた。
光一の辛辣な言葉にユーリイが大仰に肩を竦める。
「手厳しいですね」
「あの程度、私でも避けられますわ。ロシア支部が皆ああだと思われては不服なのですけど」
ソフィアも同様に異を唱え、光一はふう、と息を吐き出し、再度レオノフたちへと視線を戻した。
人型殻獣が複数体、学園に紛れ込んでいる。
クーの捕獲というプランAから大きく離れた現状、光一は直属の上司である園口に問い合わせた。
『東異研が人型殻獣を確保していることが知られないのであれば、人型殻獣の存在についてレオノフ少将に報告して構わない。同時に、避難提案』
園口からの指示を聞いた光一は内心ため息をつき、現状を説明した。
ロシア支部から……レオノフから返された言葉は、予想はできても『納得しかねる』内容。
『人型殻獣については、ロシア支部で撃破を試みる。東雲学園に正式に依頼するので、誘導を試み、人払いを。
これは初期防疫であり、東雲学園の特別訓練兵は防疫時規定によりロシア支部の指示を順守のこと。
今作戦の責は、すべてロシア支部が請け負う』
『納得しかねる』が、それでも従わなければならぬ指示だった。
責任の所在を明らかにした上で、『一番近場にいる正規軍人』が『殻獣の処理を行う』。
それは国疫軍の基本的な対応策ではあるが、相手は『未知の敵』であり『新種』。
新種の殻獣の研究をするというのは『全く新たな技術的ブレイクスルー』を獲得するチャンスを得るのと同義だ。
殻獣から得られた技術は多く、新種の殻獣ともなれば、どの国も喉から手が出るほど欲しい。
しかも、今度の殻獣は『オーバードであり、殻獣』。
各国の首脳たちが把握し始めたほどの機密を、持ち帰るチャンス。
日本支部も……正確には『東異研』、いや『津野崎』が抗えなかった魅力にロシアが抗えるかと言われれば、『抗う必要はどこにもない』というのは、当たり前だった。
(この大事に、国益優先、か……津野崎女史もだが、どうして大局を見られぬのか……)
九重光一『特別訓練』兵長は心の中で毒づいたが、そんなことは表情に出さず、指示通り『1ーAの喫茶店の場所』を別の場所と勘違いさせるように煙の異能を展開し、ぺトルーキオを誘導した。
それが、今眼前で起こっていることのあらましだった。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず、とはいうものの……さて、どうなるか」
「おいおい、母校を
「四匹もいるのだぞ、似たようなものだ」
「悲し」
ぺトルーキオの肉弾戦を見た同じ肉体論者のルイスはうずうずと肩を回し、拳の骨を鳴らす。
「肉体派の人型殻獣ですか。あの教室から『奴』が出た際は、こちらの判断で行動して良いのですよね?」
「ああ。そういう指示だ。まずはロシア支部のお手並み拝見といこう」
「こんなことやったら、オレらは間宮クンとこに行った方がええんちゃうか?」
修斗の提案に、光一は首を振る。
「いや、いい」
「なんでや? どうせあそこに
「話を聞く限り、我々が参加してはむしろ足手纏いになる可能性がある」
真也やレイラから聞いてるプロスペローの異能……それは、他人の意識や感情を読み取るというもの。
その異能に対して有効打を持つのは、『無意識』で活動する真也の異能だけだと、光一は判断した。
しかしながら、ハイエンドとはいえ一年生一人に全てを任せるというのは、ルイスにとっては乱暴な話ではないかと思えた。
「そうですか……。
私としては複数人数で掛かれば目眩しにはなるとは思うのですが……苗さんも、良かったのですか?」
同級生のルイスの目から見て、彼女は真也のことを気にかけているように見えた。そんな彼女が真也一人で人型殻獣の対処をさせるのは、彼にとって意外だった。
しかし、ルイスの言葉を受けた苗は、特に焦った様子もなく、微笑む。
「真也さんを信じてますから。彼は、この短い間に強くなりました。
……それに、今の彼に必要なのは『自信』です。
私たちが手を出してしまっては、いつまでも真也さんは『ハイエンド』になれません」
「……手を出さへん、ねぇ。任せるとか言ってもなぁ」
修斗は苗の言葉に目を細めながら、この場にいない実動部隊の残り一人について思いを馳せる。
——喜多見美咲。
ここにいない彼女は林から何者も出さぬように、そして、真也が危険になった際に、プロスペローを即射殺できるよう、別の校舎の上で大量の銃座に繋がったカメラと睨めっこをしていた。
「任せることと、後詰を用意することは相反しません。
いいですか。真也さんはハイエンドとはいえ、まだ初心者です。
いまのままでは、彼は……能力に飲まれるでしょう。そんなこと、私が許しません。
……それに、彼女が手を出すような事態になれば、私は即座に向かいます。そして、私の持つ全てを駆使し、必ず駆除します」
苗は自分の武装である薙刀をぎゅっと握り、うっすらと微笑む。
彼女の言葉のどこに微笑む要素があったのか誰にも分からなかったが、それでも彼女は確かに微笑んだ。
その顔は、彼女の異能が発現したのかと錯覚させるような、冷たい微笑みだった。
「もちろん、私も駆除に向かいますわよ? その際は、どなたかお力をお貸しくださいましね?」
同じ声色で、ソフィアも呟く。
なんで、こんなのが二人もいるんだ。
男性陣は静かに頭痛を覚えながらも黙っていたが、ユーリイが『軽率にも』口を開く。
「僕としては、君はすぐに向かうものだと思っていたけどね」
その言葉は、ユーリイの本心である『君がここにいるのがめんどくさい』を薄めたものだったが、ソフィアにとっては『前フリ』でしかなかった。
「だって……他ならぬシンヤ様にお願いされたんですもの。ねえ、なんて言われたのか、教えて差し上げましょうか」
「いや、僕もそれは聞いてたから————」
「『ソーニャを危険な目に合わせられない』。そんなこと言われたら、私だって身を引きますわ。淑女として。
シンヤ様にとって、私は『守ってあげたい女の子』なのですわ」
自信満々に言い放つソフィア。同時に無線を聞いていた面々からすれば、真也の言葉が『苦し紛れ』であったことは明白だったが、それを突っ込むような野暮なことはしなかった。
「まあ、大人しく指示に従ってくれるならありがたいが」
光一は、ちらと妹の姿を視界に入れながら呟く。
また周囲の気温が下がったように、他の面々には感じられた。
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