116 政見放送のもたらしたもの


 苗の政見放送の後、学園は色めきだった。


 生徒会軍務に『拒否』を示した生徒会長候補は初めてであり、いままで選挙の際に考慮していなかった問題を、苗の言葉通り生徒たちは再考する。


 国疫軍日本支部の士官の椅子に最も近い高校生たち、その一部は、自身の『メリット』と『正義感』、その狭間で揺れていた。


 政見放送を終え、昼休みも終わりに差し掛かった頃に教室へと戻った真也は、その一大旋風を身に受ける。


「間宮、あれまじでいってんのか!? 生徒会軍務の廃止!」


 ドアを開けた瞬間に真也を出迎えた不意打ちのクラスメイトの言葉に、真也は一瞬たじろいだ。

 しかし、たじろいだのはその一瞬『だけ』だった。


「ああ。俺は、廃止したほうがいいと思ってる。苗先輩とおんなじ意見だよ」


 普段は相手の様子を伺うことの多い真也だったが、ことこの問題に関しての自分のスタンスは決まっていた。

 決して、曲げてはいけないと心に決めていた。


 真也の毅然とした態度に、クラスメイトたちにさらに驚く。

 力強い言葉と政見放送で見せた様子は、多くの生徒が真也に対して抱いていた『頼りなさそうな男子』というイメージを吹き飛ばすに有り余った。


「真也、政見放送、見た」


 集まるクラスメイトたちの中に、レイラの姿もあった。


「レイラ……どう、だった?」


 合宿において秋斗たちが危険を犯した事を誰よりも悲しんだレイラは、きっと賛成してくれる。

 真也はそう考えていたが、それでも直接レイラから意見を聞くとなると、少しだけ背筋が伸びた。


「うん。分かりやすかった。私も、生徒会軍務、反対。苗先輩に、投票する」


 真也の緊張をほぐすかのように、レイラは優しい声色で、労わるように真也へと告げた。


「これで、冨樫たちみたいな生徒、減ると、いいね」


 レイラの言葉に真也は頷く。他がどうあれ、他でもないレイラが自分と同じ意見であると再確認できたことは、真也にとって何よりも心強かった。


「ボクも九重先輩に投票するからな!」

「わ、わたしもですぅ!」


 合宿で同じ班だった伊織と美咲も、賛成の声を上げ、他のクラスメイトたちも同様に盛り上がる。少なくともAクラスの大半は真也と……苗と同じ意見だった。


 しかし、賛成を表すクラスメイトが増える中、真也の目に教室の端で固まって鈍い顔をする一団が映る。

 言葉には出さないものの、その顔には『気まずい』と言う文字が書いていった。


(同じAクラスでも、やっぱり苗先輩に賛成できない人もいるよな……)


 いままで追加で軍務を受けていたが、それがなくなるかもしれない。

 それは、彼らにとって自分の将来に直結する問題だ。


 他人がどうなろうとも、それでも自分の身の方が可愛いに決まっている。例えそれが、他人を蹴落とすような歪みであっても、真也は彼らの事を『間違っている』と叫ぶことはできなかった。

 失点を恐れて無謀な行動に走った秋斗たちも、生徒会軍務によって多くの加点を得ていた彼らも、将来への不安で、『正しくないこと』を選ばざるを得ないという点では一緒なのだから。


 そこまで頭で理解できた真也は、それでも納得はしきれなかった。




 放課後、真也たちは半分打ち上げのような気分で、選挙事務所へと集まっていた。


「さて、明日の投票を待つばかり、だね」


 いつも笑顔のように眉尻を下げている雄基は、いつもより一層ニコニコとした表情で選挙事務所の片付けを進める。


 政見放送も終わり、残すところは明日の投票のみ。

 であれば選挙事務所は現状復帰し、元の『多目的室』へと戻す必要がある。


 配りきれなかったパンフレットの束をダンボールに詰めながら、苗は雄基に返事する。


「そうですね……私にやれることは、全部やりました」


 苗は達成感と疲労感が五分五分といった様子で、薄く微笑む。

 選挙期間が始まってから、苗は常に誰よりも早く朝の挨拶を始め、誰よりも遅く選挙事務所に残る。さらには真也の稽古も行なっていた。


 真也は少し顔色の優れない苗を心配に思いながらも、それでも『お兄ちゃん』と急に迫ってきた苗に、どう相手すべきか分からないまま書類をシュレッダーにかけていた。


「いやー、しかし、間宮くんを選挙補佐に入れて正解だったね。まさか、政見放送に本人以外を出すなんてさ」


 雄基は少し態とらしく、真也へと会話を振る。それは、控室での苗と真也の様子を唯一見た彼なりの応援だった。

 苗からは見えないように、真也にいたずらな笑顔を向ける雄基に、真也は焦りながらも言葉を返す。


「え? あのー、俺、過去の政見放送見たことなかったから出ちゃいけないなんて知らなくて」

「その柔軟性は羨ましいよ」

「は、ははは……」

「しかし、これで概算では4割の票が取れる。勝ったも同然だね」


 真也の最もらしい言い訳も、光一から授けられたものである。

 雄基は疑うことなく真也の言葉を受け止め、ぐっ、とガッツポーズを作り、周りに明るい空気が漂った時だった。


「失礼する」


 ドアが開かれ、静かな声が響く。真也がドアの方へと視線を向けると、そこに立っていたのは光一だった。


「……兄さん」


 光一は、真也からすれば今回の政見放送の立役者。それは明かせないとはいえ喜んで迎えたかった。

 しかし、そんな真也よりも早く、暗い声色で苗が返事を返し、苗の様子に、真也や雄基を含む事務所にいた数人の選挙補佐たちはしんと静まる。


「政見放送、聞いたぞ」

「……はい」

「また大それた事を言ったな」


 光一はそんな静寂を全く気にせぬといった様子で、政見放送の内容をまるで今知ったかのように、苗へと言葉を続ける。


「はい」


 一方の苗は、『いつもの』儚げな瞳に戻っていたが、光一をまっすぐに視線に収めると、言葉を放つ。


「兄さんが変えようとしなかった事、私が変えてみせます」


 無言で見つめ合う2人に、真也は胃が痛くなる。本当は光一が、苗のためにどうすればいいのかと考えてくれたことをすぐにでもぶちまけてしまいたかった。


 しかし、他でもない光一の前で、約束を反故にして苗に真実を伝えることはできなかった。


 真也が思い悩んでいる間も、選挙事務所は不穏な空気に包まれていき、ため息とともに光一が苗へと返事する。


「……変えてみせる、か。何故俺が、生徒会軍務の廃止を唱えなかったか分かるか?

 苗、俺がお前と同じ考えを持たなかったと思うのか。『九重』である俺が、歪みをそのままにする事を是としたとでも?」


 苗に睨みつけられながら、光一は失望したように頭を振る。


「どういう事ですか、九重先輩?」


 光一の言葉の雲行きがあやしいことに、真也は会話へと割り込む。

 すると光一は、真也の側へと歩み寄り、横に並んだ上で苗へ向き直す。


「俺なら、こうするだろうな、という、苗に対しての反撃の一手がある。これは、こちら側から打つ手のない、最凶の一手だ。

 ……そしてどうやら、相模はそれに気づいたらしい。あいつがもう少し頭が回らなければ……もしくは、諦めが良ければ、もしやとも思ったが」


 満流の持つ、反撃の一手。

 先日相談した時には口にされなかった新たな情報に真也は目を丸くする。


 それは、他の選挙補佐や、苗にとっても寝耳に水だった。


「一体、何を……言っているんですか、兄さん?」


 光一は、真也の肩に手を置き、彼にしか聞こえない声で呟いた。


「……すまんな、間宮」


「え?」


 光一と真也の小声をかき消す大きな音で、選挙事務所のドアが開かれる。


 息を切らせながら飛び込んできたのは、まひるだった。


「お、お兄ちゃん! 苗先輩! 大変ですっ!

 加藤先輩と、池田先輩が、選挙への参加を取り下げる、って!!」


 まひるの言葉に一同は騒めき、光一は対照的に静かに視線を伏せた。


「なっ……」


 驚いた雄基は、口を開くばかりで言葉が出なかった。


「選挙は、相模先輩と苗先輩の一騎打ちに……!」


 選挙が一騎打ちになった。


 それは、今回の選挙の一番大きな大前提を崩すものだった。


 候補が4人であるからこそ、普段マイノリティであった『4割』の生徒の投票でも改革を成せたのだ。

 一騎討ちとなってしまった以上、残りの6割が一斉に満流に投票する。



 それは、苗の『敗北』を意味していた。



 あまりの衝撃に誰も動けない中、真也の後ろからドサリ、という音が鳴る。

 驚いて振り向いた真也は、大声をあげた。


「苗先輩っ!!」


 その音は、苗が気を失い、地面に伏した音だった。

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