117 九重家の秘の、さらにその奥
まひるからの『満流の一手』の報告を聞き、気を失った苗はそのまま保健室に運ばれた。
苗が倒れた理由を、「慢性疲労、もしくは精神的な疲れだろう」と養護教諭の女性は曖昧に語った。
正確な理由を見つけられないのは、オーバードは強い身体を持ち、病魔に倒れることも滅多に無いからだ。オーバードは常に万全に『免疫』としての力を振るえるようにできているのだ。
識別バングルをはめた苗が気絶した状態で保健室へと運ばれた時、養護教諭は驚いて手に持っていた書類を地面へとぶちまけたほどだ。
光一が養護教諭へ家族への連絡と、眼を覚ますまで付き添うと申告するも、養護教諭は病院への連絡を勧めた。
それに対して、光一は静かに首を振る。
「いえ、大事ありません。ただの気絶です。友人の四つ葉のオーバードに念のため回復を頼みますので。
学園内で問題があったと大ごとになるのは避けたほうがよろしいかと。私が言うのも何ですが……この子は『九重』ですよ。何かあったら、私が責任を持ちますから」
光一は養護教諭をそのようにたしなめ、真也に聞こえぬよう一言二言交わすと、彼女は退室していった。
『四つ葉』の異能者である透が念のため苗を回復をしたのち、保健室には、光一、苗、真也の3人だけとなった。
3人だけの時間が少しすぎた後、ベッドに横たわる苗の長い睫毛がピクピクと動き、瞳がゆっくりと開かれる。
「ここ、は……あれ……真也、さん……?」
頭を手で押さえ、ゆっくりと上体を起こす苗に、ベッドのそばの椅子に腰掛けた真也が声をかける。
「苗先輩、ここは保健室です。良かった……眼を覚ましたんですね」
真也は安堵し、肩の力が抜ける。それと同時に、真也の後ろからも、安堵のため息がこぼれたような気がした。
「私は……そうだ、気を、失って……」
ぼんやりと辺りを見渡す苗の視界に、真也の後ろ、扉のそばに立った光一が映る。
「っ!」
「目を覚ましたか。心配させるんじゃない」
苗と視線を交差させた光一はしばらく黙っていたが、ふい、と目線を外すと自身のカバンを肩に担ぐ。
「……俺は、先に帰る。門下生たちの稽古があるからな。
今日のことは、家には伝えてない。父上も、母上も、必要以上に心配するからな」
「……ありがとう、ございます」
光一の言葉に、苗はおずおずと礼を告げる。
「だが」
光一は、保健室のドアを掴むと、去り際に苗へと振り返る。
「明日の選挙結果は、お前からきちんと報告しろ」
光一の言葉に、苗は『自分が倒れた原因』をはっきりと思い出したのだろう。顔を真っ青にして眼を見開き、真也から見て痛々しいとすらいえる表情で「……はい」と静かに返事した。
苗の言葉を聞いた光一は、何も言わず、保健室を後にした。
光一が戸を閉めると同時に、苗は文字通りに頭を抱えて呟く。
「……どう、しよう……どうしよう、どうしよう……」
深刻そうな呟きに、真也はベッドの上の苗の方を窺う。
苗はみるみるうちに青ざめた顔になり、せわしなく視線を泳がせる。その様子は、以前真也が『光一に手伝いを求めたらどうか』と提案したときにも見せた、逃げ道を探すような仕草だった。
「苗先輩?」
あまりの苗の狼狽ぶりに、真也は声をかける。
真也の言葉に反応した苗は彼の方を見ると、目尻に涙を浮かべながら真也の両手をとった。
そして、不安に満ちた表情で、真也へと告げる。
「真也さん、私が居なくなっても……覚えていてくれますか?」
「え!? ちょっと、苗先輩!? なんですかいきなり!」
苗の口から出た、あまりにも唐突な言葉に真也は混乱する。
真也が驚きの声を上げるが、苗はそれでも、真也の手をしっかりと握ったまま、言葉を続ける。
「このままじゃ、私は……『九重』でいられなくなってしまう……そしたら、もう私は『何者でもなく』なってしまう……」
苗は度々、自分を卑下したり、自分の家のことを……『九重家』のことをまるで生殺与奪の存在であるように話すことが多かった。
たしかに高校生という身分においては自分の家は……親は。また、九重家は日本でも有数の力を持った家だ。
しかし、それにしても苗の恐れ方は異常であるように、真也には思えた。
苗のあまりにも狼狽した様子に、真也は疑問の声を上げる。
「……九重でいる、ってどういうことなんですか? 前も、『生かされている』とか言ってましたけど」
苗は真也の言葉を聞き、一度口を開いてから少しためらった後、それでも言葉を発する。
「先日、真也さんは九重家の話を聞いたと思います。でも、それだけじゃないんです。
……九重家に蛇のエボルブドしかいないのは、なぜか分かりますか?」
真也の脳裏に、修斗の発した『呪い』の文字が浮かぶが、それを口にすることは流石にできなかった。
「それは……たまたま……とか?」
「たまたま……偶然……? そんな偶然が何代も続くわけがありません」
苗は首を振ると、もう一度扉の方を見据えてから、決意したように真也へと真実を告げる。
「……蛇のエボルブドとして覚醒したものだけが、『九重』を名乗ることを許されるんです」
「……え?」
「兄さんは今の『お母様』の子供です。でも、私の母は、今の『お母様』ではありません。私と兄さんは異母兄弟なんです。
私の本名は……いえ、前の名前は、『七瀬苗(ななせなえ)』。私は……九重衛護の妻候補の1人の娘です。
といっても、『お母様』も、兄さんの母親だから『九重衛護の妻』と名乗れるようになっただけなのですけど」
急に明かされた衝撃的な事実に、真也は驚き、言葉も出なかった。
蛇のエボルブドだから、九重家の娘になる。
蛇のエボルブド以外は身内だと認めない。そんな乱暴な話が現代にあるとは、到底信じられなかった。
しかし、真也は苗の言葉を嘘や冗談だと言えなかった。
彼女の表情が、それが真実であると如実に語っていたのだから。
苗はそんな『九重家』を軽蔑するような視線を漂わせながら、真也に説明を続ける。
「九重家当主である『お父様』には、多くの子供がいます。……私と兄さんだけではないんです」
「そんな……ことって」
先日道場で会った衛護は、真也から見て厳格ながら、どこか優しそうな人間に感じられた。そんな彼が、『蛇のエボルブド』しか子どもと認めない狭量な人間だった。
真也が衝撃を受ける間にも、苗の『告白』は続く。
「なんで私が編入生なのか、分かりますか?
本当なら、九重家の当主となる一人が蛇のエボルブドとして覚醒すれば、あとの子供たちは覚醒検査を受けることなく、それぞれの母のもとで生活します。本当なら、わたしも『そう』なる予定でした。
でも……私は、13歳で殻獣災害に巻き込まれ、不意覚醒しました。不運にも……蛇のエボルブドに」
苗は、自分の脇腹を服の上から撫でながら、言葉を続ける。
「それ以来、私は『九重』を名乗ることを許され……いえ、強制させられました」
「な、なら、それこそ、苗先輩は見捨てられるなんてこと……」
真也の言葉を、苗の言葉が遮る。
「『九重に敗北は許されない』。家訓……いえ、掟、宿命、……『業』といっても、いいでしょう。
……それを『破った』私には、いる場所なんて残らない」
苗はそれ以上言葉を続けられなかった。そして、過去からも、今の状況からも目をそらし、真也に救いの瞳を向ける。
「それでも、真也さんは……真也さんだけは、私のことを覚えていてくれますか?」
真也に向かってすがりつくように、か細い声を上げる苗に、真也は返事できなかった。
一向に返事をしない真也に、さらに苗は詰め寄る。
ベッドの上の体を椅子の方に寄せ、真也の肩に手を乗せる。偽られた茶色の瞳からは、いまにも涙がこぼれ落ちそうだった。
「お願いです、嘘でもいいんです、『はい』と言ってください……頷いてください!」
「……苗先輩は、そんな簡単に、いなかった事になんてなりませんよ!」
真也はうろたえながらも、『はい』とは言わなかった。言ってしまえば、本当に苗が自分の目の前からいなくなってしまう気がした。
真也は普段出さないような大きな声で苗を励ます。
「そ、それに、『404大隊』はどうするんですか! 404大隊には苗先輩が必要だから、選抜されたんじゃないですか!
苗先輩は、俺に武装の扱いを教えられるくらい、強いじゃないですか!
ね? ほら! いなかったことになんて、できませんよ!」
「……九重家にとっては、『そんなこと』些事でしょう。キネシス7程度のオーバードがあの部隊にいたこと自体が、おかしいんです。きっと、『九重』だから、あの部隊に入れられたんですよ」
真也の励ましも、苗に届かない。
「……そうだ、ここからの逆転を考えましょうよ! 選挙に勝つ方法、まだ何か……」
「無理ですよ。もうどうしようもありません」
「そんなことないです! 相模先輩が、きっと他の候補になんかしたんですよ!」
「金銭の受け渡しや、地位の約束。そういったものがなければ、立候補取り下げには、なんの問題もありません。
そのような約束をした、という事実がなければ、ルール違反ではないんです」
「じゃあ、その証拠を見つければ!」
「真也さん、もう彼らは『立候補の取り下げ』をしました。もしそういった密約があったとしても、その話はもう『終わってる』んです。これからその証拠を見つけるなど、不可能なんです」
「でも……でも! こんなの明らかに不自然じゃないですか!」
「不自然でも、選挙が終わってしまえばどうしようもないんです。それに、確たる証拠もなく糾弾したところで、彼に投票する6割の人の心が変わるとは思えません……もう、おしまいなんです」
どこまでも弱気な苗は、もはや聞く耳を持たぬかのように見えた。
「だから、もう私は、消えるしか……だから、どうか……」
もう、彼女にとっての救いはここになく、ただ1人、真也という『理想の兄』に、自分のことを忘れずにいてもらうことだった。
こうなってしまった人間に打てる手は、ほとんどない。
しかし、打てる手があろうが、なかろうが、それでも真也は決して苗を『覚えていた』人間にする気は無かった。
「九重先輩は苗先輩のこと『妹』って言ってました。兄が妹を見捨てるなんて、そんなこと、絶対にありえません」
苗は……特に今の苗は決して認めないだろうが、真也は光一が苗のために政見放送のために尽力し、また、苗に対して接し方がわからないとこぼしていたことを知っている。
彼が、苗と不仲でいていいと思っていないことを、知っている。
「……妹を守るのは、兄の仕事なんです」
そして、真也は苗の『ある言葉』を思い出して、微笑む。
「そうだ。苗先輩、俺のことを『お兄ちゃん』って呼びましたよね。なら……俺は、苗先輩だって、絶対守ってみせますよ」
力説し、そして、真也は自虐的な笑みをこぼす。
「……俺は、一度、失敗しました。……だからもう、失敗しないって決めたんです」
真也は、一度、自分の妹を守ることができなかった。
それを繰り返すことも、見逃すことも、彼にはできない。真也は、自分を鼓舞するように膝を叩き、立ち上がった。
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