114 兄たちの密談


 真也と光一は、机に苗の放送台本を広げてラウンジで話し合った。

 どう伝えるのがいいのか、どう話せば、どう作用するのか。


 真也は光一からのアドバイスを逐一メモし、決定内容を台本へと書き込んでいった。


「以上だ。俺がアドバイスできるのは、こんなところだな」


 光一は、ふう、と息を吐き出し、ソファの背にもたれかかる。

 みっちり一時間を費やし、苗のための『改善案』は全て出揃った。


「ありがとうございます、苗先輩に相談してみます」


 真也は光一に深く礼をすると、台本をカバンへとしまい込む。


「お、話終わったんか」


 人心地ついた真也へと声をかけてきたのは、カウンターで1人ジュースを飲んでいた修斗だった。

 真剣そうに話す2人に遠慮していたのだろう、やっと会話に参加できる、と尻尾をピンと立てて笑顔を浮かべる。


「はい。すいません田無先輩」

「ええってええって。ここは俺らのラウンジであって俺のラウンジやないんやし。俺はこれ飲みに来ただけやしな」


 修斗はこれ、と言いながら空になった瓶を振る。そのラベルには『Apple』と書かれていた。


「間宮くんもなんか飲むかー? 俺、お代わり取ってくるから」

「ありがとうございます。じゃあ、炭酸を」

「光一はコーヒーやな」

「頼む」


 修斗はガラス張りの大きな冷蔵庫から飲み物を取り出すと、真也と光一に渡す。

 自身も4本目になるリンゴジュースの王冠を手で軽く外し、瓶から直接あおる。


「お前は、本当にそれ好きだな」


 みるみるうちに減っていくリンゴジュースを見ながら、光一は溢す。 


「おう。このりんごジュース、国内ではなかなか売ってへんからな。常備しておくように頼んだら、あっさり追加されたわ。専用ラウンジ様様やで」

「……たしか、専用トレーニングルームにはレンバッハ専用の機器も設置してあるとも聞いた。まさに至れり尽くせりだな」

「ほんまそれ。間宮くんもなんかリクエストしてみ? びっくりするほど速よ対応してくれんで」

「そうですね……」


 真也は目線を泳がせながら考える。『鍋?』『こたつ?』『携帯の充電器?』色々と頭をよぎったが、結局出た結論は、主体性のない真也らしいものだった。


「……特にないですね」

「はー、欲ないなぁ」


 つまらなさそうに尻尾をだらんとさせ、耳をぺたりとさせながら、修斗は光一の隣へと腰掛ける。

 乱暴に腰を下ろすと、隣に座っていた光一の体が跳ね、不機嫌そうに光一は口を開く。


「お前が多すぎるんだ」

「そんなこと言って、お前かてよぉ武装のメンテに専用窓口利用しとるやんけ、おぉー?」

「近い」

「へへへ」


 光一に冷たくあしらわれながらも、修斗はニコニコとした笑顔で光一の肩に腕を乗せる。


 光一の体、見えないところには蛇の鱗が存在する。

 光一がそれを触れられている事に頓着せぬ様子に、真也は修斗が『九重家の秘密』を知るものであったことを思い出す。


「……あの、田無先輩」

「ん? なんや?」


 光一の秘密について話す必要はなかったが、それを知るものしかいないため話題にあげようかと思った真也だったが、修斗が『どこまで知っているのか』分からなかった真也はもごもごと言葉を飲み込む。


「九重先輩の、その……」

「ああ。体の話か」


 はっきりしない真也の言葉を光一が引き継ぎ、シャツの上から自身の脇腹を触る。その下には、一部のものしか知らない『蛇の鱗』がある。

 そんな光一の行動に、修斗は尻尾を立てて驚いた。


「え、光一、話したん?」

「……まあ、色々あってな」

「そうかー。間宮くんもこっちの人間になったわけやな」


 いたずらな笑みを浮かべる修斗に、真也がたじろぐ。


「な、なんですか、『こっち』って」

「いやー、九重家の闇を知るもの同士やん。せいぜい飲み物には気をつけよな」

「え!?」


 修斗の言葉に真也は驚き、丁度飲もうとしていた炭酸のペットボトルを口から離す。

 反応してから今飲んでいるものに光一が毒を仕込む隙がなかったこと、そしてその考え自体が失礼だと気づいたが、それでも口をつけられず、申し訳なさそうな表情で光一を窺った。


 修斗はそんな真也の反応に満足そうに「にしし」と笑い、光一は対照的にため息をついた。


「あまり間宮を怖がらせるな。間宮も、前にも言ったがそんなことをするわけがないだろう」

「へいへい。いやー、しかし、俺以外にも光一と苗ちゃんの秘密を知ってる人間がいるとは。

 なんちゅーか、ちょっと気が楽やわー」


 修斗の、下手をすれば冗談では片付けられない『際どい発言』も、光一にとっては『いつもの冗談』として受け入れられている。

 真也は2人の仲の良さを再確認しながら、こっそりと飲むことなく炭酸をテーブルに置き、話題を続けた。


「苗先輩も『そう』なんですよね。すごい確率ですよね」


 真也の放った言葉に、一瞬、場が静まる。


(あれ? 俺、おかしいこと言った?)


 真也は自分の発言に反応しない先輩たちに言葉を続けようと再度口を開きかけたが、それよりも早く、修斗が大袈裟に背もたれにもたれかかる。


「せやなー。もはや変な呪いなんちゃう?」

「否定はできんな」


 相変わらずの際どい発言の修斗に、苦笑いの光一。それぞれから反応が返ってきた真也は内心ホッとした。


「ところで、苗ちゃんは生徒会長になれそうなんか?」

「正直なところ……選挙当日まではどうなるか分からんな。一応、俺に手助けできる内容はすべて、間宮に授けたが」


 苗が生徒会長になれるか、と真剣に悩む光一の姿に、真也は苗の言うような『妹のことをどうとも思っていない』とは、とても見えなかった。


「九重先輩、苗先輩から相談受けなかったんですか?」


 真也は、苗の言葉の真意を探るために、光一に話題を振る。光一は真也の言葉に、少し辛そうに目を伏せた。


「……ああ。俺は苗に嫌われているからな」

「……え?」


 光一は、苗に嫌われていると思っている。それは苗の様子からも感じ取れた内容だ。

 しかし、その言葉に『光一自身』が傷ついている様子は、苗の『どうとも思っていない』という発言と大きく乖離していた。


 この兄妹は、本当はもっと仲良くなれるんじゃないだろうか。

 なにか行き違いがあって仲違いをしているなら……自身が世話になっている2人だけに、真也はその仲を取り持ちたいとも思えた。


 一方の修斗は、深刻そうな光一とは裏腹に、明るい声を出す。


「まあ、苗ちゃんもオトシゴロなわけやし、そういう時期もあるやろ。

 いつかまひるちゃんも『お兄ちゃん嫌い!』とか言うかもしれんなー」

「そ、そんなこと、まひるに限ってありえませんよ!」

「おおー、相変わらずのシスコン」

「田無先輩!」

「ははは。そんだけ仲いいのは羨ましい限りや。俺は一人っ子やからな」


 修斗は「どっこいしょ」とオヤジ臭い言葉とともに立ち上がると、普段とは打って変わって、真剣な表情で呟く。


「こんな部隊に所属しとんねん。ヘタを打てば、もう会えんくなるかもしれん。

 ……妹のこと、大事にするんやで?」


 にっこりと微笑んで真也に告げた修斗の言葉に、真也は静かに頷く。

 修斗の横でコーヒーを啜る光一は、静かに虚空を見つめていた。


 修斗は2人の様子に、小さく「ふ」と鼻を鳴らすとラウンジの出口、エレベーターへと向かって歩き出し、ボタンを押す。

 使用する人間の少ないエレベーターの扉はすぐに開いた。


「ほな、俺は先に帰るわ。ほな、さいなら、『お兄ちゃんズ』のみなさーん」


 修斗は飲みかけのリンゴジュースの瓶と、もふもふとした尻尾を振りながら、2人の返事を待たずにラウンジを後にした。


 彼が乗ったエレベーターの扉が閉まるのと同時に、光一は大きく溜息を吐く。


「……まったく、騒がしい奴だ」


 コーヒーの水面をじっと見つめる光一に、真也は2人きりになった事から、一番聞きたかったことを問う。


「……九重先輩は、苗先輩のこと、嫌いなんですか?」


 真也からまっすぐな視線を向けられた光一は、気まずそうに目を逸らした。


「嫌いではない……ただ……」

「ただ?」

「俺は……兄である前に、九重家を継ぐものとして苗と接してしまうのだ」


 無意識に光一は自分の脇腹をさする。


「俺は不器用な人間だ。あの子に、どう接していいのか分からん……本当は、もっと甘やかしてやったほうがいいのかもしれんが、九重家次期当主としての俺が、押しとどめてしまう」


 光一は、蛇の鱗のゴツゴツとした感触を確認しながら、「……これは、修斗の言葉通り『呪い』なのかもしれないな」と自笑する。


「俺は、妹との付き合い方……『兄』としての能力は、おそらく間宮より数段劣るのだろうな」

「そんなこと……」

「あるさ。間宮は、本当の妹でない間宮まひるに対しても、あれだけの愛情を注ぐことができる」

「あ、愛情……」

「違うのか?」

「い、いえ。ただ、面と向かって言われると驚くというか……」


 恥ずかしそうに頭を掻く真也に、光一は真剣な表情で言葉を続ける。


「それは、俺には到底真似できない。……簡単に他人に心を許すなと、俺は教わった。たとえそれが、血を分けた存在であっても。しかし、苗にとってそれは、生きるのに辛すぎるのかもしれんな……。

 ……俺には、修斗という存在がいた。適当なやつだが、あいつのおかげで俺は救われている。

 自分が妹に対して、ろくに兄らしく接することができぬのに、虫がいい話だがな。

 ……苗にとって、お前がそうなってくれると、俺は嬉しい」


 光一は、真也へと深々と頭を下げた。


「頼む」


 光一の言葉は、静かなラウンジの中ですら、消え入りそうな弱々しさだった。


 真也は、光一の悲痛とも言える様子に、どう言葉を返せばいいのか、分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る