088 東異研での軍務
真也たちデイブレイク隊の面々を東日本異能研究所で出迎えたのは、ツナギに白衣姿の津野崎真希だった。
20代半ばでありながら東異研の異能解析室長を務める彼女はいつものようにニヤニヤとした笑みを浮かべている。
「どうもどうも、遠路はるばるお疲れ様ですネ」
「いえ。ところで、今回はどういった軍務でしょう、津野崎女史。
東異研での軍務ということは、実験補助ですか」
「まあ、話すよりも見てもらったほうが早いかと思いますんでネ。先ずは着替えていただいて宜しいですか。
戸田さん、皆さんの準備が終わったら多目的実験場に案内してください。私は向こうで待ってます、ハイ」
「分かりました。
……全員、更衣室にて武装装着。その後、二人一組で装具点検。始め」
いつまでも詳細が明かされない事に、光一は眉間に少ししわを寄せながらも隊員たちに命令した。
オーバードスーツに着替え、真也たちは戸田の引率に従い多目的実験場を目指す。
多目的実験場は、真也が過去、東異研で異能の実験をした場所である。
体育館ほどの広さで様々な機材が置いてあり、のちに真也が津野崎に後から聞かされたことであったが、かの実験場は高い情報気密性を持つ場所なのだ。
様々なセンサーを無効化し、探知系の異能すら機能しないよう、壁材には様々な材質が使われ、電波遮断も万全の態勢。
そのような場に、武装状態で向かう。
真也は少し気を引き締め、先程伊織から武装を借りなかったことを少し後悔した。
多目的実験室の前には、津野崎が待っていた。
戸田は多目的実験場のドアの前に着くと、津野崎と並んで立ち、後ろを振り返る。
「私は、津野崎室長と同様にアンノウンを知る人間です。その上で注意しますが、これから見ること、聞くこと、すべて極秘事項です。
皆さんはご存知だと聞き及んでいますが、異世界同位体……間宮真也さんの経緯や、喜多見さんの情報と同じか、それ以上の機密とお考えください」
「それほどの?」
「ええ。間宮さんや喜多見さんの場合、世界に混乱をもたらしたり、特定の国の国益を損ない国際問題になる情報ですが、今回は『世界の存亡に関わる』ものです」
世界の存亡。その言葉にデイブレイク隊の面々の顔が怖ばる。
「戸田さんは心配性ですネ。では、行きましょう、くーちゃんの元へ!」
「……くーちゃん?」
世界の存亡、と言う言葉の次に出てくるにはあまりに可愛らしすぎる言葉に、光一が口を開く。
「……主任、実験体に名前をつけないでください。しかもそれ、以前引き取ったラットと同じ名前じゃないですか」
「覚えやすくていいでしょう?」
「いや、そのくーちゃんってなんなんすか」
デイブレイク隊の心情を代表し、修斗が質問する。
それに対して戸田はデイブレイク隊の方に向き直し、口を開く。
「間宮さんや、1年生の皆さんはお心当たりがあるでしょう」
1年生には、心当たりがある。真也は、その言葉と、この厳重な取り扱いから、予想を立てる。
「もしかして、人型かく「くーちゃんです」……えぇ……?」
真也の言葉に、被せるように発言したのは津野崎。
真也は肩から力が抜けながらも、戸田を見やる。
戸田は、自分の上司の強情さに、津野崎を一瞥してから真也に対して頷いた。
「ええ、人型「くーちゃん、です」
「……主任」
「その言い方をしたら、くーちゃんを日殻に持っていかれるじゃないですか!」
日殻(にっかく)。その言葉と、津野崎の言葉の荒げ方から、真也は確信を強める。
日殻。正式名称は日本殻獣管理解析機構。日本における殻獣の管理と研究を引率する公的機関だ。
各省庁とやりとりをしながら、殻獣の保管や解析、研究を行う団体であり、今回のロシアでの女王捕獲に一番落胆し、どこよりも反対したところでもある。
日殻に『持っていかれる』。つまり、この実験場の奥にいるのは、『殻獣』。
「まあ、大体予想はついたかと思いますが……ロシアで遭遇した、あの『少女』です、ハイ。では行きましょう」
その言葉を聞いた真也は無意識に腰元に手を伸ばしたが、今日は伊織に武装を借りていない。
心細い気持ちになりながら、戸田が扉を開けるのを見ていた。
ゆっくりと第2実験場のドアが開く。
真也たちが美咲を除いた5人総出で捕まえた、敏捷性と耐久力を兼ね備えた存在。一体、どのように拘束しているのだろうかと真也は部屋の中を覗き込む。
しかし、部屋の中は意外にもがらんとしていた。
過去、真也が実験に協力したときよりも少ない数のスタッフと機材。
ゴム弾を射出する機械も撤去されていたようで、見ようによっては、本当にただの体育館だった。
ドアが開いたことで部屋の中のスタッフが真也たちに注目する。
肝心の少女はどこにいるのかと真也が部屋を見渡すと、ちょうど部屋の中央に少女は……人型殻獣はいた。
真也たちに対して背を向けて座り込んでいるため顔は見えないが、緑色の髪の毛と、薄い緑の肌はロシアで見たそれと同じだった。
病院の患者衣を着た少女は、こちらに背を向けたまま、肩や頭、腕がせわしなく動かしている。
その動きから、真也は少女が何かを食べていることに気づく。
一心不乱といってもいい勢いで、両手に掴んだ何かを口に運ぶ少女の背中は不自然に上下し、患者衣の下、少女の背中の部分にある殻獣の節足が、感情を表すように蠢いている。
少女を初めて見るルイスが声をあげる。
「あれが、人型殻獣……クー、ですか」
「ええ、クーです。不服ではありますが、便宜上そう呼んでもらって構いません」
戸田の言葉に、アンノウンのメンバーは再度クーを見据える。
「……何も拘束していないのですか」
「ええ。一応、スイッチングで放電する首輪を付けていますけどネ。基本的に拘束しても意味がないので……ハイ」
津野崎の言葉に、光一はいつでも抜けるように武装の曲刀の柄に手をかける。
「強力すぎる、と?」
「ええ。今のところ協力的ですので問題は起きていませんが」
真也が、たまらず戸田へと質問する。
「あれは、何を食べているんです?」
「ああ……」
戸田が口を開く前に、クーの姿に変化があった。
「ピィッ!?」
クーは真也の声に反応し、甲高い音を喉から奏でて振り向く。そして、それと同時に、汚れたクーの口周りがあらわになった。
茶色の液体と、こげ茶や白の屑。
そして、手に持っているのは、茶色い物体。
「彼女が食べているのはカレーパンです。あれが好きなようでして」
カレーパン。
予想外すぎる戸田の言葉に、真也の肩の力が抜ける。
それが真実だとを示すように、クーの向こう側には大量のビニール袋が散らかされていた。
「いいニオイのひとだー!!」
クーは手に持っていたカレーパンを投げ捨て、全力で真也に向かって駆け出す。
「なっ!?」
あまりの速度に全員が驚き、なんとか反応した光一は曲刀を抜きざまに振るったが、クーはそれを軽くかわして真也に抱きつく。
「真也!」
「おにいちゃん! このッ! 離れろ殻獣ッ!」
レイラが杭を生み出し、まひるが声を荒げて短刀を構え、ルイスが津野崎の前に。透が戸田を庇い、残りのメンバーは武装を抜くとクーへと手を伸ばす。
「待った! ダメです! 戦闘禁止です! ハイ!」
津野崎が声を荒げ、それに反応して周りの動きが止まる。
「でも!」
まひるは声を荒げ、津野崎を睨む。
まひるにとっては、家族を失った原因である殻獣が、一番失いたくない『兄』にすり寄っている状態は許容できなかった。
そして、たとえ命令を無視してでも、クーを攻撃するべきだと判断し、クーをふたたび視界に入れる。
「ひゃー、うへへ」
まひるが敵意を向けた当の本人は真也に攻撃するでもなく、顔を擦り付けながら楽しそうな声をこぼしていた。
「うへ。うへへ」
「う、お、ちょ、なに、これ?」
真也はクーからの抱擁に、どうしていいの分からないながらもとりあえず引き剥がそうともがくが、うまくいかず、クーは真也の胸板に顔を擦り付け、荒く呼吸を続ける。
その様子に、まひる、伊織、そしてレイラは、先ほどと別の意味で強く得物を握り直した。
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