066 ロシアの夕日


 02小隊、その全員が生存し、巣穴を出る。


 ロシアの夕暮れは、いつも真也が日本で見るそれよりも、非常に雄大だった。


 高層建造物が無いため、夕日は遮られずにあたり一帯を照らし、湖に沈んでいく夕日は鮮やかなグラデーションを作り、水面が広大すぎて、夕日の赤一色で染まりきらない。


 巣穴から出るまでの間にあったお喋りは、レイラの「帰投する」という言葉と、空気を読まないソフィアによる真也への異能のべた褒めだけだった。


 全員が、疲れ切っていた。


 帰りの装甲車で秋斗が「自分が3人をそそのかして連れ出した」と申告し、伊織は容赦なく彼を殴り飛ばした。


「死ぬのは勝手だけど、ボクの知らないところでしてくれよ。寝覚めが悪い」


 ぼそりとこぼしたその言葉は、少し震えていた。




 02小隊を乗せた装甲車は基地へと戻る。


 戻り次第、真也たちは呼び出され、ユーリイやソフィア、ウッディたちと別れた。


 02小隊を出迎えたのは、Aクラスの担任であり、今回の訓練作戦指令官でもある江島だった。

 夕日を背負って仁王立ちするその姿に、真也は背筋が凍る思いがした。


「お前たちが最後だ」


 江島は、静かに02小隊の面々に告げた。


 自分たちが、作戦完了が最後。つまり、全小隊中、最下位。

 その言葉は、02小隊の8人全員に重くのしかかる。


「話は聞いている。

 ビーコン回収時に問題が発生したことも、こちらの作戦範囲の不備も、オペレーターのミスも。それら全て含めた上で、言う」


 江島は息を吸うと、全員を見渡し、再度告げる。


「お前たちが、最後だ」


 その言葉を受け、レイラは背筋を伸ばし、「はい」と短く返答した。


 その表情は、真也にはわかる程度に暗いものだったが、毅然とした態度だった。


 秋斗がおずおずと、口を開く。


「ペナルティ……ですか?」


 秋斗の言葉に、江島はひとつ、ため息をつく。


「……いいか、ペナルティなんてものは、無い。

 そんなものに踊らされて、危険行動を取る者がいないか、それを試すために言った嘘だ」


「……え?」


 江島の言葉に、秋斗が素っ頓狂な声を上げた。


「国疫軍において、殻獣の撃破数や、任務達成率。それらは確かに評価に繋がる。

 しかし、そんな物よりも、生き残ること。そして軍の規律を守ること。その方が圧倒的に大事なのだ」


 自分たちの決死の行動が、意味がなかった。そう知ったFクラスの面々は唖然とする。


 そんな様子に、江島は語気を強めながら、言葉を続ける。


「君たちオーバードは、その力を世界のために振るうと決め、軍属になった瞬間から、何よりも代えの効かない『重要資源』なのだ。

 決して功を焦るな。死ぬな。命令を守れ。規律を守れ。

 それは、学園で教えない。教えるまでもない。それが理解できない者は、馬鹿者だ」


 馬鹿者、そう断じられたFクラスの4人の顔は暗い。


 江島はレイラに向き直すと、はっきりと告げた。


「そして、レオノワ。お前の小隊は、その馬鹿者を有していたようだな」

「……申し訳、ありません」


 江島の言葉に、レイラの表情が暗くなる。


「今回の事は、正式に文章として残す。

 オペレーターの不備や、こちらの作戦範囲指定のミスもあるが、結果、隊員を危険に晒したのは、お前だ」


 文章に残す。

 それは、東雲学園での内申書に今回のことが記載される、という事であり、正式な国疫軍人となっても記録として残るものだ。


『隊員を統率できず、危機へと追い込んだ』


 その一文は、レイラの今後に間違いなく陰を落とす事になる。


「そして、当の本人である、隊長命令の無視を行った4人への罰だが……」


 江島が秋斗たちの方を見る。


 4人はびくりと体を震わせたが、じっとしていた。

 レイラが内申に響く罰を受けたのだ。自分たちはそれを超える『何か』を受けることは容易に想像できた。

 隊長の命令を無視し、オペレーターへと虚偽申告。回避指定の営巣地に独断で侵入。


 それらは、軽いものではない。


「待って、下さい」


 江島が口を開き、声を発するよりも早く、レイラが言葉を発した。


「冨樫、牧田、要、村上。4人には、二日間の営倉入り、命じる」


 レイラは淡々と、4人へと告げた。


「レオノワ」


 江島は驚き、レイラの名を呼ぶ。

 レイラは江島に対しても同じように、冷静な様子で言葉を告げる。


「隊員、罰するのは、隊長の義務。違い、ますか?」


 その言葉に、江島は1つため息をついた。


「……いいだろう。では、4人は、この場に残るように。後で営倉へ連行する。

 残りのメンバーは食堂で夕食を取れ。今日のカリキュラムは終了だ。

 4人の隊長命令の無視は記録に残すが、構わないな? でなければ、罰則内容として処理できん」

「はい」


 江島はレイラの返事を確認すると、1つ頷いて去っていった。




 その場には、02小隊のメンバーだけが残される。


「……営倉入りって……」


 冬馬は、愕然としながらつぶやいた。


 『営巣入り』とは、簡単に言えば『投獄』に近い。『営倉』と呼ばれる牢屋のような施設に指定日数入れられることだ。

 その間、必要最低限の食事しかなく、寝具もない。


 罰則としては重い方であるし、日本支部の正規軍人の間でも滅多に行われるものではない。


 営巣入りは重い罰だ。しかし、伊織はこの罰則に落ち込む冬馬に対して、鼻を鳴らす。


「たった2日の営倉入りで済むだけ、よかったと思えば?

 ……下手すりゃ、退学もある内容だけど?」


 伊織の『退学』という言葉に、冬馬は目を丸くし、ことの深刻さを受け止める。


「そっか……そうだよな……」


 たとえ重い罰則でも、退学……ひいては国疫軍からの『除籍』よりはマシである。


 レイラは4人へと向き直すと、口を開く。


「……なんで、こんなこと、した?」


 真っ直ぐ突き刺さるような目線に、4人はたじろぐ。


「なんで、って……」


 夏海が口を開いたが、続きの言葉は出なかった。


 そんな中、秋斗が一歩前に出て口を開く。


「助けてくれた事は、本当に感謝してる。

 営倉入りで済んだことも、感謝しきれない」


 そう前置すると、秋斗はレイラに視線を合わせて言葉を続けた。


「でもな。なぜ、したのか。か……Aにいる奴には分からないよ。

 Fが、どれだけ崖っぷちなのか、って」


 秋斗は、自嘲気味に言葉を紡ぐ。 


「少しでも点を稼がなきゃ、士官に、幕僚に上がれない。『東雲卒の一般兵』なんて普通のやつよりも落ちこぼれって言われるんだぜ」


 伊織は、その言葉に拳を握って一歩踏み出す。


「お前……そんな理由で!」


 落ちこぼれといわれる。その程度のことで自らの命を危険にさらし、尚且つ、レイラの経歴に泥を塗った。

 それは、伊織にとって許しがたい行為だった。


「伊織」


 一歩踏み出した伊織の肩に、真也の手が置かれる。

 止められた伊織は怒り心頭といった様子で真也を睨みつけたが、思いの外冷静な真也の様子に、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 一番迷惑を被ったレイラが冷静に話そうとしているのだ。自分が横から口を出すのは、たしかにおかしな話なのかもしれない。


 伊織はそう思うと同時に、やはり苛立ちを隠せず、たん、たん、と足を鳴らした。


 そんな伊織に秋斗が口を開く。


「そんな理由、な。

 同じ東雲でも、AとFじゃ、世界が違うんだよ。回される軍務が違うんだから、階級の上がり方だって雲泥の差だ。

 こっちは士官になれるかどうかも怪しいんだ。普通にやってちゃ間に合わないんだよ。全然。

 ……確かに、今回の俺の行動は、軽率だった。

 でもな、Fクラスなら、全員こうした。それは、分かる」


 秋斗の言葉に、他のFクラスの面々も、どこか思い当たる節があるのだろう、神妙な顔で聞いている。


「命張ってでも、ここで足掻かなきゃ、上に上がれないんだよ」


 絞り出すように告げたその言葉に、真也は複雑な想いを抱いたが、レイラはずっと冷静な様子だった。


「その結果、死ぬことに、なっても?」


 レイラの言葉は、単純に疑問を投げかけたような声だった。


「……そうだ」


 秋斗は、その思いを受け取り、真剣に返事をした。



「なるほど」



 レイラは、静かにそう口にした。


「私も、最初、作戦範囲内だって知って、取りに行ける、と思った」


「そうすれば、得点、稼げるって。ペナルティ、なくなるかも、って」

「……レオノワも?」


 秋斗は、崖っぷちの自分たちとは全く違う、Aクラスのレイラが同じようにペナルティを恐れていた事実に驚いた。


 レイラは、自分もそうだ、という思いを込めて頷く。


「でも、私は、命の方が、大事だった。

 生きていれば、次がある。怪我しなければ、次の任務も、出来る、って、思った」


 次がある。その言葉は、静かに秋斗を苛立たせた。


「……それはその立場だから言えるんだよ」


 秋斗は、ぼそりと零した。


 次がある、では間に合わない。

 毎回作戦をこなせなければ、上にはいけない。


 そんな秋斗の心を読んだかのように、レイラは続ける。


「……そんな事ない。私は、将来、一般兵でも構わない。これは、本当。でも、冨樫は……4人は違った。

 ……命よりも誇りが大切だった」



 リアリストに見受けられるレイラから、『誇り』という言葉が出たことに、秋斗も、また他のメンバーも驚く。


「誇り……」


 そう呟いたのは、冬馬だった。


 自分たちの、ペナルティを恐れての行動を、そう評されるとは思いもしなかった。


「誇りは、大事。それは、分かる。違うのは、立場じゃ、ない。考え方」


 レイラは、自分の胸に手を当て、告げる。


「私は、誇りよりも、命」


 そして、レイラは再度、秋斗たちを真っ直ぐ捉える。


「皆は、命よりも、誇り。その考えは、否定しない。できない」


 否定しない。


 レイラは、秋斗たちの行動を、その原理を、彼らの焦燥を、否定しなかった。


「それを、理解できなくて、ごめん。

 私は、そういうの……疎い、みたい」


 まさか謝られるとは思っていなかった秋斗は、驚く。


「な、何言ってんだよ……わがままで隊長命令を違反したのはこっちなのに。

 ……こんな、俺たちのバカみたいな行動を、他ならぬレオノワが認めちゃダメだろ!?」


「命令違反。たしかに、それはだめ。

 でも、だめだったのは、それだけ。それ以外は、考えの、違い」


 春香が、おずおずと口を開く。


「命を大事にしろ、って先生が言ったのに……?」


 春香の言葉に、レイラが返事をする。


「それは、江島教諭の考え。正解、ではない」


 レイラにとっては担任の言葉……先人の薫陶を、『個々の考え』でばっさりと切り捨てた。


 あまりにも、達観したその思考に、Fクラスだけではなく、真也や伊織、美咲までもが、息をのむ。


「でも、ひとつだけ」


 レイラは言葉通りにひとつ指を立て、告げる。


「私は、みんなが誇りのために投げた命でも、絶対に、拾う。

 ……みんなが、無事で、よかった」



 無事でよかった、と微笑むレイラは、沈み切る直前の赤い夕日を受け、幻想的ですらあった。



「なんだよ……それ……敵わないな……」


 ぼそり、と秋斗がこぼす。その言葉は、全員の心から湧いたものを端的に表していた。


 秋斗は息を吐き出すと、姿勢を正し、レイラに向けて敬礼をする。


「隊長ッ! 隊長の命令を無視し、大変失礼しました!

 その点は、営倉にて自己反省し、後日の任務に励みます!」


 残りの3人も、同様に敬礼をした。

 その顔は、先ほどまでと違い、自信と決意に満ちたものだった。


「ん」


 短い言葉と共にレイラは返礼する。


 レイラが敬礼を終了してからたっぷり5秒待って、秋斗たちは腕を下ろした。

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