064 巣穴


 真也たちの眼前に、大きな洞穴が広がっている。


 湖のほとりにあるその洞穴は、呼吸するかのように定期的に風が吹き出され、その風には殻獣の匂いが乗っているかのような錯覚を真也にもたらす。


 大岳営巣地でも見られたような、淡く光る水色の壁。綺麗にならされた地面。


 真也たちは秋斗たちに追いつくことなく、とうとう巣穴の入り口まで到達してしまったのだった。


「だめだ、無線に出ない」


 伊織は移動中、何度も無線を飛ばしていた。

 「行動を中止」「巣穴は回避指定区域」「隊長の指示は帰投」と言った告知内容を、伊織のオリジナリティ溢れる語彙力でぶつけ続けていたが全く返事は得られなかった。


「彼らは何を考えているのかな?」


 ユーリイは大仰にため息をつき、その言葉に同じロシア支部のソフィアが返答する。


「回避指定は、回避であって禁止ではないですから。

 ペナルティとやらにならないと勘違いなされたんじゃありません?」

「……やはりそこか。

 底が浅い、としか言えないね。かの東雲でも、Fクラスとなるとこんなものか」


 2人の言葉に真也や美咲はちくりとした痛みを覚え、伊織は目に見えて苛立っていた。


 タブレットとにらめっこをするレイラに、ウッディが話しかける。


「彼らの位置は特定できましたか?」


 非戦闘系オーバードであるウッディは、引率者は任務を手伝わない、というルールを緊急事態であるからと曲げ、2つのビーコンを抱えていた。


 側から見ると滑稽な様子のウッディに、レイラが口を開く。


「はい、曹長。ひとつ層を下がったところ。4人固まって、じっとしてる」


 レイラの言葉に反応したのは、伊織だ。


「……死んでないよね?」


 その言葉に、真也はゾッとした。

 先ほどまで一緒にいた人間が、死んでいるかもしれない。

 普段は自分を守る盾がある上、学校行事だからと気が抜けていた。


 この世界では、死が、これ程までに、そばにいるのだ。


 レイラは、伊織の言葉に首を振る。


「微動はしてる。たぶん生きてる。近くにビーコンもある。回収後、動けなくなっている可能性が高い」


 レイラの言葉に、真也はいつの間にか忘れていた呼吸を再開し、息を吐き出す。

 しかしこの後合流するまで生きている保証はない。


「じゃあ、急いで助けないと」


 レイラは真也の言葉に頷くと、号令をかける。


「侵入する」


 先頭を歩くレイラに続いて、一同は殻獣の巣へと足を踏み入れた。




 殻獣の巣の内部は、入り口同様機械的であった。


 真也は何かの本で『自然界に直線は無い』というような言葉を見た気がしたが、殻獣の巣は直線で溢れていた。


 真っ直ぐな、青く発光する壁。均等にならされた地面。通路の曲がりは90度であり、たまに通過する部屋も、全て四角であった。


 ライトの筋が方々を照らすが、そのせいで対照的に暗くなった通路の先からいつ、殻獣が飛び出してきてもおかしくはない。


 真也たちは、事実、何度かの襲撃を受け、そしてそれらを払いのけていた。


 今度の襲撃はいつなのか。


 どんな殻獣が、どれだけやってくるのか。


 そんな緊張の中、一行は進んでいく。


 死んだ殻獣たちは酸い匂いを撒き散らすが、不思議と巣穴の中は匂いがなく、それがより自然から隔離された世界のように感じられる。


「なんていうか、やな雰囲気だね」


 移動しながらぼそりと真也がつぶやくと、伊織は周囲を警戒しながらも言葉を返す。


「そっか。間宮は初めて巣の中に入るわけか」


 伊織の言葉に、ソフィアが反応する。


「あら、シンヤ様。いままで巣の内部に入られたことがないんですの?」

「あ、ああ。覚醒したのが去年の冬でね。それまでは軍務なんてしたことなかったから」


 真也の返答に、ソフィアはにこりと笑い、真也の横にピタリと並ぶ。


「そうだったんですのね! では先輩として私が……」


 ソフィアがしゃべっている途中だったが、真也とソフィアの間に、小柄な影が割り込む。


「安心して、ソフィアさん。バディのボクがちゃんとこいつの面倒見るから。さっさと歩いて」

「……いえいえ、私の方がロシアの営巣地について詳しいですから」

「結構だ。バディとしての仕事を果たさないとボクも困るんでね」


 移動を続ける真也の周りを、2人はぐるぐると回る。


「ならば、シンヤ様の身を守る為に私にお力をお貸しいただけません? であればバディとしての責務は果たしていると思いますわ」

「絶対嫌。中級異能者じゃ破れないみたいだけど、ボクをしまってみろ、全力でキミの棺を壊すからな」

「まぁ、怖いですわ」

「ふん、どの口がそう言うんだよ」


 真也の隣に行きたいソフィアと、阻止したい伊織。

 そんな2人に移動速度を落とされた真也は、口を挟む。


「あの、2人とも、あんまり遅いと置いていかれるし、置いていくよ。……はやく合流しないと」


 その言葉に、本来の目的を思い出した伊織はバツが悪そうに頭を掻き、ソフィアは真也に謝罪した。




 ある程度進み、真也は思い出したように伊織へと質問する。


「ところで伊織、巣の内部で注意すべきこと、ってなんかある?」


 なし崩しとはいえ、ろくな事前知識もなく巣穴へと潜っている。

 真也は、最低でも足を引っ張るような事をしてはいけない、と考えて質問をしたのだった。

 真也の言葉に、伊織は少し考えてから口を開く。


「そうだな…まずは、あまり壁に近づかないこと」

「壁? あの青いパネル?」

「ああ。あの中には殻獣の繭がいくつか混ざってる」


 伊織の言葉に、真也は驚く。

 機械的に見える青い壁。その一部に化け物が入っていると言うのだ。


「え……」

「全部じゃないよ。割合はまちまちだけど……まあ、20とか30にひとつかな。まあ、下手に壁に近づくと、それが繭だった場合、中から殻獣が飛び出してくる可能性もあるから。気をつけて」


 壁を見たが、どれも同じに見え、嫌悪感から真也は首を竦めた。


 その様子に、伊織は『初心者っぽい』と1つ笑うと、言葉を続ける。


「ま、出てくるのは大半が幼体とかだし、繭から出てきた直後の殻獣は成体でも弱いからそこまで脅威じゃない。でも、そのせいで隊の連携が崩れたりとかもあるから」

「……分かった、近づかない」


 真也は、その他にも曲がり角に注意する点や、広い部屋に出たらまずは天井に注意、など巣穴に関しての知識を伊織から受け取った。




「もうすぐ階層最奥。冨樫たち、進んだ後とはいえ、階層主、いる可能性はある。全員、注意」


 巣穴の中をある程度進んだ頃、レイラが立ち止まり、メンバーへと告げた。


「階層主……?」

「殻獣の巣は、階層ごとに強い個体が次の階層への道を守っていますの」


 今度は、ソフィアが真也の疑問を解消すべく口を開いた。


「ちなみに、この巣は全部で22階層までありますわ」

「え、そんなに?」

「まあ、C指定では平均的な階層数ですわね」

「結構深いんだ…」


 22層。暗いため時間の感覚が失われつつあったが、かなりの時間進んでいるにもかかわらず、まだ真也たちは第1層にいる。

 殻獣の巣穴というものは、真也の想像していたよりもかなり広大なものだった。


「ビーコンもあいつらも2階層目にいるみたいだし、深くは潜らないよ」


 伊織の注釈を得て、真也は胸をなでおろす。


「……良かった、これが10階層目とか言われたら心折れてたかも」

「まあ、10階層目とかなら、それこそ丸一日かけなきゃ移動できないし、Fクラスのやつらもビーコンが二階層目にあると予測されたからこそ、無理に潜ったんだろう」


 真也たちが話していると、ふた部屋ほど経過した後、レイラが再度口を開いた。


「次、階層主の区画」


 長い廊下の先はよく見えないが、次に迎える部屋が、どうやら第1層の終着点のようだった。


「レイラ、いいですか?」


 ビーコンを持ち、中心にいたウッディが口を開く。


「この先、階層主が居ますよ。甲殻3種乙型ですね」

「……曹長、感謝します」


 ウッディの言葉に、レイラが礼を述べる。


「……なんで、分かるんです?」


 伊織が、訝しげに訊ねる。

 殻獣の巣穴は音が不規則に音が反響し、伊織の耳では少し先の殻獣しか探知できない。

 さらには甲殻3種乙型というのは、羽根もなく、じっとしていることが多いため、伊織では感知しづらい殻獣の筆頭だった。


「ああ、私は『波紋』の異能者です」


 短い言葉だったが、伊織も、また他のメンバーもその言葉だけで納得する。


 真也もまた、その言葉で過去に病院で出会った少女……殻獣の襲来を真也へと告げた少女のことを思い出した。


 『波紋』の意匠。それは、殻獣の探知、探索系の異能者の持つ意匠だ。


 レイラは元々ウッディと知り合いだったため、ウッディが殻獣を言い当てたことに驚かなかったのだろう。


 ユーリイが驚きながらもウッディへと口を開く。


「なるほど、全力でサポートしてくださる、ということですか」

「ええ。事態が事態です。道中は殻獣の反応が多すぎて役に立てませんでしたし、戦闘の役にはもっと立てそうにないのが心苦しいですが」


 ウッディはそう言うと、抱えているビーコンを見せるように持ち上げた。


「一体だけです。恐らく、他の殻獣は倒し、強引に進んだのでしょう。近くに繭もないため、はっきりと分かりました」


 ウッディの申告に、隊員たちは気合いを入れる。


「甲殻3種乙型か。さっさと倒して、あいつらをぶん殴って連れ帰ろう」


 伊織の言葉に、全員が頷き、進む。


 広い空間にたどり着くと、暗がりの向こうで何かがもぞりと動いた。


 真也がライトを向けると、そこには、真也の知っている……あまり見たくなかった殻獣がいた。


 蜘蛛のような足、カブトムシのような体。


 そして、大きなカマ。


 真也がこの世界に来て、初めて遭遇したバケモノであった。


 そのとき殴り飛ばされた痛みを、不意に思い出して真也の喉が小さく鳴る。


 しかし、今の真也はその時とは違い、『力』を持っている。


 ズズズ、と盾が真也の周りに浮かび、そして真也は誰よりも前へと歩み出た。

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