022 帰宅


 その一軒家は、閑静な住宅街の中にあった。


 津野崎に渡されたメモを頼りに、真也はまひるの家へと辿り着く。

 二階建て、小さな庭までついた表札には『間宮』と書かれている。


 両手に持った紙袋を片手に持ち替え、インターホンを押す。間も無くインターホンのスピーカーから声が聞こえてきた。


『はい、間宮です』

「まひる? 真也だけど」

『あっ! うん!』


 ブツリ、という音と、家の中からドタドタという足音が聞こえる。

 勢いよくドアが開くと、そこには笑顔のまひるが立っていた。


「おかえりなさい、お兄ちゃん!」

「ただいま」


 たとえ嘘だとしても、真也は、久々に出したその言葉に少し感慨深くなった。


「お邪魔、してる」


 まひると共に家に入ると、レイラがリビングのソファの上に礼儀正しく座っていた。

 退院にあたって3人でパーティーをしようとまひるが提案したのだ。


 パーティーと言っても、和室のコタツでの食事会だ。食事の内容はまひるの希望で鍋となった。

 レイラが少し頬を引きつらせていたが、その原因は真也には分からなかった。


「じゃ、2人で食材用意するから、お兄ちゃんは鍋とコンロ用意して?」

「鍋……コンロ……どこ、だったかな?」

「え? 右の戸棚だよ? 鍋セットはいつもそこだよ?」


 まひるは楽しそうに『普段の生活』を満喫するが、真也にとっては、変にボロを出さないか不安の連続だった。


 食事の間もまひるは常に喋っていたが、真也は何とか切り抜け、食事も終わり、3人でゆったりとした時間を過ごしていた。


 ゆったりと、を感じていたのはまひるだけであったが。


「あ、そうだ。お兄ちゃん、明日一緒に買い物行こ?」

「急にどうしたの、まひる」


 真也が帰ってきて初めての、まひるからの提案だった。


「お兄ちゃん、スマホ無くしちゃったでしょ? 不便だよー」

「ああ、確かに。明日行こうかな」


 まひるはこたつに入ったまま、何度も小さく跳ねる。


「うん! デートだね、お兄ちゃん!」


 その言葉にピクリとレイラが反応する。


 真也は、退院した後にまひるの家に住むにあたってレイラに協力の相談をしていた。


 その際レイラは、普段口数が少ないに関わらず、3回に渡ってまひるに変なことをするなと念を押していたのである。


 レイラの一瞬の反応を見逃さなかった真也は、なんとか話をずらそうとする。


「で、デートって、兄妹なんだから」

「んー? 兄妹でもデートするでしょ? ね、まひるとデートしよ?」


 こたつ越しに、ぐいぐいとこちらへ身を乗り出すまひる。


「そ、そんな……いや、いてっ」


 コタツの中で、レイラが真也の足を蹴る。オーバードである真也が痛みを感じるという事は、下手すればこたつを破壊しかねない蹴りである。真也は、異能が発動しなくてよかった、と冷や汗を流した。


「どしたの? お兄ちゃん」

「いや、なんでもないよ、ははは……」


 真也は、そこまで過敏にならなくとも、と思いながら肩をすくめる。

 レイラは、まひるに言い聞かせるように口を開く。


「まひる、明日、普通に学校」

「えー、けち。一日くらい休んでも……」

「お見舞い。学校を休んだ。違う?」


 レイラの責めるような目線に、まひるがたじろぐ。


「う……そうだった。はぁ……学校に行きます……」

「そうだね、それがいい。やっぱりスマホを買うのは俺一人で行ってくるよ」


「あれ? そういえば、お兄ちゃんこそ学校に行かなくていいの?」


 安心したのもつかの間、真也は一瞬体を強張らせるが、まひるに気付かれないよう笑顔で返す。

 学校へ行く。こういった、本来の『お兄ちゃん』と違う点は、まひるの地雷を踏まぬよう進む必要がある。今回に関しては真也は回答を用意していた。


「ああ、しばらく様子見ってことになってね。まだ学校には行かないんだ」

「えー、いいなー」

「まひる、真也、病み上がり」

「そうだったね、ごめんね、お兄ちゃん」


 真也は笑顔で首を振って、気にしていないと伝える。


 まひるは何かに気づいたと言わんばかりに1つ手を打ち、提案を重ねる。


「じゃ、まひるがお休みの日にもお出かけしようよ!」

「だ、だからな、まひる……」


 真也は、また足を蹴られるかと身構えたが、しかし蹴りは来なかった。


 レイラを見ると、丁度レイラがまひるに向かって口を開くところだった。


「それ、一緒に、いい?」

「もちろん!」


 やったー、レイラさんともデートだー、とまひるがはしゃぐ。


 真也は、レイラとのデートという言葉に、顔が熱くなる。レイラも同様に、真っ白い肌を赤く染めていた。


「え、えっとね、まひる、さ、ささ三人ならそれはデートじゃないよ?」

「そ、そう! で、デート、では!」


 2人の態度が気に入らなかったのか、まひるはレイラに向かって質問をする。


「えー? レイラさんデートするの嫌い?」

「いや、好き嫌い、とか、では……」


 楽しそうにはしゃぐまひると、それに振り回されるレイラ。


 まるで姉妹のように仲の良い2人との会話を、真也はひととき楽しんだ。



 騒ぎ疲れたのかまひるはこたつの中で眠ってしまった。

 こたつの上に突っ伏して眠るまひるの頬を、真也はなぞるように指で撫でる。


「……ふへぇ……」


 眠ったまま、笑いとも吐息ともつかない声を漏らすまひるは、安らかそうに真也の目に映る。


 精神が削れる綱渡りであったが、それでもやはり、まひるとの会話は楽しかった。


 真也にとっては、久々の、肉親ならではの距離の会話だったように思えた。


 そっと指を離すと、真也は肘をつき、じっとまひるを観察する。なぜか、少し涙が溢れてきた。


「……真也?」


 不意に、レイラから声がかけられた。

 真也はその声に向かって、自分の思いを吐き出す。


「これで、良かったのかな……。

 どうすれば、この子を守れるんだろう。真実を伝えること? それとも……」


 真也がレイラに目線を向けると、レイラは静かに目を伏せた。


 真也は言葉を続ける。


「ただ俺は、今はこの子のそばにいてあげたいと思ってる。

 まひるが言ってたんだ、この家にひとりは寂しい、って」


 真也は、何気なく部屋を見渡す。

 帰ってから真也が抱いていた、妙な安心感の原因を突き止めたのだ。


「俺も、少しずつ思い出してきたんだけど、この家、多分俺が住んでた家と同じだと思う。間取りがね、一緒なんだ」

「……元の世界で、ここに、住んでた?」

「ああ。俺の場合は、ひとりだったからね。すぐに家を引き払って、身元保証人のひとに頼んで、ワンルームのアパートに引っ越したんだ」


 真也は、今度は先ほどよりもそっと、まひるの頭を撫でる。


「そうだよな……。

 この家にひとりは……つらいよなぁ……」


 それは、真也も経験した思いだった。

 家にいると、いつも家族を思い出した。多すぎる食器も、椅子も、家族からのプレゼントも、家族へのプレゼントも、すべてそこに残っている。真也は、それに耐えきれなくなったのだった。


「真也……」


 レイラの、いたたまれないと言った表情に、真也は1つ息を吐く。


「ごめん、湿っぽくなっちゃった」


 真也は今度は大きく息を吸い、これからのことについてレイラに相談する。


「俺は、こうして一緒にいてあげたいんだけどね。

 実は昨日、病院の精神科医の人に聞いたんだ。こういう時、どうするのがいいか、って」


 それは、真也がまひるに対してどうするべきかと迷い、最初に取った行動だった。


 レイラも真也も、こういったことには不慣れだ。だからこそ、レイラも専門家の話については聞きたいと思っていた。


「なんて、言ってた?」

「否定しちゃいけない、でも、肯定もしちゃいけない、って」

「それは……」


 否定はしていない。しかし、今の状況は真也がまひるの兄であると全力で肯定しているのだ。


「うん。あまり今のままは良くない……と思う。

 肯定することで、より強く、まひるが俺を兄だと思い込んでしまうかもしれない。

 ……俺はどうすればいいんだろ、俺は……この子を守りたいだけなのに…ただ、それだけなのに……!」


 まひるの頭を撫でていた真也の手はいつの間にか真也の胸の前で組まれ、血が出そうなほど、強く握られていた。


「真也、落ち着いて」


 レイラは、真也の肩に手を置き、ゆっくりと背中を撫でる。

 その感触に気づくと、真也は肩と手のひらに込められていた力を抜いた。


「あ、ああ。ごめん。

 ……やっぱり精神科に連れて行くべきなのかもしれないね」

「オーバード、精神病になると、良くない」


 レイラはその言葉は、真也には賛成に聞こえたが、レイラは言葉を続ける。


「軍だと、PTSD、多い」


 レイラから聞きなれない単語が出てきたことで、真也は首をかしげる。


「PTSD?」

「精神病。なった人は、回復するまで、病院に、隔離される」


 レイラの目が、大きく曇る。


「……高い壁、頑丈な部屋。ほぼ、刑務所」


 刑務所。そのような物騒な言葉が出てくるとは思わなかった真也は、言葉を失う。


「……え?」

「異能は、危険。精神病だと、へんな事故、起こるかも。だから……」

「完全に隔離する、ってこと?」

「だから、まひるを病院へは……やめて、ほしい」


 レイラの悲痛な表情に、真也も賛成する。


「そう……だね。俺がなんとかしなくちゃ……」


 真也は決意を新たにするが、そこへレイラの言葉が重ねられる。


「違う。俺、たち」

「……そうだったね」

「うん。がんばる。でも、多分、真也の方が大変。愚痴、相談、なんでも聞く」

「ありがとう」

「大丈夫。聞くのは、得意」


 そのレイラの言葉に、どちらからともなく小さく笑いが漏れる。


「……んぅ……あれ、寝てた……?」


 声に反応したのか、まひるが目を覚ました。目をこすり、眠そうにしている。


「おはよう、まひる。パーティーはもうお開きにしよう。俺も眠くなってきた」

「……私も、今日はもう帰る」


 レイラはそう言うと、コタツから出て立ち上がり、帰る準備を始めた。


「そっかぁ……レイラさん、玄関まで送るよぉ……」

「うん。ありがと、まひる」


 2人で玄関までレイラを見送ると、真也はまひるに声をかける。


「さあ、まひる、今日はもう寝よっか」

「うん……」


 二階への階段へとペタペタと歩くまひるを呼び止める。


「お風呂に入ってからだよ。先に入っちゃって」

「うん。行ってくるねぇ……ふあぁ……」


 真也はまひるが浴室へと向かったのを見届けると、自分は玄関に置きっぱなしだった紙袋を手に、一度背筋を伸ばしてから『自分』の部屋へと向かった。


 こうして、自宅での最初の夜は更けていった。

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