【高3の冬は特に寒い】

しらい家

【高3の冬は特に寒い】

これは高校3年生の冬休みの話だ。

もちろん、私の話である。


日本には滋賀県という県がある。

日本で最大の大きさを誇る『琵琶湖』という湖を有する県であり、通称"湖国"である。

他にも、農産などで良いところはあるかもしらないが、1番はやはりこれであろう。

私は、その湖国で育った。湖国の住人である。

滋賀県はその最大規模の湖を武器に、周りの府県(特に京都)と醜いと言うのも憚られるぐらいの微妙な争いを続けてきた。

微妙な争いが故に側から見るとオモシロイ。

しかし、自分の住む県の事なので恥ずかしいったらありゃしない。

「そんな微妙な争いはする必要ないぞ!」

そう、私は思う。

しかし私の思いは虚しく、この微妙な争いは今年で300年続く争いであり、長さだけで言えば由緒さえ漂ってくるように思える。

その微妙さと琵琶湖を掛け合わせ一部では『琵妙湖戦争』と呼ばれているらしい。

もちろん戦争と言えるほど激しくは争っていない。

これに関する書物は世にたくさん出ているので、気になった方は是非そちらを参考にして頂きたい。

ただし、『琵妙湖戦争』についての書物には未だかつて出会ったことも無ければ、出会った人物も居ないことには何卒注意していただきたい。


話を戻そう。

その湖国に生まれた私は、湖国で育ち、湖国の小学校、中学校、そして高等学校へと進学した。

現在、高校3年生である。

高校3年生といえば、大学お受験の時期である。

しかし、私は既にお受験を終え、残りの高校生活をだらけて過ごすことを生き甲斐としている。

今までは規律正しい生活をしてきたのかと問われれば、そうではない。

今までも、きちんと清く正しくだらけて生活してきた。

つまり常日頃からだらけているということであり、以前となんら変わりはない。

こんな私を友人は、黒い顔をさらに黒くして言う、

「君は正真正銘の怠惰学生であるなあ。」と。


ではそんな怠惰学生の私が何故、大学お受験をしたのか。

高校3年生の初めに私の通う高等学校である講演会が開かれた。

よく分からないどこぞのお偉いさんがいらっしゃって、約3時間喋りっぱなし。

ほとんどの学生は魂をそのよく分からないどこぞのお偉いさんに吸い取られているが如く、気を失いかけていた。

その光景といえば、もうほぼ事件である。

そこでよく分からないどこぞのお偉いさんは

『今の世の中は大学を出たかどうかが重要視される学歴社会へ変貌を遂げつつある。』

と、学生の魂を吸いつつおっしゃられていた。

終始その講演はよく分からない講演であったが、その一言だけ私の胸に突き刺さった。

私はその通りだと思った。よく分からないけれども。

その上私は、「もう既に変貌を遂げているかもしらん。大学出ないと明るい未来が無い。」とまで思った。よく分からないけれども。

私は影響されやすい体質であった。

よく分からない講演で影響されまくり、大学へ進学することを決意した。よく分からないけれども。

世の中に大学は無数にあり、それぞれに特色がある。

それによって人は大学を選び合格に向けてひたむきに努力を続ける。

努力というのはもちろん机に齧り付いて永遠と勉強と踊り狂うというものだ。

お受験は必ず勉強とセットなのだ。

お受験があって勉強があり、勉強があってお受験がある。

大学お受験を志す者ならば学力がある程度必要であり、そのために勉強しなくてはならない。

あのよく分からない講演でお偉いさんは

『学生の本分は勉強である。』ともおっしゃられていた。

しかし、そちらの方は聴かなかったことにした。

勉強とは数年前から仲違いをし、劣悪な関係のまま過ごしてきた。

たまにどうしても顔を合わせなければ行けない時があり渋々遊んでやったりもしたが、それ以外はお互いしらんぷりを貫いた。

この仲違いにより、私の学力は地面により近い存在になっていた。

大学お受験するには不利でしかなかった。

名のある大学へ進学するのであれば、それ相応の努力をしなければならない。

私にはそれは出来なかった。

あれだけ仲違いをしてる勉強と共に踊れるはずがなかったのだ。

勉強と踊るくらいなら、ステージの上で1人でワルツを踊っていた方がましだろうとも思っていた。

なので私は、なるべく努力しなくても進学できる学校を探すことにした。

結果、湖国の住人だということもあって湖国のある大学へ進学することになった。

努力せず己の力のみで合格したことを棚にあげ、自分を褒めちぎった。びりびりになるほど褒めちぎりにちぎった。

「やはり、やつと踊らなくて正解であった

踊らずに合格なのだから、もし踊っていたら踊損もいいところだ

これからもやつとは仲良くしなくて十分だ

完全に縁を切るのもありかもしらん」

そうは思ってはいたものの、大学では大学でそれなりに顔を合わせる必要があると考え縁を切るのはやめておいた。

縁を切らない決断は正しかった。

大学お受験の際に努力をしなかった私は、大学入学後に大変苦労することになる。

あたりまえであろう。

あれだけだらけて生活していればその分ツケは必ず返ってくる。

私も机に齧り付き勉強と踊り狂う時が来るのだ。

しかしこれはまだ少し先の話なので、また機会があれば話すことにしよう。

今思えば、あの大学お受験の時にやつと踊っていた方が良かったのかもしらない。


大学お受験へ真剣に取り組む方達へは大変失礼な話だと自覚している。

「こんなに適当に大学お受験をするものじゃない。」と、お思いの方がおられると思う。

非難される前に謝罪しておこう、申し訳ない。



ーーーーーーーー




だらけて過ごす日々というのは自由にも思えるが、退屈から逃れる術を身につけていない者には苦行なのである。

言ってしまえば、暇なのだ。

自身が何をしているのか、何をしたいのか分からなくなってしまうのだ。

私は逃れる術を身につけていた。はずだった。

私は三度の飯より、やや睡眠を愛するぐらい睡眠愛好家であった。

そのため、最初のほとんどは眠りに眠っていた。

睡眠というものは素晴らしいもので、辛いことや嫌なことなどから逃れることができる。

それどころか、何も考えなくてよくなる。

ただただ、そこにはほわほわとした気持ちだけが残る。

私はその感覚が好きだった。

冬休み前の終業式の日のことだ。

いつものように朝寝坊をし、2度寝3度寝をした後に4度寝をしようとほわほわとした気持ちを満喫していたところ

ビキビキビキッ

雷鳴が如く鳴り響く音と共に身体中を電撃が走った。

その電撃が痛みからくるものだと気づくまでに、少々時間を要した。

「うおうおうひゃひゃいひゃ。」

人生で出したこともないような声で、出したこともないような言葉を発した。

腰が砕けていた。粉々に。

寝すぎによる副作用である。


世の中に住まう睡眠愛好家達の間では、しばしば懸念されている事があった。

睡眠の副作用により腰が粉砕される事例についてだ。

愛好家達の間ではこれを『KNFS』と呼んでいる。

正式名を『腰が寝すぎで粉砕されちゃった病』という。

遡ること数十年前、ある睡眠愛好家がこの病気にかかった。

それまで彼は睡眠にかける時間に関して右に出る者はおろか、前に出ようと考えるのも嫌になるくらいの強者であった。

故に彼は超一流の怠け者であった。

『KNFS』を発症した睡眠愛好家は、今までと正反対になり睡眠に対する恐怖を覚える。

彼の場合は発症してから2日間は一睡もせず、恐怖心を薄めるため働き続けたらしい。

そして発症して以来、今もなお睡眠の恐怖と戦っていると彼は言う。

彼の睡眠時間は激減し、当時の半分以下である7時間にまで減ってしまった。

しかし睡眠にかける時間が少なくなった分を仕事に回し、そのおかげで彼はある程度の裕福さを手に入れ、本来なら手に入れることのできなかったであろう結婚まで手にした。

そのうえ、可愛い可愛い天使のような娘さんまで授かった。

側から見れば、なまけものの主人が働き者になったというだけのサクセスなストーリーに思われるかもしらない。

しかし、彼にとっては睡眠を失うことは何より自分自身を否定されることに等しかった。

彼は悩み続けた。

自分の存在意義を探し続けた。

彼はあることを思いついた。

「そうだ『KNFS』を治療できる薬を開発しよう。そうすれば私のように苦しむ睡眠愛好家が1人でも少なくなるのではないだろうか。」

それからと言うもの彼はだらけて過ごすこと無く、『KNFS』の特効薬開発に没頭した。

開発の過程は苦しく、大きな借金をすることになった。

しかし、彼は開発をやめなかった。

家族の支えもあり、数年後に彼は特効薬を作り上げたのである。

睡眠愛好家の間で彼は崇め奉られることになった。

彼は見つけたのである。睡眠以外の自分の存在意義を。

それからの人生を彼は、特効薬開発で得たお金で借金を完済し裕福に過ごしたという。

もちろん、適度な睡眠と共に。

その特効薬というのが、今で言うところの『湿布』である。

私たちは彼の恩恵にあやかっているのだ。

腰を痛めたときはもちろん、捻挫した時などさまざまな場面で使っているのではないだろうか。

使用する際には、どうか彼のことを思い返して欲しい。

そうして、感謝の念と共に彼の分まで眠っていただきたい。


などと適当な事を思いながら、私は湿布を腰に貼ることにした。

痛めた腰をさすりつつリビングに向かった。

リビングに出ると母親がいた。

母親に腰を痛め湿布を貼りたいことと、珈琲を飲みたいことを告げ用意していただいた。

母親は

「あんた、今日は終業式だよ。また遅刻して。だめだよほんと。」

と言いながらも、湿布と珈琲を用意してくれた。

優しい。ありがたい。

「今度からは遅刻しないようにするよ。ありがとう。」

湿布を貼ると、じんわりと心地の良い感じがした。

「彼には本当に感謝しなければならないなあ」

と思った。もちろん彼は存在しないけれども。

珈琲を飲み干し、学校へ行くことにした。


学校へ行くと既に終業式が終わり、各クラスでLHRが行われていた。

遅刻してきた以外、滞りなくLHRが終わり冬休みへと突入した。

LHR中、いるはずもない彼に思いを馳せていた。

「私自身もこの腰のせいで睡眠という自身の存在意義を失われてしまった

私には何ができるのであろうか

彼のように何かを開発する能力も無ければ、気力も無い

今の私には存在意義がないかもしらない」

悩みに悩んだあげく、とりあえず読書をすることで存在意義を見出すことにした。

放課後、学校の図書館へ向かった。

図書館にはほぼ無限に本があり、その種類もさまざまだ。

私はその無限に広がる本の世界へ迷い込むことにした。

私は本に関して雑食である。

本のタイトルがオモシロそうだと思ったら、とりあえず読んでみる。

そういったタイプの人間だ。

雑食な故にたくさんの本を読んだ。

その日も雑食さを存分に発揮していた。

あれこれと本を手に取り、どれにしようか迷いあぐねていた。

最終的に、大尊敬する森見登美彦大先生の本を2冊借りることにした。

この2冊をもったいぶりながら、大切に読むことにしたのだ。


帰宅してから、また珈琲を淹れた。

ゴォーっと珈琲を淹れているとは到底思えないような珈琲マシーンの音を聴きながら、最初の1頁をめくった。

もったいぶりながらと言っても夢中になって読み進めてしまった。

その日のうちに一冊目の殆どを読み終えてしまった。

珈琲はすでに5杯飲み干していた。

今日はもう寝る事にしたが、腰が痛くて上手く寝付けなかった。

「このやろー」と思いながらも眠るしかなく、しぶしぶ目を閉じて遠くに思いを馳せることにした。

「私の存在意義は何なのだろうか

特に勉強に勤しむ訳でも無ければ、スポーツに熱中することも無い

本を読みただただ、珈琲を消費するだけの人間だ

これで良いのだろうか

良い訳ないであろう

何かしら、存在意義を示すことをしなければいけない

さもなければ、私の存在はうすーく、うすくなり、その内消えてしまうかもしらない

それは困る

まだ消えるにはちと早い」

あれこれ考えている内に眠ってしまったようだ。


冬休み初日は昼頃に起きて始まった。

目覚めると腰の痛みは少し和らいでいてホッとした。

ここで2度寝しようと思ったが、それには勇気が要ると思いやめておいた。

リビングに向かい珈琲を飲むことにした。

ゴォーと鳴る珈琲マシーンを眺めていた。

淹れ終えた珈琲を持って部屋に戻り、珈琲をすすりながらボーッとしていた。

頭はまだほわほわした気持ちで一杯であったが、なぜかほんの少しではあるが胸の奥底で危機感という名の悪魔が見え隠れしてるように思えた。

毎度毎度、自身の存在意義について頭を悩ませるのには正直疲れた。

逃れるためにまた読書に没頭することにした。

1冊目の残りを読み終え、2冊目へ突入した。

その頃には陽が傾き始めていた。

読書する手を休め、珈琲を片手に橙色に染まる空を眺めながらまた考え込んでしまった。

自身の存在意義についてだ。

「考えても考えても、これには答えがないのではないだろうか

私という存在は何をもって成立しているのだろうか

私の友人には自身の黒さを存在意義としているやつもいる

自分にしかできないことを見出している彼のことを少し羨ましいと思うこともある

しかし、彼と私では違うところが多々あるため彼の行動を真似するようなことはできない

本当に考えても答えが出ない

考えることはもうやめよう

自身の精神のためにはそれが一番良いのだろう」

ふと、机の上に置いてあるスマホに目が留まった。

手にとってみると一件の通知が来ていた。

内容は私の大尊敬する森見登美彦大先生がブログを更新されたというものだった。

「森見大先生のブログ、、、

ブログ、、、ブログ、、、?ブログ、、、!ブログ!

これだ!」

と思った。

私は以前より文章を書くことが好きであった。

そのため、いくら勉強と仲違いしているといっても現代文の点数だけは常に良かった。他の教科と比べて圧倒的に。

これは本を読むことが好きである故に手に入れた能力であった。

本を読むことでその世界に入るためには、文章力というのが欠かせない。

私は数多の本を読むにつれ、その能力を養い続けてきた。

この能力は読むだけでなく、自分が文章を書くことにも役立った。

「ブログだよ、ブログ!

文章だよ、文章!

私の存在意義はこれではないのか!

今、私の存在意義が露わになろうとしている!」

そうは思ったものの、

「まてまて

私にそんな大層な文章が書けるのだろうか

それに書くべきことなどあるのだろうか」

などと、考えるべきことは多かった。

自身の経験を書こうにも特筆すべきことは何もなかった。

私の高等学校では部活動に入らなければならなかった。

選んだ先は写真部であった。

ほとんど活動が無く、帰宅部状態であるという噂をききつけたからである。

しかし、噂は噂でしかなかった。

ばりばりに活動してやがった。

毎週末に高等学校の周辺を撮影に回ったり、ある時はどこか遠くの寺に遠征までする始末。

当然、私はすぐに部活動に顔を出すのをやめた。

幽霊部員デビューである。

そしてまた、睡眠愛好家の日々を送った。

高等学校での生活も、人に話せるような華やかしいものではなかった。

友達は人並みにはいるものの、本質的に付き合える友人はおらず八方美人の名を欲しいままにしてきた。

それ故に彼女なんてものは夢のまた夢である。

恋愛大戦争には数年前から負け続けていたのである。


そうなれば、ブログに書けるようなことなど無かった。

また自身の存在意義を探さねばならなくなった。

考えを巡らせる内に陽は沈んでしまっていた。

真っ黒の夜空に点々と星が見え、苛立たしいほどに月は輝いていた。

冷めた珈琲を飲みながら考えた。

「書くことなどないが、書くことを始めなければ何も変わらないのかもしらない

いや、変わらない

行動することで何か変わるはずだ

書こう、書けるはずだ、何か、私なりの何かが」

私は今までの生活を思い返し、さまざまな事を思った。

自身のこと、家族のこと、友人のこと、それ以外のこと。

しかし、やはり何も思いつかなかった。

しばしの間目を瞑り、外の世界から自身を遮断した。

そして再び目を開けた時、思いついた事を書こうとしたのだ。

今の世界に帰ってきた時、私は最初の一行をなんとか書き始めた。

書き出しはこうである

『私には友人がいる。黒い友人が。』

自身の友人のことを感じるままに書くことにしたのだ。

しかし、この文章よく分からない。

書いた私が言うのだから皆様も何を書いているのかよく分からないであろう。

だが、よく分からないぐらいが丁度良いと私は思う。

よく分からないがそれで良い。

それぐらいがオモシロイのだ。


「書き終える頃には自身の存在意義を見出すことができているだろう」

そう信じて私は続きを書くことにした。

もちろん、適度な睡眠と共に。



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