9.

 放課後、もう一度屋上へ行ってみた。

 シバヌマさんが、PCの画面を眺めながらコーヒーを飲んでた。

 タナコエさんの姿は無かった。本も無い。

「彼女、放課後に来ることは滅多に無いよ」シバヌマさんが僕を見て言った。

「へええ、そうなんですか」と、いかにも興味無さそうな風をよそおい、僕は当たりさわりの無い言葉を返した。

 屋上ここへ来るのはタナコエ・ユウカさん目当てだと、気づかれたくなかった。

 まあ本当はバレバレなのかも知れないが、あからさまにかまをかけて来たシバヌマさんに、そう簡単には本心をさらす訳にはいかない。

 僕だって、目の前へ垂らされた釣り針に易々やすやすと喰らい付くほど馬鹿じゃない……と、思いたい。

「昼休みは、二日に一回くらいかなぁ」とシバヌマさんは続けた。

「何がですか?」と、すっとぼける僕。

「いや、だからさ、彼女のことだよ。彼女。今日の昼休みにそこで本を読んでいた女子生徒」

「へええ。そうなんですか」

「昼休みに比べると、放課後に屋上ここへ来る頻度は低いかな……あ、ちょっと待って」

 彼は、PCの画面に視線を戻し、キーボードをカタカタ言わせて何やら打ち込んだ。

「ははあ……やっぱりパターンがあるなぁ。彼女が放課後ここへ来るのは決まって火曜日だわ。彼女にとって毎週火曜は屋上の日、って事なのかな?」

「ひょっとして、タナコエさんが屋上ここへ来る日をインプットしてあるんですか?」

「そりゃ、そうさ……何日に何人の生徒が屋上に昇って来て、どれくらいの時間居座いすわっていたのか、それを記録しておくのも屋上管理人である僕の役割の一つだからね……へええ。彼女の名前、タナコエさんって言うのか。タナコエね。タ・ナ・コ・エ……と」

 言いながらシバヌマさんはキーポードを叩いた。PCに彼女の名前をインプットしたのだろう。

 ……しまった……と僕は思った。口をすべらせて彼女の名前を自分から教える形になってしまった。

「だとしても……仮に、屋上へ来る生徒の数を把握するのがシバヌマさんの役目だとしても、それを易々やすやすと他の生徒に教えるのは如何いかがなものかと思います……えっと……プライバシーの侵害というか……」

「教えて欲しくなかったの?」

「僕が、彼女の放課後の行き先について知りたいと思っているのか、いないのかは、関係ありません」

「案外、面倒臭めんどくさい少年なんだね。君」

 その時、PCのスピーカーから「ピー、ピー」という警告音が発せられた。

 シバヌマさんが立ち上がって壁から小型ライフルを外し、窓際まどぎわへ行ってガラス越しに屋上を見渡した。

 本校舎屋上周囲にグルリとめぐらせてある柵を乗り越え、一匹の〈カラスモドキ〉が柿の大木に近づこうとしていた。

 女の……いや、メスの〈カラスモドキ〉だった。

 昼間見たオスの〈カラスモドキ〉同様、全裸で、頭髪・体毛が無く、銀色だった。

 体の輪郭がオスの〈カラスモドキ〉より丸みを帯びていて、乳房があった。足の間にチラリと女性器が見えた。

 シバヌマさんが窓を少し開けて消音器サプレッサー付きライフルの銃口を外に出しスコープをのぞいた。

 消音器サプレッサーの先端が少し動いた。前屈まえかがみで柿のへ歩いて行く〈カラスモドキ〉に狙いを合わせたのだろう。

「パンッ」という、小さく乾いた音と共に〈カラスモドキ〉の側頭部に小さな穴が開いて血が吹き出し、〈カラスモドキ〉はその場にバタリと倒れた。

 すぐにカラスどもが何羽も舞い降りて、その死体をついばみ始める。

「昼間も屋上に侵入して来たけど……〈カラスモドキ〉って多いんですか?」僕は、スコープから目を離したシバヌマさんに聞いた。

「まあ、週に五・六匹ってところかな。今日はもう二匹片付かたづけたから多い方だ。僕がこの学校に来たての頃は週に三・四匹だったんだけどね。徐々に多くなってるのかな」

 言いながら窓を閉めて壁掛けに銃を戻すシバヌマさんに、僕は重ねてたずねた。

「やっぱり、やつらの狙いは『柿の実』なんでしょうか?」

「そりゃあ、そうさ。それ以外にわざわざこんな殺風景な場所に来る理由なんて有ると思うかい?」

「あの……『柿の実を食べれば、何でも願いがかなう』って本当なんですか?」

「僕はそう教わったけどね。君だってそうだろう? この町の人間なら誰でも知ってる事だ……ただし……」

「ただし、何ですか?」

「屋上管理人というか、この柿の大木の管理人になる直前、研修で教わったんだけど……正確には『柿の実を食べれば、、何でも願いがかなう』って事らしい」

「思いの強さに比例して? それは、どういう……」

「例えば、君があの柿の実を食べながら『一個五円のビー玉が欲しいなぁ』と思ったとする」

「一個五円のビー玉、ですか?」

「例え話。まあ聞きたまえ……仮に君が『五円のビー玉が欲しい』と思えば、その思いが弱くても……つまり、気楽な感じで願ったんだとしても、その願いはかなえられるだろう。願いの軽さと五円というビー玉の価値が釣り合っているからね……じゃあ、それが『一個五億円の宝石』だったら? それは駄目だ。少なくとも気楽に願っただけじゃあ、駄目だ」

「願いはかなえられないんですか?」

かなえられない。君の『思い』が、『一個五億円の宝石』に値しないからだ」

「それじゃあ……それなら『何でもかなう』とは言えないじゃないですか」

かなうさ。その願いが……あるいは意思の力と言っても良いが……他の誰にも負けないほどに、飛び抜けて強ければ」

「でも……」

「でも、そもそもそんな『強い思い』を持つ事それ自体、常人には無理だって言いたいのかい? だったら、ほどほどの願いをかなえてほどほどに満足しとけ、って事なんだろうな。きっと」

 シバヌマさんの言葉に、何だか僕はだまされたような、けむかれたような気になった。

 シバヌマさんが、納得できないでいる僕の顔をしばらくジッと刺すような目で見て言った。

「もちろん分かっているとは思うが、これはあくまで例え話だ。言うまでもない事だが

「分かってます」

 そうだ……この町の人間なら誰でも知っている。

 この学校の屋上に生えている大樹の実を食べた者は、ひどい制裁を受けた後で処刑される。殺される。

「そのために僕がいるんだ。もし、この屋上に生えた大木の実を食べた者が居たなら、そいつを探し出し、処刑するために」シバヌマさんが続けて言った。

「知ってます」僕は、シバヌマさんの眼光の強さにゾッとして思わず目をらしながら小さな声で返した。

 シバヌマさんは一度「ふん」と鼻を鳴らし、それをけにして、いつもの柔和で温和で紳士に戻った。

「でも……まあね」とシバヌマさん。「『何でも願いがかなう』と言われている柿の実の言い伝えが、正確には『』だったと聞いて、君が詐欺にったような気持ちになるのも、分からない訳でもない」

 シバヌマさんは窓の向こうの柿のへ視線を移して続けた。

「……実際のところ、これは一方的に望みがかなうなんて都合の良いシステムじゃなくて、一種の『き』なんだ。そういう意味では、社会で一般的に行われている経済活動と何ら変わらない。五円のビー玉を買うのに五円を支払い、五億円の宝石を買うのに五億円を支払うのと何ら変わらない取り引きだ……考えてみれば『お金』っていうシロモノ自体、その人の持つ『思いの強さ』の具現化……あるいはその集積なのかもしれない」

 言いながら、シバヌマさんはパソコン・デスク横の戸棚から紙コップを出してインスタント・コーヒーの粉を入れ、電気ポットのお湯を注いだ。

「人の持つ『業』や『執着』の強さを数値化したもの……それが『お金』って事なのかもね……そして世の中に金持ちと貧乏人が居るように、人それぞれ『思い』の強さは違う。『業』や『執着』の強い人間ほど、それに比例してお金を引き付ける力も強いっていうのはる話だ……金さえあれば、柿の実なんて食わなくても大抵のものは手に入るしさ……飲むかい?」

 僕はコーヒーの入った紙コップを受け取り「ありがとうございます」と言って一口飲んだ。

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