3.

 朝食を終え、歯を磨き、急いでシャワーを浴びて制服に着替え、コートを着てカバンを持って外へ出た。いつもの朝のルーチンだ。

 自転車にまたがる直前、(そういえば雨の予報だったな……)と思い直し、自転車通学はめにして今日はバスに乗ることに決め、玄関まで戻って傘立てから自分の傘を抜いて歩いてバス停に向かった。

 歩きながら空を見上げると、なるほど今にも降り出しそうな空模様だった。

 住宅街の路地から大通りに出て、百メートル先のバス停を見ると、既にそこそこの数の学生が並んでいた。

 僕もその最後尾に並んだ。

 僕の直前に、丸鼻に四角いメタルフレームの眼鏡をかけた太り気味の少年が立っていた。

 同じクラスのカズヤだ。

「よう」と僕が声をかけると、カズヤは振り返って「ああ、キョウイチか。おはよう」と返した。

 そのうち弟が追いついて、学生二人をはさんで、さらにその後ろについた。

 バスが来た。

 カズヤが「今日は〈サル〉か」と言った。

 こちらへ向かってくるバスの大きなフロント・ガラス越しに運転手の顔が見えた。

 バス会社の制服をピシッと来た上半身のシルエットは人間そのものだったけど、その上にっている頭は〈サル〉だった。

 サルの頭を人間と同じ大きさに拡大して、運転手の制服を着た人間の胴体の上に……そんな感じだった。

 もちろん、本物のサルじゃない。

 少なくとも自然界に生息するサルじゃない。

 サル頭の運転手の正体はだ。

 この町で一番大きな企業……〈コカヘーロ総合工業〉株式会社が製造した機械だ。バスを運行しているのは〈コカヘーロ〉の系列会社で、十年前、町を走る全てのバスの運転手を親会社が製造したロボットたちに置き換えた。

 ロボットだから運転手の首から下……制服の下に隠れた胴体ボディは金属あるいは強化プラスティック製で、機械仕掛じかけのはずだ。

 じゃあ何で、首から上が動物なのかと言うと、シリコンで出来たコンピュータ・チップを使うよりナマの動物の脳みそを使った方が柔軟な思考回路を作成できるから、という話だった。

 ただ、自然界にいる動物をそのまま使ったのでは色々と不都合があるらしく、やはり同じ系列の〈コカヘーロ・バイオ工業〉によって人工的に培養され、標準的な人間の頭部とほぼ同じ大きさに揃えられた『人工動物頭部』を使用している。

 使われる動物の種類は、全部で十二種あるらしい。

 ネーウシトラウー……まあ、要するに、十二支えとだ。

 タツは……龍は、どうしたんだ? そんなものをバイオで作れるのか? ……という謎は……どうやら企業秘密の領域にあるらしく、ロボ運転手が実用化されて十年のあいだ、バス会社もバイオ企業もノーコメントを通している。

 どの動物の運転手がどのバスを運転するのか……その順序は一見ランダムで、法則・規則性のようなものは無さそうだった。(ひょっとしたらバス会社内部には有るのかもしれないが)

 同じ時刻、同じバス停を通過するバスの運転手も、〈ウサギ〉頭だったり〈ネズミ〉頭だったり〈ヘビ〉頭だったりと、日によって変わる。

 ところが、タツつまり〈リュウ〉の頭を持つ運転手のバスに乗った者は、今まで一人も居ないようだった。

『十三日の仏滅の深夜最終バスに乗ったら、運転していたのが龍の運転手で、バスが動き出すと同時に急に眠気をもよおして、ハッと目が覚めたら公園の公衆便所のゆかタイルの上に裸で寝ていた』

 ……とか、そういう眉唾まゆつばな都市伝説のたぐいなら、いくらでもあったけど。

 とにかく、その日、その時刻、そのバス停にやって来たバスの運転手は〈サル〉で、僕らは〈サル〉の運転するバスに順々に乗り込んだ。

「発車しまぁす」

 車内スピーカーから〈サル〉運転手の声が、聞こえた。

 妙に鼻にかかった、甲高い声だったけど、僕の記憶にある『人間の』運転手の声も(最後に人間の運転するバスに乗ったのは十年前、僕が五歳の時だ)うろ覚えだけど、鼻にかかった甲高い声だったような気がする。

「朝から運が良いな」僕の隣で吊り革に体重を預けるようにして、カズヤが言った。「〈サル〉は運転が丁寧だからさ」

「へええ。そうなのか?」

「実際、乗ってりゃ分かるだろ」

「どうかな。そんなの気にした事も無かったけど……どれも似たり寄ったりのような気がするけどな」

「そりゃ、キョウイチ……お前が普段は自転車通学で、あまりバスに乗らないから気づかないだけなんだよ。俺は自転車通学なんて疲れるのはぴらだから天気に関係なく毎日バス通学だ。だから分かるんだよ」

「へええ」

 そんなどうでも良い事で議論を続けるのも面倒臭かったから、僕は曖昧あいまいな返事を返しておいた。

 十分後、〈サル〉運転手が鼻にかかった甲高い声で言った。

「次とまりまぁ〜す。第三中学まえぇ〜、第三中学まえぇ〜」

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