チンピラが飛んだ日

さらしもばんび

第1話 プロローグ(prologue)

 どこの港にも、それが何であったか思い出せなくなるまで、長い時間船荷を眠らせる為の倉庫がある。そんな倉庫群の中でも、その荷はおろか倉庫自体の存在をも忘れ去られた一画。いつもは、ただ埃が静かに羽虫の死骸の上に降り積もるのが、今日だけは一群の男達の押し殺した息によって乱されていた。


 男達は傾いた丸テーブルを挟み4人と2人のグループで対峙していた。丸テーブルはその対峙する男達の苛立ちで、触りもしないのにカタカタと世話しなく鳴っていた。


「先に金を拝ませろだと?」


 口火を切ったのは4人組みのリーダー格、三和系暴力団『昇龍組』幹部伊沢。そして、それに対抗する男ふたりは、街のチンピラ、津山佑介とその弟分の健二である。


 伊沢は、右の耳たぶの傷を指で触っていた。思案するときの彼の癖である。そして、考えを決めたのか、かうす笑いを浮かべながら軽くうなずく。彼は、舎弟に向かって微かにあごを動かした。すると、後ろにいた男が、威嚇するかのように乱暴な音をたてて、アタッシュケースを丸テーブルの上に放り投げた。


 舞いあがった埃が、ただでさえカラカラになっている津山と、そして顔を隠さんばかりの大きなマスクをしていた健二の喉に突き刺さった。

 勢いよく開かれたアタッシュケースの中身は、札束の塊である。健二の目は札束にく釘付けになる。しかし、津山は、対峙する相手から視線を外そうとはしなかった。

 伊沢が一瞬たりとも気が抜けない危険人物であることを、彼はよく知っていたのだ。


「さあどうだ、どチンピラのお前等じゃ、こんなまとまった金を見たことあるまい」


 乾いた笑い声が倉庫に響く。と、一転どすの利いた大声で伊沢は叫ぶ。


「おらぁ!金を拝んだら、さっさと売り物を出さねぇかッ!」


 この神経に障る高いキーの笑い声と、それに続く次の一喝のタイミングは、やはり伊沢が脅しのプロであることを物語る。

 津山は自分の顔に、不安の色が出てはいないか心配になった。相手の一喝に、精一杯の余裕を見せながら、津山は軽く頷いた。そして、相手に気づかれぬようにゆっくりと右手の関節を屈伸させた。


「健二」


 札の塊にこころを奪われていた健二は、津山の命令にようやく我に返る。言われるままにボストンバックを差し出したが、その指先は震え、チャックを開けるのさえも苦労していた。


 最初に気づいたのは伊沢の右側後ろの舎弟であった。曇った窓から差し込む薄明かりに、ボストンバッグの中身が微かに光った。その男が腰にある銃に手をかけるより速く、津山はボストンバッグを健二からひったくり、バッグに入ったまま、中のサブマシンガンを連射した。


 銃弾は、男の足を打ち抜いた。男は腰に手をやったまま後ろの壁に消し飛ぶ。津山はそのまま銃口を左に流したが、間一髪伊沢ともう一人の男は、銃弾の一筆書きをかいくぐった。


 津山は初めて見るマシンガンの破壊力に酔った。両手の感覚がなくなり、火薬と混じって、肉の焦げる臭いが、うまそうに鼻に匂った。健二がしがみついて止めなければ、全ての弾を打ち尽くしていたろう。


「あにき! もういいよ。早く逃げようよッ!」


 健二は涙声で叫ぶ。彼のズボンはグッショリ濡れていた。それでも彼は札束の塊の入ったアタッシュケースを引っ掴むと、いまだ殺戮の余韻に浸る津山を出口へと引きずっていった。


 津山を現実の世界に引き戻したのは、実は二発目の銃弾であった。弾は津山の肩の肉片を削ぎとった。足元には、顔面を血に染めた健二が崩れていた。一発目の犠牲になったに違いない。津山は横っ飛びに積み荷の陰に身を隠したが、時にしたがい銃声は一カ所から二カ所、二カ所から三カ所と増えていく。


「健二ーッ!」


 津山は、倒れている健二に向かって声の限り叫んだ。しかし、その声に応えるのは乾いた銃声だけであった。


「くそーッ!」


 津山は銃声の方向に向かってサブマシンガンを無差別に連射した。相手の銃声がひるむその瞬間に飛び出し、倒れた健二の手からアタッシュケースをもぎ取ると、そのままわずかな間口しかない窓へ身を踊らせたのだ。

 窓ガラスは、映画でも見るようにまだ明けきらない日の光りにキラキラと輝きながら、ゆっくりと砕け散っていった。

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