謝晦25 王粲を詠ず   

劉裕りゅうゆう長安ちょうあん失陥のニュースを

聞いたときのことだ。


クソ、どういうことだ! 取り返すぞ!

再びの北伐を言い出す劉裕に、謝晦しゃかい

兵士も軍馬も疲労のきわみにあると、

劉裕を諌止した。


なので劉裕、思いとどまる。


劉裕、城の展望台から北を見る。

その顔には憂悶が見て取れた。


劉裕、臣下に詩を詠むよう命じた。

すると謝晦、王粲おうさんの詩を詠う。



南登霸陵岸 回首望長安

悟彼下泉人 喟然傷心肝

 長安の南、霸陵はりょうの岸に登る。

 振り返り、長安の都を眺める。

 あぁ、そうだ。

 あのひとは逝ってしまったのだ。

 その事実を思えば、

 我が心胆はいたまずにおれない。



劉裕は涙を流した。

その姿は、いつもよりも小さく見えた。




武帝聞咸陽淪沒,欲復北伐,晦諫以士馬疲怠,乃止。於是登城北望,慨然不悅,乃命群僚誦詩,晦詠王粲詩曰:「南登霸陵岸,回首望長安,悟彼下泉人,喟然傷心肝。」帝流涕不自勝。


武帝は咸陽の淪沒せるを聞き、復た北伐せんと欲せど、晦の士馬の疲怠なるを以て諫むるに,乃ち止む。是に於いて城が北に登りて望み、慨然として悅ばず。乃ち群僚に誦詩を命じ、晦は王粲が詩を詠じて曰く:「霸陵が岸に南に登り、首を回らせ長安を望む、彼れ泉が下の人たるを悟り、喟然として心肝傷む」と。帝は流涕し自勝せず。

(南史19-2_文学)



劉裕さんの人材整理事業として名高い長安失陥ですが、ここであえて彼の涙に嘘偽りがなかったと仮説を立ててみるのも楽しいのかも知れません。まーそうすると史書記述からは劉穆之りゅうぼくし一人にバックを頼らざるを得なかった極めてアンバランスにして脆弱な官僚組織しか構築できなかったっつーアレさが目立つだけなんだがな!


王粲

建安けんあん七子、曹操曹丕そうひの時代の大詩人。なにげに曹植そうしょく謝霊運しゃれいうんクラスの詩人と呼ばれているのだが、現代日本における知名度は圧倒的に下である。ちかたないね。文選もんぜん読もうぜ!

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