26. 刹那

 何が起こったのかはわからないけど、少しだけ落ち着いた。


「あっ、大丈夫? ずいぶん取り乱してたけど」


 俺の顔を覗き込むようにしていた、ディープブルーの瞳と目が合う。


「すごくしんどそうでこっちも気持ち良……じゃなかった、当てられそうになるくらいだったし……色々大丈夫?」

「おいやめろ。ほとんど初対面の相手にその……なんだ、自身の特殊な性癖についての露骨ろこつなカミングアウトをするな」

「いや、ほら……我慢したしセーフじゃない……?」


 クソほどどうでもいい話になっている気がする。

 頭はまだぼんやりしているけど、特に変わったところがあるとは思えない。

 世界はぐにゃぐにゃしているし、何が起こってるのかよくわからないのは、まあ、別に大丈夫だろう。よくあることだし。


「まあ元から×んでるなら、×ぬことはないから安心かな」

「安心なのか、それは」

「便利だよ。肩凝ったら首とか取り外しできるし」

「……こんな時ほどポジティブシンキングが重要だということか。なるほど」

「レヴィくんって、ホント真面目だよね」


 相変わらず、特定の言葉にノイズが走る。

 抑えつけたはずの「何か」が胸の奥底で暴れる。


「ところで、先ほどの彼女はどこへ消えた?」

「イオリちゃん? あの子実体がないから、すぐどこかに行ったり現れたりするよ。そのうちまた会えるかも。……あ、レヴィくんは気を付けてね。下手に刺激するとあの子、呪いまき散らすから」

「……ああ、そういう系統の……」

「僕的にはかなり気持ちいいんだけど、たぶん、一般的にはすごくキツいことになるはず」

「そうか、つまり命の危機を感じるレベルということだな」

「うん!」

「いい笑顔で言うな」


 変態がまた何か言ってる。

 ……あれ。何だ。何か……「湧いて」来そうな感覚がある。


「まあ、でもローザさんが言う通り『呼んだら来る』ってのは事実だったね。弟くんとか、特定の相手じゃないと無理だろうけど……協力してもらえたら心強そう」

「……大丈夫なのか? どう見ても正気を失っているが」

「大丈夫でしょ。頭おかしい人ってね、案外目的が一致したらどうにかなるんだよ」

「特定の偏った状況下での経験を一般化するな! だいたい『頭がおかしい人』というくくりが大雑把おおざっぱすぎるだろう!」


 そこにいるのが二人か三人か四人かよくわからないけど、やいのやいのうるさい。

 胸の奥から熱い塊がせり上がる。痛みが思考を塗りつぶしていく。……その瞬間、ほんの少しだけ頭が「冴えた」。


 目の前にいるのは赤い髪の男と、亜麻色の髪の男。……男? 片方は女かもしれない。

 何人いるのかよくわからなかったけど、視界がいきなりハッキリしたから、二人だとわかった。


 湧きあがった「何か」が形になる。「言葉」として、具象化される……。


「お前らいっぺん静かにしろ。何を求められてんのかすらわかんないのに、俺にどうしろって……?」


 きょとん、と、ディープブルーの瞳とエバーグリーンの瞳が見開かれる。

 亜麻色の髪のほうが、なぜか感極まった様子で叫んだ。


「レヴィくん!!! 話通じた!! たぶん初めて意思疎通できた!!」


 ……。俺、いったい何だと思われてたんだ……?

 視界が歪む、ずきん、ずきん、と痛みが思考を蝕んでいく。地面に真っ赤な液体が散る。


「……なるほど」


 その様子を見つめ、至って冷静に、赤髪の方が告げた。


「死の刹那せつな……『まだ生きていた』瞬間を繰り返しているようにも見えるな。……死にも至れず、生にもかえれない。その状態では、狂っても仕方がない」


 死にも至れず、生にも還れない?

 違う。俺は、俺はまだ……


 死んでいない?

 こんな状態で、本当に?


「しかし……なぜ、こんな状態を無視できる? 弟がいるのだろう。そいつらは何をしている」


 冷たく、それでいて怒気をはらんだ声。


 ……ああ、ほんとにな。

 なんで、助けてもくれないのに、解放してもくれないんだろうな。


 だけど……俺も、それで良かった。

 忘れていたかった。続けていたかった。失われた時間から、「先」に進みたくなかった。

 だって、そうしたら……


 生きてるあいつらは、死んでる俺を置いて行くから。


 いや、本当はそのほうがいい。俺のことなんか忘れて、あいつらは「先」に進まなきゃいけない。

 それなのに、俺は縋りつかれた手を振り払えなかった。


 死んでる俺は、生きてるあいつらを、置いて逝けなかった。


「まあ……兄弟の事情はそれぞれだしね。そこは、僕らが首を突っ込むことじゃないでしょ」


 青白い手が差し出される。

 地面に散った鮮血が目に痛い。かつて絶望を突き付けた色から逃げられない。


「君、頭はおかしいけどそんなに害がある感じしないからさ、協力してくれない? 何をしたらいいのか、自分では判断できないでしょ?」


 視界が霞む。また、ぐにゃりぐにゃりと歪んでいく。


「……もう、限界そう?」


 痛みが消えていく。食いつぶされた思考が漂白される。

「俺」が「誰」かわからなくなる間際、ぽろりと、涙が頬を伝ったのが分かった。


「……ッ、ぁ……」


 押し殺してきた「願い」が、零れ落ちる。


「死にたくない……ッ」


 そうしてまた、「俺」の意識は奥深くに沈んだ。

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