9. 殺人絵師

「……もしかして、君、気付いてないの?」


 目の前の相手が、青白い指先を俺に向けてくる。


「だって、君もどう見たって死んでるよね?」


 死んでる、痛い、その単語を聞くだけで、痛い、何か、痛い、思い出してしまいそうで、くそ、痛い痛い痛い痛い痛い。

 聞きたくない、その言葉そのものを聞きたくない。……思い出したくない。


「……っ、ぐ、ぁ」

「えっ、何?あっ、もしかして指摘したらダメなやつ!?分かった何も言わないから!デリケートなことだもんね!!ごめん!!」


 意識がぐらつく。目の前が霞む。足元に絡みついた黒い手が俺を引きずっ……あ


 ぷつん、と、何かが途絶えた。




 ***




「……ねぇ、これ、僕がやらかしたの?」


 足元に広がる惨状に、カミーユは呆然と呟いた。

 長年彼に取り憑いてきたボクとしては、カミーユのせいではないと思う。けど、死者というのは案外どこに地雷があるかわからないものだし気をつけた方がいいのも事実だ。

 ……いや、死者かどうかは関係ないか。


 目の前の相手はごぽりと血の塊を吐き出し、虚ろな視線を宙にさまよわせている。


「うわ……これはひどい……痛そう……」


 カミーユは同情しつつ、ちょっと感情移入して息がハァハァと荒くなってきている。

 一応長年の友人だが、今だけは全力で他人のフリをしたい。


「……と、とりあえず、この子から情報聞くのは難しそうだね」


 血の海に沈んだ軍服姿が、跡形もなく掻き消える。

 ……なんだろう、何か違和感があるが、まだ掴めない。


「いつまでぼさっとしてんの。探索続けるわよ。……僕の口で喋るのやめよう?結構恥ずかしいよこの状況……?」


 独り言のように会話しながら、立ち上がる。


「で、ここモントリオールだよね?」


 ん?いや、ボクには神奈川県に見えるんだが。

 懐かしい故郷の景色、という感じだね。いやはや、妹が毎回手紙に入れてくれた写真そのままだ。


「違うわよ。どう見てもパリじゃない」


 ……うーん、どうやら、解明すべき謎はたくさんあるようだ。参ったね!




 ***




 ここに来た理屈はわからないけれど、理由はわかる。……私はよく覚えている。


「の、える……?そこに……いる……?」


 壁に持たれたカミーユは、苦しげな声で私を呼び、ぐたりと項垂れた。


「せっかく一度きりの機会なのに……これじゃ、ね」


 死にゆくことが悔しいのか、それとも、ことが悔しいのか、私にはわからない。


「……ここに絵筆の1本でもあれば……」


 ぎりり、と、歯噛みをする音。


「ああ、このじわじわ死ぬ感覚って悪くない。物足りないけど悪くはないよ。けど、ここには何も無い。描けるものがない。……それに……それに、僕の腕が痺れてく。動かなくなる。嫌だ、それだけは嫌だ……!ノエル、僕に描かせて、僕から絵だけは奪わないで……!!!!」


 縋るように、親友は声を搾り、叫ぶ。

 慌てて外に出て行った男はまだ帰ってこない。……麻酔か何かを使おうとしたんでしょうけど、カミーユに使ってはいけない成分だったようね。

 ……ええ、貴方の絵は最高だもの。私だってまだ失いたくないわ。


 手足と、考える頭だけ保存して、まだ動くようにさえできれば

 それさえ無事なら……


 どろりと、私に染み付いた影が囁く。……かつて殺した者達が囁く。……と。


 ああ、本当にわからない。


「彼がまだ絵を描けるなら、その方がずっといいわ」


 私の足元から飛び出した影は、黒い霧のようにカミーユにまとわりついて……


「ぐ……ッ、ぁが……ッ」


 そのまま、首に齧り付いた。


 私はいいのよ、カミーユが生きてたって死んでたって。

 そんなの、別に関係ないもの。

 支えるって約束したんだから……私は、彼の望むようにしてあげるだけ。生死を問う必要だってないじゃない。


 彼は、とにかくんだから。


「は、ぁ……ぎ、ぁあぁあ……ッ」


 うっとりと悦に溺れる瞳が、口の端からダラダラと垂れる涎が、とにかく汚らしい。反吐が出るくらい気色悪い。

 どうせ、後で殺意でなく温情だったから云々って文句言うんでしょうし。

 ぼたぼたと、食いちぎれそうな首から血が溢れ出す。同じように、四肢を黒いナニカが覆っていく……そして、


 彼はその日、ようやく他殺はじめてを知った。

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