4. ある死者の追憶

 その日も雷雨が轟いていた。


 すっかり肉の腐り落ちた身体を掘り返され、そのまま棺桶に移されて、俺の屍は車で教会へと移動した。

 急な病に倒れて臥せっていた長男が命を落とした……と、大方そんなシナリオだったのだろう。プライドの高い父のことだ。真実はどうにか隠そうとしたに違いない。


 ……どのような最期だったかは、まだ思い出せない。


 父が買収したであろう教会は、俺の死体を神に仕えているとは思えないほど粗雑に扱った。既に半ばほど折れていた腰骨は無惨にも砕け、上半身と下半身が分かたれる羽目になった。


 棺桶の蓋は開けられないまま、葬儀に参列した家族の声を聞いていた。……泣き喚く少年の声に、聞き覚えがあった。


 未練もあったし、無念もあった。……それでも、身体は動かなかった。

 だが、観念して地中で眠りにつこうとした時、その声が届いたのだ。


 ──ロジャー、にいさん……


 それは、あまりにも苦しそうな慟哭だった。

 あまりにも悲痛に助けを求め、あまりにも懐かしい響きの、そんな声だった。




 ……そうだ、思い出した。

 今、俺を呼ぶ声も、あの雨の日と同じ……


「……ローか?」


 ローランド。……俺の、実の弟だ。


 パチリと、またピースが噛み合った。

 声を聞こうとして、意識を研ぎ澄ませる。深淵から響くような声に、耳を傾ける。


 ──痛い


 そして、気付いた。

 ……気付いてしまった。


 ──痛い、痛い痛い、痛い、痛い……痛い痛い痛い痛い痛い、いた、い……


 壊れたように、虚ろに同じ言葉ばかり繰り返す、無惨な姿に。

 ……いや、壊れたように、ではない。……おそらくもう、壊れて……


「……ッ」


 思い出そうとして、電流が走ったような「拒絶」を感じた。

 まだだ。まだ壊れていない。まだ、生きようとしている。……まだ、足掻いている。

 だからこそ、触れられたくないのだ。迂闊に触れれば、そこから崩れてしまう。……あいつはきっと、それを恐れている。


 だが、断片は手に入れた。……私がなぜこの世に留まっているか……その理由も、ぼんやりと掴み取れた。


 意識が再び過去に向かう。


 ──にい、さん


 俺は肉体が使い物にならず、相手は精神が壊れかけていた。

 ……だから、助け合ったのだ。どちらも1人では存在すらできなくなったからこそ、歯車はピタリと噛み合った。


 限られた者の隣でしか存在できない、いびつな存在となってなお……俺は過去に未練があり、あいつは未来に切望があった。


「ロー。苦しいだろうが、まだ耐えてくれ。私は諦めきれないのだよ」


 確かに、肯定された感覚があった。

 骨の肉体が新たな輪郭を纏っていく。……張りぼてのようなものだが、取り繕って人間らしい形を為していく。


 1歩、1歩と、歩を進める。見覚えのある光景を進むなか、徐々に霧が濃くなり……そして、ようやく人影を捉える。

 金髪の男が、青ざめた表情でこちらを見ていた。喉元から噴き出した鮮血が、真っ赤に白いシャツを染めあげている。……どう見ても、生きた人間ではない。


「……僕は間違ってない……」


 ふらふらとこちらに歩み寄りながら、男は俺達の肉体をすり抜け、またふらふらと歩き去っていった。……視線がどこを見ているのかもわからず、何を聞いているのかもわからない。

 あの希薄な存在感を見るに、消滅するのも時間の問題に思えた。……とはいえ、消滅と真っ当な死の違いはよく分からない。

 とにかく、先へ進もうと足を進める。何か、この場所に関する手がかりも見つけたい。




 ……そして、因縁が私を手招いた。


 立ち込めた霧の向こう、ヘーゼルの瞳が俺を射抜く。


「ロジャー」


 もし、運命というものがあるのなら、遥か遠い昔より私達は殺し殺される関係だったのだと、

 ……そう、感じざるを得ない。

 竹馬の友は、焼き尽くされた顔面を隠すことなくそこに立っていた。

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