その3

坂口くんが好きです。

そう、確かにそうでした。


数分前だったか、数時間前だったか。事を終えた後のベッドの上で、明日引っ越すのだと彼は言いました。そして、それがただの報告なんかではなくて、別れ話なのだと私は知っていました。

正直、そろそろではないかと思っていました。東京での就職が決まった彼は当然春からは東京に住むはずで、私達の関係もどんな形であれ変化があるだろうというのは前々から分かっていました。

例えば遠距離になるねとか、週末には会いに行くよとか、来年からはまた近くに住めるねとか。そういう話がいつか、いつかあるのではないかと期待してみたりとか。それがこんなもんか。私達の2年間は引っ越し日の報告で終わってしまう程度のものだったのでしょうか。


彼は東京で誰かを好きになるのでしょうか。誰かを好きになって、結婚して、子供が産まれて、食卓を囲んだりするのでしょうか。なんでそこにいるのが私じゃないのでしょう。

所詮学生時代の恋愛なんてそんなもんと言ってしまえば、確かにそうなのでしょう。その時楽しく過ごせていれば良いのでしょう。

でも、あの2人だけの25ヶ月は無かったことになってしまうのでしょうか。後に残るものなんて何も無いのでしょうか。

確かにあの時私は坂口くんが好きで、坂口くんが私を好きだったという証拠は、何か。

彼が私の書いた小説を好きだと言ってくれたこと、私はそれがとても嬉しかったこと。そんなことは世界中の誰にも知られず、そんな小さなことは私ですらいつか忘れてしまうのでしょうか。


そんなことを考えてても、涙一つ流せない自分が嫌になります。

こんな状況になっても尚、嫌な思いはさせたくないのです。物分かりの良い人間だと思われたいのです。

馬鹿なフリをして、遠回しな別れ話なんて理解しないという選択肢もあるのは分かっています。あるいは泣き落としてやることもできるはずです。

それでもそうしないのは、まだ好きだからでしょうか。それとも、私の中にも学生時代の恋愛なんて、という気持ちがどこかにあるからでしょうか。

今までのように、私もいつか他の誰かを好きになるのでしょう。その時に今の私の気持ちはどこに行ってしまうのでしょうか。

私の気持ちすら私の好きにはできないのでしょうか。


隣に寝ている背中に向かって声を掛けました。

今声をかけなければこの夜も無かったことになってしまう気がして。

「坂口くんが好きです」

彼は寝てるのか起きてるのか分からない声で「んー」と応えました。

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