坂口くんが好きです。
渡辺和希
その1
坂口くんが好きです。
そう書いた手紙を渡せないまま、また1日が終わってしまいました。今日も渡せなかった、でも明日がある、今日もダメだったけどまた明日、今日も勇気が出なかった。そんなことを繰り返している間に、明日は卒業式です。
6年間のおしまいが明日なのだと思うと不思議な気持ちです。
私の将来の夢は警察官になることです。だけど私のママは、私がお花屋さんになりたがってると思っています。多分幼稚園の頃にそう言ったんだと思います。なので本当は警察官になりたいけれど、お花屋さんになりたいフリをしています。
ある日教室で本を読んでいる坂口くんに声を掛けました。友達がみんなトイレに行ってしまいやることがなかっただけで、声を掛けたことに特に理由はありません。
「何読んでるの?」
確かそんなことを聞いたんだったと思います。坂口くんは、読んでいた本の表紙を見せながら探偵小説だと答えました。探偵と、相棒役の婦警さんが街の事件を解決していくのだ、と。
その時の坂口くんの声が思っていたよりもずっと低くて、私の耳に心地よく響きました。私は、不意に坂口くんに教えたくなって、将来の夢は警察官なのだと言いました。かっこいい婦警さんになりたいのだと。誰にも教えてない、ママですら知らない私の将来の夢です。
坂口くんは興味なさそうに「ふーん」と言い、また本を読み始めました。その反応も、私にとってとても心地が良く、満たされたような気持ちになりました。
家に帰ってから坂口くんに手紙を書きました。坂口くんにもっと私のことを知って欲しいと思いました。誰にも秘密にしてることも、全部全部坂口くんに教えたいと思いました。
一晩かけて書いて次の日に持ってきた手紙は、いざ坂口くんを前にするとなかなか渡すことができませんでした。
ついに卒業式の日、ちゃんと手紙は持ってきています。今日が最後のチャンス。今日こそちゃんと坂口くんに手紙を渡すのだと思っていました。
でもやっぱり坂口くんの前では緊張してしまいました。じっと固まったままの私を見て、坂口くんはあの心地の良い声で「じゃあね」と言いました。
私も笑って、「じゃあね」と手を振りました。
今日も手紙を渡せませんでした。
大丈夫、お別れじゃない。私達の済む地域には中学校が1つしかないので、春からも同じ学校のはずです。
大丈夫、春休みが明けたら今度こそ坂口くんに渡せる気がします。中学生になったら、大丈夫なように思えるのです。
その時は手紙だけじゃなくて、直接言えたら良いと思います。
「坂口くんが好きです」と。
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