第5話◆人でなしどもの薄暗い寝ぐら◆
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「クソがっ! クソッ、クソッ! あのアマふざけやがって!!」
アシンメトリーの髪型をした、体格の良い男がビールラックを強く蹴飛ばし、壁へと当たり跳ね返ってきたところを何度も何度も踏みつける。
青く着色されたプラスティック製のビールラックがひび割れ、ついに大きな音を立てて壊れた。
「ああっ! イライラする! おい、酒まだあるだろ!? 全部もってこい!」
激昂しながら男は振り返り、青ざめた顔でおろおろと佇む手下に強い口調で指示を出した。
「おお、お、落ち着いてくれリーダー」
「これが! 落ち着いて! いられるかよ!! たった一人の女相手になんてザマだ! クソッ、クソがっ!!」
手下に宥められても、リーダーと呼ばれた彼の機嫌は一向に治る気配が無い。
彼らが居るのは、廃墟となった飲食店の座敷席だ。
テーブル席でうなだれるのは、腕や肩や足に怪我を負っている若い男が呻いている。
「いつまで情けねぇ声だしてんだ! テメェらもテメェらだ! クソの役にも立たねえ! ああ、どいつもこいつも人をイラつかせやがって!!」
今の東京にブリーチなど探しても見つからないので根元が黒く染まっているが、髪の先に行けば行くほど鮮やかな金色になっている。
「何でっ! 俺がっ! あんな女なんぞにコケにされなきゃならねぇんだ! おい!」
「ヒイッ!!」
強く床を踏みながら手下に歩み寄り、その胸ぐらを掴んで持ち上げる。
手下は涙目で怯え、反射的に両手を上げて顔を守った。
「し、仕方ねえよリーダー……あの女めちゃくちゃ強かったんだぜ?」
「あ、ああ。アレはきっとレベル10ぐらいあるよ」
「この中で一番レベルが高いリーダーですら4なんだぜ? 無理だよ勝てねぇよ」
テーブル席の男達が、思い思いの言い訳を口にする。
何もかもが変わり果てた今の東京では、例えどんなに鍛えていても筋肉や体格など飾りでしか無い。
全てはレベルに依存した、目に見えない
化物との戦闘を極力避け、
「クソッ! おい、お前の『冒険の書』を見せろ」
「は、はいっ! 『
未だ胸ぐらを掴まれ、壁に追いやられて持ち上げられていた男が掌を差し出して何かを唱えた。
青白い発光を伴って掌の上に現れたのは、文庫サイズの黒い本。
掌の上数センチを、フヨフヨと浮いている。
黒革の装丁の表紙には、金色の刺繍で『冒険の書』とだけ書かれている。
ページ数はおよそ100枚程。
リーダーは男の胸ぐらから手を離し、乱暴にその本を取って表紙を開いた。
1ページ目に表示されていたのは、男の氏名と年齢と性別。体重や身長などの情報だ。
『佐藤ヒロキ 24歳 男』
『165㎝ 79kg』
目当ての情報じゃなかったのか、リーダーは雑に次のページへと指を動かす。
2ページ目に記載されているのは、レベル数と就いている
その下に佐藤ヒロキという男がこれまで倒してきた
『レベル2 職業
『ゲル・スライム・・・・十八匹 』
『モヒカン・フロッグ・・・・七匹』
「…………討伐数二十五匹。ほとんどゲルスライムじゃねぇか」
「だっ、だって」
男は若干痛む胸をさすりながら言い淀む。
勝てないのだ。
見た目も行動も醜悪なあの生物どもに、勝てる気が全くしないのだ。
ゲル・スライムもモヒカン・フロッグも、まだ彼が『
当時住んでいたコミュニティの若い男三人と一緒にパーティーを組んで、死ぬ思いで戦ってどうにかこうにか倒せた。
彼こと佐藤ヒロキの心はその時に折れた。
これから何十年と、彼が死ぬまでこの
無理だ。
やっていけるはずが無い。
いずれ自分は惨たらしく、この
アヤノやヨウコの暮らしている
『終末週間』。
あの恐ろしい七日間が過ぎて間もない頃は、スーパーやコンビニやデパート、果ては食品加工工場などに残った食料を皆で分け合い、缶詰や生の冷凍食品などを食べてしのいでいた。
だがそれも保っては半年弱だった。
地面が隆起し、分断され、大きな湖や森すら突如として現れた今の東京では、となりの
その区にある保存食が尽きても、他の区に出向いて探すことなど不可能に近い。
だから彼は『奪う側』に回った。
そう、考えついてしまったのだ。
「これじゃ次のレベルに上がるのに、どれだけかかるかわかんねぇ。他の奴らも似たようなもんだ。クソッ」
リーダーはパラパラと本のページをめくり、目を滑らせる。
使用できるスキルや魔法。
体調状態などが記載されているが、身体データのような数字は1文字も見当たらない。
この『冒険の書』と呼ばれた本には、三年前のあの日から今までの彼の《結果》が書かれている。
だがゲームなどでよく見る身体データのような数字はどこにも無い。
レトロRPGで言うところの【HP】・【MP】・【ちから】・【すばやさ】・【ぼうぎょ】などの数字的ステータス。
それらはこの『冒険の書』に記載されず、本人の感覚によって察するしか方法がないのだ。
この世界はゲームのようになってしまったのに、変なところだけリアルだ。
どういう理屈でこの本が書かれているのかは誰にも分からない。
だがいつのまにか『
例えば、『剣』を所持していても『
誰かが言っていた。
【経験値】は肉体ではなく、『剣』に蓄積されているのでは無いか。
だから強くなったのは人間ではなく、人間を強化させている『剣』の方だ、と。
「り、リーダーはどうやってそこまでレベルを上げれたんだよ」
テーブル席でリーダーの威勢に縮こまる手下の一人が、ボソリと呟いた。
「オレか? オレはただ人を殺してきただけだ。
「はぁ!?」
「人間殺してもレベルアップすんの!?」
手下どもがざわざわと騒ぎ出す。
「ああ、
知らなかった事実だ。
「ま、まじか……」
「んじゃ、俺らだってもしかしたら……」
有無を言わさず突然襲いかかる
前に襲撃したコミュニティなどは、中々の高レベルな人間が複数いたが、避難民を装って内部に入り込んだ盗賊メンバーが寝込みを襲う事で略奪と陵辱を行う事が出来た。
あの時ほとんどの人間を殺したのはリーダーだ。
手下どもはほとんど女を襲う事に夢中で、戦闘らしい戦闘などしていなかった。
「だからあん時、リーダーは逃げる子供とかもわざわざ追いかけて殺してたのか……」
「ああ、ガキとは言え貴重な経験値だからな。お前らと違って俺はしっかりしてんだよ。時々そいつが持ってるスキルオーブが手に入ったりするから、場合によってはレベル上げよか旨味がある」
「ずりぃ……」
この中でリーダーの『冒険の書』を見た者は一人もいない。
用心深いこの男は、手下とは言え誰一人信用などしていなかったからだ。
リーダーの持つ『剣』は、見た目こそ手下どもと同じありふれた西洋剣のように見えるが、実際は違う。
『血濡れの剣・ブラッド・フラッド』という、人間を攻撃する事に特化した呪われた『剣』である。
この剣で切られた傷はその名の通り、例えどんな小さな傷でも尋常じゃない量の出血を伴う。
リーダーの
彼らは元々、それぞれ違うコミュニティに属していた。
それがこうして盗賊団のような組織になっていったのは、リーダーの存在があったからだ。
一人一人の抱えている不満や不安を暴き出し、言葉巧みにかどわかし、そして引き入れた。
自分と一緒に、好きにやろう。
飯も女も、家族ごっこしていては手に入らない。
どうせこの世はもう地獄だ。
なら好きにやろう。
どうせ俺たちは、いづれ惨めに死ぬだろう。
どうせ死ぬなら、死ぬまで欲望に忠実に生きても構わない。
そうして一人、また一人と増えていき、気がつけば全部で十六名。
人でなしで殺人者。
強盗・強姦・リンチに拷問。
人が人として唾棄すべき事を、彼らは好んで行ってきた。
繰り返し言うが、彼らはリーダーの『冒険の書』を見た者は一人も居ない。
彼の『冒険の書』にある、『カリスマ:C』と『説得:C』、そして『悪逆』の文字を見た者は一人もいない。
それらの
「戻ったぜ」
「おう、どうだった?」
居酒屋の小さな鐘付きのドアが、乱暴に開く。
この場に居なかった彼はリーダーの右腕。
かつては中野を根城とするギャング集団に属していた幼馴染である。
やはり彼もとある
その特殊なスキルを用いて月曜の日中、つまり普段より数倍強い
「やっぱ、六人とも死んでたな。死体は
「ちっ、戻ってこねぇからおかしいと思ってたんだ。あの女とガキとおっさんは? まだあの辺りに居たか?」
「いや、居なかった。俺らが殺した奴らが埋葬されてたから、三人とも生きてると思うぜ? たった二時間程度で終わらせられる作業じゃねぇから、ほかにも居たのかもな」
それを聞いて、リーダーの怒りがまたフツフツと湧き上がる。
今まで、全部したいように出来た。
気に食わない奴は殺して、良い女は犯して、奪いたいアイテムは全部奪ってきた。
東京が今の姿になる前。
元々、彼は素行の悪い集団ですら敬遠する程のアウトローだった。
暴力を信奉し、暴力に心酔し、暴力によって支配してきた男だ。
脅して、殴って、ねじ伏せて、そうやって生きてきた彼にとって、今の東京は天国に見えた。
それが今日、崩壊した。
「許さねぇぞあのクソ女……」
メキメキと音を立てて、リーダーの拳が握られる。
それは筋肉が張り詰めていく音なのか、それとも『剣』によって強化されたリーダーの何らかの超常の力なのか。
「ただ殺すだけじゃ済まねぇからな……泣くまで犯して、泣いても犯して、悲鳴が枯れるまで犯して、精神ぶっ壊れるまで犯して犯して犯して犯して、そっからバラバラにしてやる……」
体から漏れ出す悪意と殺意に、手下どもの身体が小刻みに震えだす。
やはり、この男には逆らえない。
関わった時点で、出会った時点で、自分たちはこの男の支配下にあるのだと、理解した。
それは畏怖を伴った畏敬。
恐怖によって縛られた、彼らの忠誠。
座敷席の奥に立てかけられていたリーダーの『剣』が、ドス黒く発光していくのを、この時の彼らは見過ごしていた。
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