第4話 リリィ
数年前に、ショウはカリンに、リリィをいずれは第一夫人に迎えたいと伝えていた。
「リリィが第一夫人を目指しているとは知っていたが……」
ショウもレティシィアやメリッサが自分の元を去って行く時を想像して、カリンに悪いことをしているような気持ちになった。しかし、カリンが心配していたのは、そのような女々しい事ではなかった。
「リリィは確かに賢いし、ラシンドの第一夫人や、私の第一夫人のラビータに色々と学んでいるようだ。しかし、お前の後宮を取り仕切るのは大変だ。それに、リリィは大商人の屋敷で育ったが、王族ではないから、もう少しラビータにしきたりを教えて貰った方が良いと思う」
ラビータは、カジムの夫人として、王族の習慣やしきたりを学んでいたので、リリィに暇を見つけては教えていた。
カリンは気性のさっぱりしたリリィが好きだったが、何人もの妻達に悩まされていたので、第一夫人になりたいのなら仕方が無いと割り切った。それにリリィの産んだ息子達は賢くて、武芸にも秀でていたので、十歳になったら士官候補生として軍艦に乗せるつもりだった。
ショウは、カリンがレイテに帰って来るのを待って、正式にリリィを第一夫人として後宮に迎えた。
離宮の後宮の入口にリリィの部屋を増設し、どの夫人とも交流できるように庭の道を付けなおした。
リリィは嫁ぐ前から、第一夫人を目指すレティシィアや、パロマ大学に留学中のメリッサとは、手紙のやり取りをして、商船隊の運営などを話し合っていた。
幼い王女達の教育や、妊娠中のロジーナの世話も、リリィがしてくれるので、ショウはとても気が楽になった。
しかし、リリィが少し面食らったこともある。ショウがサンズの絆の竜騎士であるとは知っていたが、離宮の後宮には子竜達が常にいることだ。
「ヴェルヌやメールも大きいですが、ルディやスローンはもう大人とほぼ大きさも変わらないのでは?」
スローンはパメラとちょくちょく姪達と遊びに来るのだが、そろそろ追いかけっこをするには成長し過ぎていた。
「パメラにも竜騎士としての修行をさせたいのだけど……父上はどう考えておられるのやら……」
エリカはイルバニア王国のウィリアム王子と結婚するので、リューデンハイムで竜騎士としての修行をしていたし、ミミは寮で付き添いを兼ねて修行していた。
「ミミ様はこの夏に見習い竜騎士の試験を受けられるのですよね。本当ならレイテに帰って、後宮に入るのでしょうが……」
エリカがリューデンハイムの寮にテレーズ王女と二人になるのは困ると、ショウとリリィは溜め息をつく。
「パメラはシーガルと婚約しているけど、未だ結婚できる年齢では無いし……エリカとリューデンハイムで修行したら、本人の為にもなるのだけれど」
リリィはパメラがリューデンハイムに行くのは嫌がるだろうと思った。
「レオポルド王子は未だ婚約者はいらっしゃらないのですわね」
ショウは十六歳のレオポルドと、十二歳のパメラなら、婚姻の話がまた持ち上がるかもしれないと首を横に振った。
「エリカは早く見習い竜騎士になりたいと凄く頑張っているから、来年には寮の外出も許可されるだろう。だから、ミミとは結婚を延ばしたかったのだけど……」
ミミが真っ赤になって怒るのが目に浮かび、ショウは肩を竦める。リリィはショウの第一夫人になる為に、経済的な勉強は勿論、王族のしきたりなども学んで準備をして嫁いで来たが、竜騎士についての知識は不足していた。
「ショウ様は、レイテにも大学と竜騎士の育成学校を作りたいと話しておられましたね。大学は私も理解できるのですが、竜騎士の育成学校とはどのような物なのでしょう。それと、東南諸島連合王国で女性の竜騎士の立場はどうなるのでしょう? ショウ様は進歩的な考えをお持ちですから、メリッサ様やミミ様が竜で飛びまわっても平気でしょうが……」
パメラがシーガルに嫁いだらと、リリィは言葉を濁した。それだけでなく、どうやらアイーシャやレイラも竜と仲良く遊んでいる様子を見ると、将来は竜騎士になるのではとリリィは感じたのだ。
「シーガルはパメラがスローンと飛び回っても気にしないだろうが……この件は、父上と相談しなくてはいけないな」
ショウとリリィは色々な事を話し合った。
「レティシィア様とメリッサ様は、第一夫人を目指しています。ショウ様、今度イルバニア王国を訪問される時に、レティシィア様を伴って下さいませんか? 彼女はとても賢い女性ですが、外国に出たことがありません。他の人に嫁げば、外国を訪問する機会も無いでしょうから」
ショウがレティシィアが他の人に嫁ぐという言葉だけで寂しそうな顔をするので、リリィはくすくす笑った。
「レティシィア様の嫁ぎ先を見つけるのも、第一夫人としての私の仕事です。でも、あの美貌と色気では、当分は第一夫人は無理ですわ。ショウ様の後宮にいる間に、見聞を広めてさし上げたいのです」
ショウはそう言うリリィも、外国を実際に訪問していないのだと気づいた。
「父上もミヤを外国に連れて行こうと、何度も誘っておられたなぁ。リリィ、貴女は私の人生のパートナーなのだから、私の知っている世界を見て欲しい」
リリィは後宮に慣れるまではと断ったが、ミヤを連れ出すのに父上が何年掛かったか知っているショウは首を横に振った。
「ユングフラウ大学の視察と、リューデンハイムで大使館付きの竜騎士を修行させて貰う許可を、グレゴリウス国王に得る為に行くのです。リリィ、一緒に行きましょう!」
リリィは目を丸くして、ショウの言葉に頷いた。
「レティシィア様の次に連れて行って頂きますわ。だって、ミミ様との結婚式に、レティシィア様を連れて行く訳にはいけませんでしょ」
ショウは、確かに! と頭をかいた。ミミと結婚する時に、リリィがいても邪魔にはならないが、レティシィアと鉢合わせは拙いだろうと、想像しただけで冷や汗がでる。
「こういったスケジュールの管理も、リリィに任せます。外交に誰を連れて行くかも、毎回、頭が痛いのです」
今までの王と違ったタイプになりそうなショウに、リリィは経済だけでなく、外交なども勉強しなおさなければと、気を引き締める。
「やりがいがあるけど、責任も重大だわ! でも、先ずは各夫人の性格を把握しなくてはね。後宮で諍いがあっては、ショウ様が寛げないもの」
レティシィアとは何回か手紙でやり取りしているし、ララはカリンの第一夫人ラビータの娘なので話は聞いている。やはり、ロジーナのフォローから始めようとリリィは考えた。
妊娠初期のロジーナは悪阻に苦しんでいたので、リリィは自分の経験から冷たいサッパリとした物を勧めたり、出産の不安を和らげてやる。
「ロジーナ様は、今は御自分の健康だけを考えて下さい」
リリィに優しく諭されると、ロジーナもその通りだと納得するのだが、やはり嫉妬心は抑えられない。
「ショウ様は、もうすぐエスメラルダとも結婚されるし、夏にはミミと……私のお腹はどんどん大きくなるのに、ミミに取られてしまうわ」
リリィは、ロジーナが遠距離結婚のエスメラルダよりも、ララの妹ミミにライバル心を持っているのに気づいた。
ロジーナがララはショウの子供の頃からの許嫁だったから、手強いライバルだと考えるのは理解できるけど、何故ミミにそこまでと、リリィは変だと思う。
年を取った夫人が年下の夫人に脅威を感じるのはよくある事だが、ロジーナは未だ若い。お互いに王家の姫君として育ったロジーナとミミには、何か確執の原因が有るのでは? とリリィは感じた。
「エリカ王女が見習い竜騎士になるまでは、ミミ様もリューデンハイムに残られるから、ロジーナ様と後宮で過ごすわけではないけど、このままでは1年後は大変な事になるわ!」
帰国するミミ、メリッサに加えて、ローラン王国のミーシャ姫が後宮に嫁いでくるのだと考えると、リリィは第一夫人として平和に保つ難しさに武者震いした。
「ミミ様とロジーナ様の確執の原因を突き止めて、仲良くとまではいかなくても、ツンケンするようなことは避けなくては! それと、ミーシャ姫には結婚前に後宮の説明をしておきたいわ。レイテの大使館に、少し早めに来て下さると良いのだけど……」
ルドルフ国王の庶子として育ったミーシャは、控え目な性格だと聞いてはいたが、一夫多妻制には免疫がないだろうとリリィは案じていた。
「この件も、ミヤ様に相談してみましょう。本当ならショウ様にはもっと夫人が送り込まれている筈なのに、ミヤ様が止めて下さっているに違いないわ。ショウ様は夫人を増やしたくないと仰っているから、私はその意志を守って差し上げたいけど……ラインを引かなくてはね」
アスラン王の夫人と比べるまでもなく、ショウの夫人は少なかった。ミヤが苦労して止めてくれていたが、自分が第一夫人になったのだから、此方に申し込みが殺到するのは目に見えていた。
リリィはどうしても断れない縁談はどれなのかを、ミヤと相談をしに行った。後宮に嫁いだばかりのリリィには、ゆっくりとしている暇は一瞬たりともなかった。
夜になり、ショウがロジーナのご機嫌を取ろうと、一緒に夕食を食べている頃、やっとリリィは一息ついて、お茶を飲みながら、残してきた我が子を思い浮かべた。
「ラビータ様が育てて下さるから、大丈夫だとはわかっているけど……軍人は心配だわ……」
カリンに嫁いで、男の子を産んだのだから軍人になるのは仕方ないのだが、やはり商人の家で育ったリリィは少し抵抗を感じていた。しかし、二人とも父上の軍艦に乗りたい! と幼い時からレイテにカリンが帰艦する度に強請っていたので、諦めるしかなかった。
「東南諸島の男は、船に目が無いのよ! 父上も船馬鹿だったし、カリン様も軍艦馬鹿だわ! 息子達も軍艦馬鹿になったのは、血だから仕方ないわね……でも、ショウ様は竜馬鹿なのかしら? 竜について、もっと勉強しなければ……」
ミヤに貰った香りの良いお茶を楽しみながら、息子のことを考えていた筈なのに、矢張り第一夫人初心者のリリィは遣るべきことが頭に次々と浮かんでくるのだ。
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