第2話 ピップスの喜び

「ショウ様に命を助けて貰ってから、何年になるかなぁ」


 ピップスは新婚一年にもならないのに、ユアンを家に置いたままシリンの側で夜を過ごしている。勿論、ユアンと喧嘩をしたのではない。シリンが卵を今夜産みそうなので、王宮の竜舍に泊まり込んでいるのだ。


 レイテの高級住宅街にこじんまりとした屋敷を買い求め、そこに立派な竜舍も造っていたが、卵を保護するには王宮の竜舍の方が良いだろうと考えたのだ。


 ピップスは、ショウと共に探索航海に参加した報奨金や、側近としての給金があるので、本当はもっと大きな屋敷も買えたのだが、必要ないとユアンと話し合って決めたのだ。


 交尾飛行の後で、ユアンはもしかしたら……と頬を染めてピップスに赤ちゃんが出来たかもと告げていた。妊娠したかもしれない微妙な時期だが、今はシリンに付いていて遣りたいとユアンに許可を貰った。


「屋敷には召使いや、護衛もいます。私のことは心配しなくても大丈夫よ」


 ゴルザ村では竜を尊ぶ習慣があったので、ユアンはシリンが卵を産むのを楽しみにしていた。


 ピップスはシリンに寄り添って、ショウに助けられてからの日々を思い返す。シリンもピップスと共に何度も航海したと、感慨深そうに溜め息をついた。


『私たちの他にも、帝国から逃れた同胞がいたとはなぁ。彼等と会えたのは驚いた』


 ピップスはシリンがイズマル島やウォンビン島に逃れた人々を、懐かしそうに話すのに頷いた。


 ゴルザ村はシリンがピップスと飛び去ってからは、周りの村との交流も頻繁になり、それはそれで良いとは思ったが、帰省した時に少し寂しく感じたのだ。


 竜を怖がる外の村から嫁いで来た人達を見て、ピップスは前のゴルザ村では無くなったと疎外感を感じたが、ユアンはシリンが元気そうだと喜んでくれた。それで恋に落ちたわけではないが、絆を結んだシリンを嫌がる相手とは結婚できなかったのも確かだ。


 ピップスにはショウへの恩義だけでなく、東南諸島連合王国への忠義心も海軍で士官候補生をしている間に持つようになっていたが、自分には一夫多妻制は無理だとも感じていた。


 ショウの苦労を間近に見ていたからかもしれない。王太子の側近として、仕事にはやりがいも感じていたが、名家の令嬢を嫁に貰う気持ちにはなれなかった。


 寒村育ちのユアンが賑やかなレイテに馴染めるか心配したけど、ショウがラシンドに頼んで手配した召使い達は信頼できる者達で、慣れぬ奥方にも親切にしてくれた。


 ピップスとシリンは今までのことをお互いに話し合いながら、卵を産む時を待っていた。


「ピップス、産まれたかい?」


 ショウが竜舍の外から声を掛けた。竜が卵を産む時は神経質になると、サンズの時に経験済みだからだ。


「まだ、産まれそうにありません。シリンは明け方になると言ってます」


 ショウはピップスに簡単に食べられる差し入れを渡すと、自分の後宮へと帰った。ロジーナは懐妊したか微妙な時期で、少しナーバスになっていたし、ララも落ち込んでいたので、ショウはフォローに忙しいのだ。


 ピップスは差し入れをありがたく食べながら、やっぱりユアンと結婚して良かったとホッとする。ユアンと結婚してからも、縁談を持ち込まれたが、ゴルザ村は一夫一妻制なのでと断っていたのだ。


 ショウの側近として、公平な立場を守りたいという理由もあるが、やはり複数の夫人に気を使うのはしんどいというのが本音だ。


 縁談の中には莫大な持参金を付けるとの申し出もあったが、ピップスはお金には興味が無かった。


『ゴルザ村で死んでいたかもしれない自分だ。ユアンと子供が食べていければ十分だよ』


 シリンは欲の無いピップスと、絆を結べて幸せだと頷いた。



 夜明け前、シリンはそろそろ産まれると、うとうとしているピップスを起こした。


『ごめん、少し寝ていたね』


『大丈夫だ……でも、少し離れていた方が良い』


 ピップスはシリンに寄りかかって眠っていたので、立ち上がって壁際に移動する。


『大丈夫かい?』


 心配そうなピップスに、シリンはもうすぐだと答えると、立ち上がって大きく息を吸い込んだ。


『ふうぅ~う』といきむと、ころころッと卵が厚めに敷いてある寝藁の上に転がり出た。


『シリン! 卵が産まれたよ!』


 シリンも満足そうに、大きなため息をついた。そして、卵を温める為に、よっこらせと卵の上に座る。


『何か食べ物を持って来るよ!』


 ピップスが竜舍の外に出たら、サンズが山羊をどすんと前に置いた。


『シリンはこれから二週間は、卵の側を一瞬も離れないから、ピップスが世話をしてね。雛が孵るまでは、とても心配なんだよ。ピップス、付き添ってあげてね』


 サンズには親竜のメリルが付き添ってくれたので、ショウを仕事や妻達の元に行かせたが、シリンには親竜はいない。


『わかったよ! シリンの子竜が孵るまでは、ずっと側にいるよ』


 ずっしりと重い山羊を抱えて竜舍に入るピップスを、満足そうにサンズは眺めた。シリンには幸せになって欲しいと、サンズは前から考えていたので、子竜が孵るまで協力するつもりだ。


『無事に孵って欲しいなぁ』


 竜は本来は自分が産んだ子竜にしか母性本能は働かせないが、サンズはシリンの産んだ子竜にも愛情を感じる。サンズも竜舍の前で見張りをしようと、座り込んだ。



『シリン、おめでとう! 勿論、ピップスは孵るまで付き添って良いよ』


 ショウはピップスにシリンに付き添う間は、側近の仕事を休む許可を出した。


 自分の時も、もっとサンズに付き添ってやりたかったなぁとボヤく。


『今度、産む時はお願いするかもね』


 ショウは今度って……どの竜と交尾飛行するつもりなんだろうと、どぎまぎする。


『エスメのルカは……』


 女性竜騎士は夫以外の騎竜と交尾飛行をするのは拙いので、ルカに子竜を持たせてやりたいとショウは考えていた。


『わかってるよ~! でも、ヴェルヌもメールも手が離れたから……誰か良い相手が居ないかなぁ』


 ショウは、子竜を欲しがるサンズに少し呆れた。東南諸島の騎竜を思い浮かべて、マリオンは拙いだろうと首を横に振った。


『マリオンは良い竜だよ~! でも、マリオンは他の竜と交尾飛行するつもりなんだって。ルディの弟を産むと張り切っていたよ』


 ショウはマリオンは誰の騎竜と交尾飛行するんだろうと首を捻る。


『ほら、居るだろう! 今はウォンビン島の村長代理になってるパトリックの騎竜のペリーだよ』


 ああ~とショウは思い出したが、ペリーはまだ子竜を産んでないから、欲しがるのではと首を傾げる。


『ううん、もう、鈍いなぁ! ヘインズの騎竜モリーに、マリオンが子竜を産ませて、マリオンはパトリックの騎竜ペリーの子竜を産むんだよ。ペリーには私が子竜をあげる約束なんだ』


 お盛んな竜達の交尾計画に、ショウはくらくらする。


『ウォンビン島や、メッシーナ村には竜騎士の素質を持つ子供達が多いんだ。竜不足になりそうだから、子竜をじゃんじゃん産まないといけないんだよ。私も子竜がもっと欲しいのに、交尾飛行で協力するばっかりなんだ……』


 子どもがいない限界集落に近かったメッシーナ村には、この数年で赤ちゃんが次々に産まれていた。緑の魔力を持つエスメラルダに、ユーリ王妃が使っていた子どもを授かる呪いをショウが教えたのだ。


「イルバニア王国のユーリ王妃はキャベツ畑を二年ごとに作って、沢山の赤ちゃんを授けたんだ。確か、三十個のキャベツを植えるんだ。満月か、半月か、新月に、夫婦でキャベツを採って、スープにして飲むんだよ……ええっと、その後はもちろん……」


 未婚のエスメラルダに夫婦関係のことを説明するのは、少し照れ臭かったが、ポッと頬を染めたので理解したのだと察した。


「そんな便利な呪いが、此方には伝わっていなかったなんて……」


 エスメラルダは、早速キャベツ畑を作って試した。ウォンビン島の若者とメッシーナ村の娘をお見合いさせたら、何組もが結婚したので、キャベツ畑の呪いで何人もの赤ちゃんが産まれた。


 前からの夫婦も幾組か試して、赤ちゃんを授かったが、なんとエスメラルダの両親にも赤ちゃんが産まれた。エスメラルダは、幼い妹アレキサンドラに夢中になった。


「ずっと一人っ子なのが寂しかったの! それにアレキサンドラは緑の魔力持ちだから、巫女姫を継いで貰えるわ」 


 キャベツ畑の呪いで産まれた赤ちゃん達には、竜騎士の素質がある者も多いので、竜達は子竜作りに熱中しているのかもしれない。


 ショウもエスメラルダに妹が産まれて、ホッとしている。今は巫女姫としてメッシーナ村を離れられないのは仕方ないが、できたら子供はレイテで一緒に育てたいと思っていたからだ。エスメラルダとは今年の春の祭りの後に結婚する予定だが、アレキサンドラが成長するまでは遠距離結婚になる。結婚したら、ルカとサンズは交尾飛行をする約束だ。


「サンズ、凄くモテモテだね~」


 ウィリアムがエリカとサンズの産んだ双子の竜に会いに来た時も、自分の騎竜とも交尾飛行をして欲しいと頼まれていたのだ。


 ショウは交尾飛行の時の気まずさは苦手だけど、竜馬鹿なのと、それを利用して子供を得ているから、仕方ないと受け入れている。


『レティシィアとは違うのになぁ……』


 何となくサンズに子造りも手伝って貰ってるようで、少し情けない気分になる。


『ロジーナにも、赤ちゃんができたんだろ?』


 ショウのぼやきを、サンズは笑った。


『私はヴェルヌとメールだけなのに、ショウはアイーシャとレイラと、もう一人子供ができるんだね。でも、ショウは産まないのが不思議だよね』


 シリンの側であれこれ世話をやいているのに、その子竜は自分の子竜には数えないのだとショウは不思議に思う。


『私が子供を産んだら、全人類が驚くよ! 人間は女しか子供を産めないんだ。サンズは自分が産んだ子竜しか認めないの?』


『シリンの子竜にも愛情は感じるけど、それはシリンが好きだからだと思う。多分、ずっと孤独に過ごしてきたんだよ。私が若い時にショウに出会えたのは、凄くラッキーな事だと、シリンと知り合って思ったんだ』


 なる程ねぇと、ショウは竜舍の前から離れないサンズの行動が腑に落ちた。竜は基本的に交尾飛行の時にしか、相手に興味を持たないが、サンズはシリンを尊敬しているのだと頷く。



 ピップスにシリンの世話を任せて、ショウはバルディシュと仕事に励む。


「パロマ大学だけでなく、ユングフラウ大学や、ケイロン大学からも協力してくれる教授を招聘したいと考えているのです」


 レイテ大学の創立に向けて、サリームに協力をお願いしたり、旧帝国三国の大使館付きの竜騎士をそれぞれの竜騎士育成学校で修行させて貰えるように交渉したりと、ショウは忙しい。


「やはり直接頼みに行った方が良いかも……」


 竜騎士の育成学校には、バッカス外務大臣以外はあまり興味を持ってくれない。


「竜騎士育成は旧帝国三国にとって重要だから、各国王に頼む必要がありそうね。大学にもサリーム王子だけでなく、ショウ王太子が足を運んだ方が良いと思いますわ。サリーム王子は文学や歴史や法律などはお詳しいですが、新しい分野の研究とかはあまり興味を持ってられないのでは?」


 それはショウも感じていたので、行きたいと思うが、スケジュールの調整が難しいと、バッカス外務大臣と色々と考える。


『ショウ! 卵が孵るよ!』


 サンズの言葉で、ショウは竜舍に走っていく。


「あらあら、ショウ様ったらサンズの卵でもないのに、竜馬鹿ねぇ~」



 竜舍ではシリンとピップスが揺れだした卵の中からの、コツコツという音に、頑張れ! と激励していた。


 シリンは自分が高齢なので、卵から孵る力が無いのではと、温めながら心配していたので、コツコツと力強い音に少し安堵していた。


『パック! 頑張るんだよ!』


 ピップスが孵る前から、パックと名付けているんだと驚いているうちに、卵のてっぺんからヒビが入った。


『パック、もう少しだ! 頑張れ!』


 竜舍の外で飼育係はミンチにした肉の入ったボールを持って、うろうろしていた。駆けつけたショウが、孵ったのか? とサンズに尋ねていると、中からシリンとピップスの歓声が聞こえた。


『お前はパックだよ』


『シリン! おめでとう』


 雛竜でも丈夫なので、サンズとショウは竜舍に入って、シリンとピップスを祝福する。


 濡れたパックはぴすぴすと、空腹をシリンに訴える。飼育係が差し出したボールに顔ごと突っ込んで、パックが勢いよく食べているのを、全員がうっとりと眺めた。


『孵ったばかりなのに、よく食べるねぇ』


 ショウは人間の赤ちゃんはおっぱいしか飲まないのに、ミンチとはいえボールに山盛りを食べているのに呆れる。


 竜達から二週間も卵の中で空腹だったんだよ! と抗議の声があがった。


「卵の中で栄養をとる筈だけど……」


 パックが食べ終わると、シリンはお尻を舐めてやり、排便も無事に終わった。うとうとしているパックをシリンは舐めて、きれいにしていく。


『シリン、私がパックを見ているから、食事をしておいで』


 サンズは卵が無事に孵るのか心配で、シリンが余り食べてなかったのを知っていた。


『サンズ、ありがとう!』


 シリンとピップスが竜の餌場にいる間、すやすやと眠るパックをサンズとショウは見守った。


『雛竜って可愛いねぇ』


 うっとりとしていたショウは、サンズが子竜が欲しいと言ってたなぁと思い出したが、当分は協力ばかりだと溜め息をついた。


『そうだ! ピップスも家に帰さなきゃ、ユアンが一人で寂しがってるね』


 二週間、竜舍に詰めっきりだったピップスを、シリンはもう大丈夫だからと追い返した。


 久しぶりに帰宅したピップスはユアンから、妊娠したのと告げられて、抱きしめて喜んだ。


「ごめんね、ユアンを一人っきりにしてて」


 ユアンは留守中にラシンドの第一夫人のハーミヤ様や、リリィ様が何度も訪問して下さったのと伝えた。ピップスは、ショウ様が気遣ってくれたのだと感謝した。

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