第20話 新婚旅行

 まだ夜明け前、そっと点けた蝋燭の灯りがララの顔を浮かびあがらせるのを、ショウは愛しそうに眺めた。


「おはよう、ララ。もっと寝させてあげたいけど、このままゆっくりしていたら新婚旅行に行けなくなっちゃうよ」


 寝乱れた髪を掻き分けて、ララの頬にキスをして起こす。ララは昨夜を思い出してポッと頬を染めたが、ショウと二人で新婚旅行に行く計画だったと準備する。


「侍女を連れていかなくても大丈夫? 用意した屋敷には、下女はいるけど……」


 お姫様として生まれ育ったララは、常に侍女に世話をしてもらっていたが、新婚旅行はショウ様と二人っきりで過ごしたいと思った。


「大丈夫よ、それに秘密の新婚旅行ですもの」


 まだ朝早いので、離宮に勤める侍女や女官達も起き出していない。二人はソッと服を着ると、竜舎へと向かう。


『サンズ、起きて』


 ショウはサンズに鞍を付けると、二人の荷物を後ろにくくりつけた。


「ララ、さぁ行こう!」


 ララとショウは、サンズと新婚旅行へ旅立った。




『アスラン、サンズが出かけたよ』


 昨夜は娘を嫁がせたカジムの屋敷で、自棄酒に付き合わされたアスランは、メリルの声で目覚めた。


『なんで止めなかったのだ! 痛っ……カジム兄上の愚痴を聞かされて、悪酔いしたぞ……』 


 アスランは珍しく二日酔いで、頭痛に眉を顰める。


『ショウは何処へ行ったのだ……新婚旅行なんて千年早い!』


 確かに東南諸島に新婚旅行の風習はないが、自分の日頃の行いを省みないアスランに、騎竜のメリルも呆れる。


『さぁね、サンズは何も言ってなかったよ』


 自分の怒鳴り声さえ頭に響いて、アスランは不貞寝しようとしたが、寝室の扉が無情にも開けられた。


「誰だ! 出て行け……痛っ」


「アスラン王、各国の招待客が帰国の挨拶に来られますよ。さぁ、さぁ、支度をして下さい」


 満面の笑みのフラナガン宰相に、寝室まで押しかけられて、男子禁制の後宮で寝なかったのを後悔したアスランだった。


「フラナガン! お前は宰相だろうが。側仕えや侍従じゃあるまいに」


 絶対に逃がさないと、服の着替えも見張ろうとするフラナガンにアスランは罵声を浴びせる。


「私はアスラン王の下僕ですから。さぁ、ほら、お顔を洗いませんと」


 顰めっ面のアスラン王を恐れて近づかない侍従から、洗面器を取り上げて差し出す。


「ええい! フラナガン、わかったから洗面器を侍従に返せ! 爺をこき使っているようで、居心地が悪い……痛っ……」


「おゃまぁ、二日酔いですか? これ、アスラン王にお薬を」


 アスランが諦めて着替え始めたので、フラナガンはスケジュールを読み上げだす。


 アスランは、絶対にショウには、お仕置きしてやる! と、フラナガンが読む秒刻みのスケジュールを聴きながら腹を立てる。ヘッジ王国の件を彼奴に押し付けてやろうと決めた。どのように解決するか、ショウの国に対する考え方が試されると、アスランは良い機会だと思う。


 うんざりする程のスケジュールの過密さに、アスランの頭痛は酷くなる一方だ。侍従が恐る恐る差し出した薬を、アスランは一気飲みする。


「ああ、それと外務大臣の件ですが……」


「ウグッ……不味すぎるだろうが! 水を持ってこい。その件は、お前に任せる」


 アスランは頭痛薬の強烈な苦さに眉を顰めて、フラナガンに任せると言ってしまった。古狐のフラナガンがニヤリと笑ったのを、その朝のアスランは見逃してしまい、後悔する羽目になる。

 


 そんな王宮から離れた小さな島で、ショウとララはサンズと海水浴を楽しんでいた。


 白い砂浜には、椰子の木の間にロープを括って、布で日除けが作ってある。日陰には敷物が敷いてあり、色とりどりのクッションに寄りかかって、ショウとララはサンズが海に飛び込むのを眺めて寛いでいた。


「サンズは本当に海水浴が好きなのね」


 青地に黄色い花や白い鳥の模様の更紗を身に付けたララを抱き寄せて、サンズはほっておいても大丈夫だと、新婚のショウはいちゃいちゃしだす。


『ショウ? スローンも連れて来たら良かったね』


 更紗の結び目を解こうとしていたショウは、絶対に駄目だ! と驚いて叱った。


『スローンが付いて来たら、パメラも来るじゃないか! 新婚旅行に妹同伴は拙いよ』


 ララもそれは遠慮したいと頭を振った。


『退屈なら、私が遊んでやるよ』


 ラブラブモードだったが、まだ日も高いし、サンズも海水浴を堪能したら砂浜でお昼寝するだろうと、ショウはララの手を取って海へ駆け込んだ。

 


「こんなに、のんびりしたの久し振りだなぁ」


 サンズも海水浴を堪能して、砂浜で昼寝していたし、二人も日陰で、フルーツをお互いに食べさせたり、キスしたりと楽しむ。


「ショウ様は、ずっと忙しかったもの。身体を壊さないか心配していたのよ」


 ショウもこの1、2年は本当に忙しかったと溜め息をついた。


「王太子になったから、これからも忙しいのかな? カインズ船長と商船隊について話し合わなきゃいけないし……いつか商船隊で、交易の旅に出たいなぁ」


 ララは会った時から野心とは縁の無いショウが、王太子になったのが負担にならなければ良いと願った。


 夕日を眺めながら、海岸を散歩したり、二人っきりで簡単な食事を食べたりと、新婚生活を満喫していたが、何時までも此処にいられないのは承知していた。だからこそ、ショウにとっても、ララにとっても、貴重な宝物みたいな時間を愛しんだ。




 ショウが居なくなって一週間が過ぎた頃、招待客は各々の国に帰り、平常な王宮に戻ってきた。


 そしてベスメルは内務大臣として、王宮でフラナガン宰相を支えていたし、新任の外務大臣も任命された。王太子は新婚旅行中だが、アスラン王が王宮に居るので、問題はない筈だ。しかし、後宮の入り口のミヤの部屋では、アスランがショウの居場所を聞き出そうと頑張っていた。


「なぁ、ミヤ? ショウは何処に行ったんだ」


 アスランは、ミヤは絶対に居場所を知っている筈だと問いただす。


「さぁ、何処でしょうねぇ? そんなにカリカリしないで、お茶でも如何ですか」


 ミヤはお茶を差し出して、一週間も我慢できないのですかと呆れた。


「ヘッジ王国の件は、早急に解決しなくてはいけないのだ。全く、これなら自分で行くしかないな」


 ヘッジ王国の件は王宮を逃げ出す口実では? とミヤに睨まれて、アスランは信用の無さにガックリする。


「私が政治の事で嘘など言わないのは、ミヤも知っているだろうに……あの色ぼけ小僧は何処にいるのだ?」


 アスランが、本気で苛ついているのに気づいた。


「それ程、緊急に解決しなくてはいけませんの?」


 ヘッジ王国にどんな問題が持ち上がっているのかとミヤは尋ねたが、アスランはハッキリしないと口を濁す。


「アスラン様、もしかして新任の外務大臣が嫌で逃げたそうとされているだけでは?」


 お茶を飲んでいたアスランは、外務大臣という言葉で咽せた。


「彼奴が外務大臣だなんて、フラナガンめ! 絶対に内務大臣に着任したベスメルへの嫌がらせだろうが、私も拒否するぞ!」


 ミヤは、元夫のベスメルの良い点も欠点も熟知していたので、新任のバッカス外務大臣とは水と油だと首を振った。


「何故、バッカス大使を外務大臣に任命されたのですか?」


 茶碗を差し出して、アスランは古狐にしてやられたのだと愚痴る。


「フラナガンに一任したのが間違いだった。ヌートン大使、パシャム大使、リリック大使あたりを選ぶと思ったので、任せたのだが……確かにバッカスも大使に着任した年数は変わらないが……くそ! 外務大臣がバッカスだなんて有り得ないだろう。こうなったら私は早期に退位するぞ! あんな外務大臣と一緒の王宮にいられるか」


 ミヤは、簡単に退位と口にした、アスランの頬を抓った。


「馬鹿な事を仰らないで! エリカの縁談や、パメラもいるのですよ。エリカを王妹という立場で、ウィリアム王子に嫁がされません。キチンと子供の行く末が決まるまでは、退位なんかさせませんからね」


 それにショウはまだ15歳なのにと、そちらは口に出すとヘッポコだとか、甘いとか、悪口を言い出すので、そのミヤは娘に甘いアスランの弱味に付け込んだ。


「ふん、相変わらずミヤはショウに甘いなぁ。本当にそろそろヘッジ王国の件を解決しないといけないのだ。彼奴が解決した方が、帝国三国に対抗してゆくのに良いのだがなぁ。仕方ない、私が……」


 ミヤはアスランにヘッジ王国の件を聞いて、ララに内心で謝りながら居場所を教えた。ショウは新婚旅行に行く際に、ミヤにだけは王太子としての緊急な用事がある場合に備えて滞在場所を伝えていた。


「チェ! そんなにシケた島に居たのか。どおりで見つからない筈だ」


 ミヤはヘッジ王国の件がさほど緊急性は無いのでは? とアスランに詰め寄ろうとしたが、身軽に扉から出て行った。


 ミヤが竜舎に走っていると、王宮からフラナガン宰相も向かっているのが見えた。


「フラナガン宰相! アスラン様をお止めして! ショウの居る場所を聞き出したのです」


 フラナガン宰相は走るスピードを上げたが、高齢なのでゼイゼイと息切れがして庭の木に寄りかかる。


「ショウを連れて帰ってくる」


 メリルで飛び去りながら、アスランは笑って、フラナガン宰相とミヤに告げた。残された二人は小さくなっていく竜に向かって、罵詈雑言を叫んだ。


 こうして、ショウとララの天国のような日々は、終わりを告げた。

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