遥か彼方のメイドーン
御倉院有葉
出会う者たち
――有体にいって、チラシに描かれた絵も書かれた文字も、気の毒なくらいに下手糞だった。
青灰色の髪を一つ結びにまとめた娘、メアリ=ベルチャイムがその張り紙を見つけたのはとある春の昼下がり。実家の宿屋の手伝いをひとしきり終えて、いざ暇となったので散歩に出て通りすがった通りの壁である。
レンガで組まれた薄汚れた壁にあるのは、無数の仔細不明の薄汚れにその紙が一枚だけ。ボロ紙を米粒で張り付けたらしいので、可哀そうと思えるくらいに建物の間を吹き抜ける風に煽られてばたばたと音を鳴らしていた。
メアリはその耳障りな音で張り紙の存在に気付いたとも言える。
見れば見る程にみすぼらしい。メアリとて今一つ上流階級の生まれとは言えないし、いやはやむしろ平民のつまらぬ宿屋の一人娘に過ぎないのであるが、客に頼まれて渡す紙片の方がまだ上等な品であると考えてしまう。
少女はじっと紙片の薄れた文字を眺めてみた。
その表題には、
〈至急
とある。
王位継承戦とはこのタキア王国における一大行事を示すものだ。
王権を引き継ぐのは直系の子孫のみならず、過去から遡って始祖に至るまで、王家と血の繋がる者全てとなっている。
故にその中から優れた王を公式に、公正に選出する儀式が必要であり、それこそが王位継承戦なのである。
この国においては一般常識だが、参加要件として候補者とその侍従が必要であることをメアリも知っていたので彼女は首をひねった。
紙の主は〈次期王位継承候補者・レノギウス=サン=ミドラスト〉とされている。
――いくら遠い血縁だろうと一応王族に当たる人物が、このようなボロ切れに求人を書き込むだろうか。確かに貴族や王族だって貧乏しないではないだろうが、いくらなんでもこんなのはひどい。人を集める気があるのだろうか。大体なんで従者の一人もいないのだ。素質の問題はあるにしても、何か別の思惑があるのではないかと勘ぐってしまう。
「おう、赤鈴亭の嬢ちゃん。何を見てるんだい」
「いえ」
彼女がしげしげと眺めていると、近所の八百屋のおやじがひょっこりと顔を出した。男の顔は気遣いと、若干の興奮が見て取れる。
何故か?メアリが美人だからだ。不自然なほどに目鼻立ちが整った、どこの貴族の娘だという程度の器量よし。理由はそれだけ。男が喜ぶには、それだけで十分なのである。
男は彼女の視線を追って、黄ばんだ紙切れを見ると神妙に頷いた。
「レノ坊のやつ、結局出るのか」
「ご存じなんですか」
彼は首肯した。
「ああ、意外と近所に住んでるぜ。あいつの家は王族っていってもだいぶん昔の家系でな。今は孤児院を一つ持っているだけだよ。悪い奴じゃないがね」
どうやら子供たちの食糧の買い出しによく店を訪れるらしく、男は悪気なく言った。
メアリは少しばかり悩んだ。自身の退屈な日常を、嫌っているわけではない。王都において中流の家庭に育ち、手伝いは面倒であるものの不自由はない生活。手放すことが惜しいといえば惜しい。
求人などに応募する理由もない。金が必要かといえば、そんなことはなかった。金が要る用事がないし、服装などにこだわりもなかった。
だが、と彼女は口元に指先を当てる。
「悪い人ではないんですね」
「いや、まあいい奴だよ。変な奴でもあるが……」
――変人は困る。
彼女はのんびりとその後の一日の過ごし方に変更を加えつつあった。常識的な人間の方が上司とするには好ましい。これまでの彼女の上司とは良心であり、そこまでの無理難題を申し付けられたことはなかった。だからこそ、平凡な神経をした町娘としてはみょうちきりんな没落王族に振り回されることは歓迎できない。
しかしそれはそれで、と思うあたり少女も十分人間として変な部類だった。
――興味が惹かれているのは確かだ。人生計画というほどの大それたものもない。ここいらで一つ、ばくちを打ってみるのも面白いかもしれない。何しろ、人生今年で20年。面倒なお見合い話を蹴って蹴って逃げ切ってきたものの、これ以上は両親の印象が悪い。次期国王候補に奉公に出るとしておけば、ひとまず格好はつく。
ひどい考えである。仮にも王族のそばに控える者として応募するのに、この娘の考えとくれば自分の怠惰に正直に居ることだけなのである。
宿屋の手伝いをしていたのだ。それなりに家事はできる。料理は微妙だが、まがいなりにも王族だ。そこは専属の料理人がいるだろう。一応王位継承戦における要件も満たしている。
そんな適当極まりない決心でメアリは紙片を壁からもぎ取った。なるほど、記載されている住居はこの区画からそう遠くない場所にあるようだった。
「え、行くのかい」
「少し、気になったので」
採用されなかったらその時だ。
困ることもない。もし受かったら面白いというくらいだ。
言葉少なではあるが、彼女は彼女なりにやる気を出しているようだった――顔は全く動いていないが。
かつかつと革靴の底を鳴らすうちに段々と面倒になってきたメアリであったが、やがて辿り着いた王族のいるという孤児院を目前にしてその盛り下がり具合は急加速を見せていた。
王族なのだ。
仮も、王の血筋だ。
それが、壁には幾度とない修繕の跡が目立ち、庭木は雑に刈られただけのボロ屋敷に住んでいるというのか。
これでは実家の方がまだいい。いや、断然きれいで立派な風体をしている。
何かの謀ではないか、と彼女は不安を抱くものの、あの八百屋の親父がわざわざうそを教えるとも思えない。
それを言えば多少めかしこんではいるもののほぼ普段着で来てしまった自分も大概か――いっそ無関心なまでに割り切って、メアリはドアノッカーを打ち鳴らした。
「はーい。おや、どちらさまでしょうか」
中から顔をのぞかせたのは細身の少年であった。
少年は言い表しがたい魅力のようなものを身にまとっていた。カールしたブロンドの髪に、高すぎない程度のかわいらしい鼻、背は低く少女的な印象を受ける容姿である。
女装をすればよく似合うのでは、とメアリは思ったが口には出さなかった。
「こちらのチラシを拝見しまして」
「チラシ?……えー、応募ということでよろしいのですね?」
彼は名乗りもせずに確認する。
作ったのはこの屋敷の主のはずだ。
なぜ確認するのか。
メアリがそのようなことを聞きたそうにしているのを察してか、少年は苦笑した。
「こんなものを見て応募したいだなんて、よっぽどの変わり者ですよ。いえいえ、貶しているわけではないですが……」
――そこまでひどい出来ならば主を止めればよかったのではないのか。
「彼は言い出したら止まりませんから。さて、ではご案内しましょう。不要だとは思いますが、面接をするといって聞かないんですよ」
そんなことを言って少年は手招きをして歩き始めた。外側が酷ければ内装も、とメアリは覚悟を決めてそれに続いた。
ぎいぎいと音を立てる樫材の床は、古いには古いが磨かれている。壁紙がはがれた箇所には一応薄紙が張り付けてある。
意外と手入れはしているらしい。外にまでは手が回らない、というのが実情なのだろう。
「こちらの部屋です。ノックをして入室を」
「あの、お名前は」
「あなたが採用されたらお教えしましょう。特に意味はないですけど」
つれない少年だった。
メアリは心なしか丁寧にノックをして、どうぞと返事があってから一応背筋を伸ばして入室した。
狭い室内ではあったが、整理整頓はされている。大股で十歩ほどの広さの空間に、古びたオーク材の仕事机とそこに肘を突いた少年が見える。
めずらしい錆色の髪だ。外見としては美男子とは言い難い。しかし、八百屋の親父が言うように悪人面ではない。不思議な親近感の湧く面白い面構えであった。
「メアリ=ベルチャイムと申します」
「ほう、面白い家名だ」
男、というには若々しい口調で彼は言った。
実を言えば彼女の苗字は「赤鈴亭」という実家の宿屋の名前に由来するだけだったが、彼女は例によって余計なことを言おうとはしなかった。
レノギウスはメアリの顔を眺め、その無表情に何を見出したのだろう。鷹揚に頷くと偉そうにふんぞり返って口元の八重歯をむき出した。
「とにかく、よく来てくれた。余がレノギウス=サン=ミドラスト。今代より数えること六代前、余にとっては曽祖父の曽祖父、ミドラスト王の血を引く者である」
――妾腹だが。
馬鹿正直に蚊の鳴くような小声で彼が付け足したのをメアリは聞き逃さなかった。
この男は現王の前の、その前の更に前のずっと前の――王。そしてその妾の子の子孫だという。
「……帰ってもよろしいでしょうか」
「待て!待て、待つのだ!侮辱するつもりはなかったのだ。いや……お、おい!まて!話だけでも!余の話を聞くのだ、娘!メアリ=ベルチャイム!」
あんまり情けなく少年が叫ぶので、メアリは仕方ないと返しかけた踵を元に戻し、ひとまず席に着いた。
この喜劇じみた風景が、彼と彼女の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます