第10話2部 まな板の上の

 ぎらりと光る刃物はいかにも切れ味鋭く見えた。

 盛り上がった肩とぶっとい腕で振り回せば、人の首くらいは飛ばせるだろうか。


「まいったまいった。やる気は無いからそれ仕舞えって」


 両手を上げて敵意の無い事を示してやる。

 豚面の目が胡散臭げにこちらを眺め、それから何事も無かったかのように魚に包丁を突き立てる。


「それでお前は。降臨した魔王か。そいつを最短で打倒した召喚勇者様か。どっちなんだ?」


 むすりとした顔で、ざくざくと魚を捌いていく。

 1メートル強の、鯉みたいな大物の、頭が落ち、鱗が剥がれ、三枚に下ろされる。


「どっちって言うと勇者の方。かねぇ……」

「ガラじゃねえなぁ」

「魔王の方がもっとガラじゃねえさ」

「そりゃ確かに」


 下ろした身を綺麗に洗い、塩をまぶして、串に刺し。それから火で炙る。

 じりじりと音を立て、魚が肴に変わっていく。


「まとめると。お前は異世界から来た。来た瞬間に魔王に出会ってそいつを倒したと?」

「勝負しながらこっちに来た。って感じだな」

「【暴食フードファイト】でか?」

「【暴食フードファイト】でだ。奴は俺の所とも違う世界から侵略して来たんだ。俺はそいつを阻止してたんだが……」


 そこで言いよどむ。

 まさか、侵略してきた魔王をこちらに押し付けたとは言いづらい。


「まあ。ちっと間に合わなくて。こっちに押し付ける事になっちまったんだ」


 とは言え、言わないってのも不誠実だよな。


「ひでえ話だ。だからアレか。理由が分かったが……」

「魔王が来るって事。お前は知ってたんだよな」

「グ・ダンだ。オレは『七辻の神』からの啓示があったんだよ。もう降臨するから近くにいるお前がなんとかしろってな。魔王降臨の話は何度か聞いた事があるけどな。こんな唐突なのは史上初じゃねえかな」


 はい。俺と戸山のせいです。


「そいつは悪い事をした」

「事前に準備出来れば、もうちょいマシな対応出来たんだろうけどな。それで、お前はなんでついてきたんだよ」

「そりゃ、押し付けてはい終わり。じゃ、寝覚めが悪いだろう」

「その義理堅さをもっと早く発揮してくれりゃ良かったな」


 魚は表面がパリパリに焼けて。中身はじゅわりと汁が滴って。

 美味そうな匂いが漂ってくる。

 皿に出し、キャベツの漬物を添えて。

 その横にはビール。


 うむ。良い布陣だ。


「こっちもギリギリだったんだよ。到着直後とは言え、被害が出る前になんとか倒したんだから勘弁してくれ」

「それがそうも行かないんだよな……」


 ゴン、と木製のコップで乾杯。

 エールビールの甘めの味わい。

 切り分けた魚に塩コショウをさらにまぶして、濃い目でいただく。


「調味料かけすぎだろ」

「濃い味が好きなんだよ」

「舌馬鹿になるぞ」


 そんな話をしながら、釣った魚に舌鼓。

 野外で食うメシは、どうしてこんなに美味いのか。


「で、そうも行かないってのはどういう事だ?」

「魔王ってのが、どういうモノかは知ってるな?」

「世界の在り方を変える事が出来るとかなんとか」

「そうだ。それで、一度変えた在り方は、魔王自身が死んでも変わらない」

「厄介な話だな」


 僅かな間の話ではあるが。

 この世界に魔王が現れた事は事実であって。


「って事は、やっぱり【暴食フードファイト】も」

「ああ、知っている。いつ、どこで、どうやって知ったかは分からんが。何故かそれを知っている」


 そして、それは効果を発揮する、か。


「厄介な話だなぁ」

「まったく厄介だな。そういう訳で、この世のことわりは歪み、無法が大地に溢れる事となると」


 グ・ダンは魚を噛み締めて、口の中から骨を取り出す。

 やたらとでかい、五寸釘みたいな骨だった。


「厄介な話だなぁ……」

「そればっかりだな、お前」

「仕方ないだろう。世界のことわりがどうとかなんて、俺の手に余るだろう」


 別の世界に飛ばされた事は、正直あまり心配していない。

 かなめちゃんと戸山がいるのだから、いつかはきっと助けに来る。

 確証は無いが確信はある。


 後はこっちの後始末だ。


「お前。こいつをどうにかしようってのか?」

「だから手に余るって言ってるだろ」

「手に余らないならやるって聞こえるぞ」

「まあ。元々は俺の責任だしな」


 ことわりだとかなんだとか、そう言うのはかなめちゃんとかの領分だ。

 ただの中年の俺には荷が重いんだよなぁ。


「何とか出来ない事も無いとしたらどうする?」

「……あるんか?」

「そもそも。魔王降臨は初めての事じゃねえ。魔王がいまだ君臨する地もあれば、打倒されて元に戻った場所もある」

「どうあれ、元に戻した実績はあるって事か……」


 となると。

 それを調べる事さえ出来れば、なんとかなるかもしれないか。


「それじゃ、そいつを調べる事にするか。助かった。ありがたい」

「朝になったら近場の町まで送ってやるよ」

「ありがたい。この借りはいつか返すよ」

「いいんだよ。こいつも『七辻の神』の導きだろう」

「いい神様だな」

「暴虐非道の邪神だがな」


 グ・ダンはにやりと笑い。

 そして杯は空になり。

 魚は腹の中に消えていた。


 腹は満腹、空には星。

 闇の帳に浮かぶ月は、俺の知らない模様があって。


「お前。大変なのはこれからだぞ」

「乗りかかった船だからな。なんとかするさ」

「そっちもそうだがな。啓示を受けたのは俺一人じゃないし、神も『七辻の神』一柱では無いからな」


 取り出した小骨を楊枝代わりに歯をせせり。グ・ダンはそんな事を言う。


「お前が魔王じゃない保証はどこにも無いし。魔王を倒した勇者であれば、そいつの価値は魔王と変わらん」

「おいおい」

「お前の回りに人が集う事だろう。名を上げるようと。利用しようと。或いはオレには想像もつかない理由で」


 そして、胸から下げた聖印を、俺に向かって掲げて見せる。


「どうあれ。『七辻の神』の試練あらんことを、だ。ゆっくり眠れるのも、今日が最後かもしれんな」


 聖印が輝いて、それが俺の身体を包む。

 それが神の祝福なのか、それとも別の何かなのか。

 結局何かはわからなかったが。


 グ・ダンがオークと言う種族で。

 『七辻の神』が、暴虐非道と試練の邪神で。

 その祝福とは、艱難辛苦かんなんしんくを与える事だと。


 それを知ったのは。それから大分後の事だった。

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