第8話2部 信仰侵攻進行中
「
―――
病院の一角にある聖堂に、アネイラの唄うような聖句が響いていた。
とてつもない質量をもって。音の塊が全身にぶつかってくる。
まるで荒海の波濤だ。
どこまでも強く、深く、腹の底から全身を震わせる。
昔、オペラ歌手が自分の声の震動でグラスを割るのを見た事がある。
アネイラならば間違いなく、同じことが出来るだろう。
耳ではなく、全身で聞く美声だ。
「凄い声だな」
「ええ。声楽に関して言えば、絶対の自信を持つエリが唯一負けを認めた程です」
ヘリアディスの言葉も納得できる。
エリュアレイの声は
聖堂に響くアネイラの声はそれと比べてすら別格だ。
たった一人の声のはずが、まるでオーケストラの演奏のように響いてくる。
「お恥ずかしい。父譲りの声の大きさだけが自慢でして」
そう言って控えるアネイラ。
『七辻の神』の聖印を持つ手を組んだ姿は、白百合のよう。
瑞々しくも甘い匂いが香ってくるようだ。
こりゃあ凄い。
お姫様を通り越して。まるで女神か天使のようだ。
このまま、天から光が差して来て、彼女が光の中に溶けていっても。
俺は驚く事は無いだろう。
「それもその筈。アネイラの母君であるエンドリン様はエルフの真祖に名を連ねる方なのです」
「エンドリンめは原初のエルフの一人だ。大抵の神より歳上であるな」
「それは、ほぼ神と言えるのでは?」
「で、あろうな。我と同い年であるし」
そう聞くと何か凄く俗っぽいものになってしまう気がする。
実際のところ。クレボルンさん二億年くらい生きてるらしいので、神様みたいなモノなんだろうけれど。
というか。
二億年とか想像がつかない。
恐竜が現れて滅びて人類が文明を発達させるまでの間だ。
そんな期間を、何をやって生きてきたんだろうか。
「右中段正拳突きならば、三百年ほど打ち続けても飽きぬだろう?」
どうもこの人は精神構造は、俺とはまったく違うらしい。
それだけは分かった。
「それで、市長様に聖堂まで来ていただいたのは他でもありません。お知らせしなければならない事がございます」
母親がエルフであるならば、漂ってくるこの香りは、やはり彼女のものなのだろう。
そう思うだけで、何か悪い事をしている気がして。
思わず口で息をしてしまう。
「その前に。市長様は『七辻の神』についてどれほどご存知でおられますか?」
「オーク達がよく信仰している神様で……光を司る邪神とか……」
バ・ザムさんの時に簡単に話を聞いたけれども、正直よく分かっていない。
天使の叛逆に逢ったとか。
今は封印されているとぁ。
色々と複雑なのは覚えているが、詳しい所はさっぱりだ。
「『七辻の神』信仰には大別して二種類がございます。一つは『七辻の神』そのものを奉るもの。こちらはあまり盛んではありませんわね」
「と、言うよりも。信仰の存在自体が違法であります。邪神信仰ですので」
信者に略奪する権利を認めて。
その信者に暴虐の限りを尽くしたとかなんとか。
確かそんな感じだ。
「そしてもう一つ。『七辻の神』を打倒した七人の英雄。それを讃える『封印派』でございます」
『七辻の神』の支配は暴虐を極めた。
親に子を殺して捧げよと命じ。
信者に命じて戦を起こさせ。
敵国の王を唆して信者の国を滅ぼさせ。
命令に従わなければ街ごと焼き払い。
無辜の信者に思いつきで罰を与える。
従わざれば殺し尽くし。
従う者はやはり殺し尽くす。
その暴虐に、異を唱えた者がいた。
『七辻の神』の腹心とも、分身とも言われる天使。
後に
永劫に続く戦いの後、
『七辻の神』は七つに砕けた。
かくして、神と戦い。神を打倒した者を『イスラエル』と呼ぶようになった。
「うむ。あれは派手な喧嘩であったな」
「見てきたように言いますね」
「実際見てきたからな」
まあ、二億歳だしなぁ。
そういう事も無いとも言えない事も無いか。
「そして。その後もなお、地上において暴れ狂う『七辻の神』の欠片達に挑む者たちが現れました」
数多くの勇者が戦いを挑み。
一つ、また一つと神の欠片を打倒し、封印に成功していった。
真祖エルフの夢占い師。
彼は自らの夢の中に『七辻の神』を封印したと言う。
古ドワーフの移動城塞。
歯車仕掛けで作られた、『七辻の神』の
自らの意志をもって動くそれは、今もなお天地の果てで『七辻の神』と戦い続けていると言う。
名も伝わらぬ影の勇者。
この世界で初めて、異世界から召喚されたという人間。
彼は影を操る力を持ち、『七辻の神』が強く光を発する程に、さらに色濃い影を生み出し。
その影の中に『七辻の神』を封印したと言う。
そして、
竜皇国内に現れた『七辻の神』の欠片を一騎打ちで打倒し。
その身を構成する深淵に封じたと言う。
「……現在、知られている
「二人ほど足りないような気がしますが……」
どう聞いても、名前を上げられた英雄は五人で。
欠片は七つと言うのだから。
つまり、二つの欠片はどうなったのか。
間違っていないよな、計算。
「今も二柱の欠片が封印されずに存在しております。信徒を従えて戦を起こす事しばしばですよ、主殿」
「その二柱を封印する英雄たらんと、自らを鍛え上げる。それが『封印派』の最終目標となります」
邪悪な神と、それを倒すために切磋琢磨する人間。
それが『七辻の神』信仰の本質なのだそうだ。
「そこまでは分かったけれど。それが何か?」
「もう一つ。お教えせねばならない事がございます」
まだあるのか。
宗教というのは色々あって面倒くさい。
吉祥寺で事務所を開いていた時から、仕事でこの手のものに絡むとロクな事が無かった。
「わたし共には、
唄うように、アネイラは言葉を紡ぐ。
もしかするとそれは、定められた聖句なのかもしれない。
「『誇り』
「『泰然』エルフの夢占い師に象徴されます。恐るべき神を前にしてなお、自らの在り方を変えぬ心を讃えます」
「『羨望』古ドワーフの移動城塞に象徴されます。敵の力を認め。敵の力を自らの力に変えたいと望む心を讃えます」
「『大志』名も伝わらぬ勇者に象徴されます。力弱き人の身でありながら、神に挑んだその勇気を讃えます」
「『愛』
門外漢からすると、いくつか無理があるような気がするが。
まあ、宗教っていうのはそういうものか。
「我としては。泰然を象徴と言うのは気に入らんがな。熱情あたりが妥当であろう」
またまたこの人は。
自分の事みたいに言っている。
神話の世界の物事と、目の前の拳法馬鹿のギャップに、思わず妙な表情を浮かべてしまう。
というか、神様とかの浮世離れした存在と、今ここにある現実と。
二つがどうにも噛み合わない。
何度も信徒や神そのものが戦争を起こしていると言うのだから。
この世界では現実的な問題なのだろうけれど。
「そして、将来現れるであろう二つの封印者は、やはり残り二つの美徳に対応すると考えられております。すなわち『熱情』と……」
アネイラはここで言葉を止めて微笑みを向けてくる。
ヘリアディスは得心がいったと手を叩く。
クレボルンも額に手を当てこちらを見る。
何だ?
俺が知らない所で何かが進行しているぞ。
いったい何が?
「『健啖』です」
健啖。
好き嫌いなくよく食べる事。食欲が旺盛な事。またはそのさま。
……あれ?
「即ち。六人目の
おいおい。
とんでもない事になっちまったぞ。
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