第7話6部 伝 サルバドレ家の御曹司

 酔っぱらいってのは、本当にどうしようもないモンでございます。


 長年続いた酒びたり。

 倒れてハラワタ半分取り出して。

 医者から酒は禁じられ。

 言われたその日にワンカップで乾杯だ。


 半分呑んだ所でぶっ倒れ。

 眼の前が真っ暗になったと思ったら。

 はいそれまでよ。


 こいつが、長らく世間様に迷惑かけてきた忘八者。

 あたくし。『時そばの升伝』こと、増田平太の最期でございます。


  *   *


 それからどれほど過ぎたのか。

 それとも過ぎていないのか。


 気付けば光に包まれて。

 フワフワ柔らか。温かい中におりました。


 ははぁこいつが天国か。

 酒が美味くてねーちゃんが綺麗だってぇ話しだが、実際どんなもんだろね。

 そう思っておりますが、何か様子がおかしいのでございます。


 手も足も思うように動かない。

 死んじまったんだから、お足は無いのはまあ分かる。

 人魂だったら手も足も出ねえってのも道理さね。


 だけど、手も足もちゃんとある。

 ちゃんとあるが、思うように動かない。

 曲げたり伸ばしたり。

 バタバタ振るくらいしか出来やしねえ。

 首もまったく力が入らねえ。


 こいつは一体どういう事だ?

 そう思っていると、でかい顔が目の前に現れた。


「あらあら坊や、どうしたのかしら。お母様に教えておくれ」


 金髪碧眼白い肌に高い鼻。

 形の良い眉毛が優しく微笑んで。びっくりするくらいの美人の顔が。

 俺を覗き込んでいた。


 そうさ。顔がでかいんじゃあないんだよ。

 あたしの方がちいちゃくなっていたんだよ。

 赤ん坊になってたんだよ。


 その時の驚きと来たらもう。

 驚いたなんてもんじゃあないよ。

 まったく何がなにやら分からなくって。

 思わず口に出して言っちまった。


「もう半杯」


  *   *


 そんなオチはどうでもいいんだよ。


 どうでもいいんでございますが。

 生後間もない赤ん坊が口をきいたってのは、流石に事件になりまして。

 当主の親父様の元、一族郎党集まった。


 集まって、一族会議と思いきや。

 目出度目出度の大宴会。


 後で聞いた話しじゃあ。

 生まれ変わる前の事を知ってる子供、ってのはあたしが初めじゃないらしい。

 しかも、その多くが大人物になっているってんだから。

 一族集めて大宴会も分かります。


 集うは金髪碧眼の美男美女。

 フリルびらびらのドレスやシルクのタキシード。

 白亜のホールにケーキを並べ。

 メイド達がいい匂いのするワインを配って回る。


 あたしは学がありませんからよく分からねえんですが。

 中世ヨーロッパ、ってやつなんですかね。

 ベルサイユだとかルネッサンスだとか。

 そんな感じの大宴会だ。


 鏡を見ればこのあたしも、金髪碧眼白い肌に高い鼻。

 さっきのお母様の血縁に間違いねえが。

 あたしの知ってるアル中の、こ汚ねえツラの面影すらもありゃしねえ。


 さて、宴もたけなわとなりまして。

 当主挨拶の時間となります。

 ほくほく顔で参りましたる親父様。

 笑い顔で涙を流して。


「生まれてくれてありがとう」


 と来たもんだ。


 あたしの知ってる父親ってのは。

 酒へんにゲンコツと書く生き物でございます。

 ところがこの親父様と来たら。


 あたしの事を愛してる。

 こう言う生まれの子供には、きっと多くの苦難が襲う。

 そういう運命が待っている。

 だが、愛する息子のそのために。

 この身を賭して、苦難を排する。


 そんな事を涙ながらに語るのでございます。



  *   *



 あたしの若い頃合いは。

 金持ちなんざロクなもんじゃねえ。

 そんな風に教わってきたものでございました。


 しかしまあ、なってみれば分かります。

 金に余裕がある奴は、心にも余裕があるものでございます。


 貧乏人から生まれた貧乏人のクソ親は。

 あたしをガキの頃からぶん殴り。

 育てば、育て賃だ食事代だと、金の無心に来たものでした。


 そんな親から育ったガキが。

 まともに育つはずもありません。


 そりゃあまあ。掃き溜めに鶴が生まれる事もあるでしょう。

 しかしあたしは鶴じゃあなかった。

 そんだけの話だ。


 だけんども。

 今いるこの家の親父様。

 貴族の生まれの貴族の育ち。

 ご母堂に至ってみれば。

 なんぞやいにしえの王様にまで続く名家の生まれ。


 鶴の両親から生まれちまったんだから。

 そりゃあ、鶴になるしかねえでしょう。


 紅葉みてえなちっさい掌を。

 ぎゅっと掴んで心に決めた。

 こいつはきっと神様が。

 もう一度だけやり直せると。

 あたしにくれた最後の機会だ。


 馬鹿は死ななきゃ治らねえ。


 そいなら一度死んだから。

 あたしの馬鹿はもう治る。


 そう決めたんで、ございますよ。



  *   *



 事が動いたのは、あたしの五つの誕生日でございました。

 親父様が事を動かさないように苦心されていたのが、実際の所ではありましたが。


 とうとう、あたくしの事がこの国を治める魔王様にまで伝わって。

 そこで、拝謁を賜る事とあいなった。


 親父様は最後まで

「幼い息子故。拝謁には及びませぬ。どうしてもとおっしゃるならば、行儀見習終えた後。社交界にお披露目する時、いの一番に拝謁参ります」

 なんて抵抗してくれましたが、どうにもこうにも魔王様。

 構わぬ、早う、無礼講だと、矢の催促。


 とうとう流石の親父様も、無く子と魔王にはどうにも勝てぬ。

 若干五歳の御曹司。

 初の拝謁と相成りました。


 この子の五つのお祝いに。

 魔王に拝謁参ります。

 行きは良い良い仁義を切って。

 物珍しさに大喝采。


 生きるに鍛えた幇間芸は、遠く異世界でも役に立つ。

 得意の噺を一席打って。


「どこかで聞いたな。他には無いのか?」


 そう言われたからにゃ。

 一つ得意のご披露だ。


「それなら蕎麦をありったけお願いいたします」

「ほほう? それをどうすると?」

「へえ。この蕎麦をたちまちの内に消してお見せしましょう」


 ぞろりと消える蕎麦の山。

 魔王様はご満悦。


「無駄だ下らぬ無意味だ素晴らしい」


 大いにお褒め下さって。

 顔色変わるは貴族の面々。


 こちらマーナーン魔王国。

 無駄無意味こそ価値がある。

 大食いこそは意味が無く。

 これ以上の価値は無い。


 あたしの生まれたサルバドレ侯爵家は。

 一夜で国一番の権力を手に入れた。


 らしい。


 らしいというのは他でもねえ。

 親父様はその権力を無駄に振るうのを嫌っていたし。

 何よりあたしを酷使したがらなかった。


 どうしてもやらにゃならねえ時だけに。

 その時の供えのために。


 それ以外は、あたしがやれるとどれほど言っても。

 大食い披露を許しちゃくれなかった。


 白波逆巻く世間の荒波を。

 親父様は一身背負い。

 あたしにゃ、水の一滴たりとも触れさそうとはしなかった。



  *   *



 あたしは見た通りのヒネ者で。

 優しく大切にされる程。

 そいつを素直に受け取れない。


 親父様にゃ内緒で外へ出ちゃ。

 手下を作り仲間を作り。

 十の頃にはちょっとした顔になっていた。


 それを知った親父様。

 寂しげに笑ってこう言った。


「お前は私の器を越えた。思う様に飛ぶがいい。それでもお前の帰る場所はここだ。翼が疲れた時は、いつでも家に帰りなさい」


 泣いたよ。

 目が落ちるかと思う程。

 嬉しくて泣いた事なんて。

 あたしにゃ初めての事だった。


 それからは、お家の恥にならぬよう。

 親父様の誉となれるよう。

 旅を続けてまいりました。


 だけんども。

 一つ未練がどうにも残る。


 世話になりっぱなしだった昔の馴染み。

 同じ真剣師の『トレンチコートの政』とその弟子。

 奴らには、最期の最後まで世話になっていた。


 今のこの世があるのも。

 多分、奴が供養してくれたから。

 そんな気がしてならなかった。



  *   *



「そんな時だよ。お前さんの事を知ったのは」


 『時そばの升伝』……いや、シェイデン・サルバドレはそう言って。

 ふうと大きく息をつく。


「それならそうと言ってくれりゃよかったじゃないですか」

「そんな素直な奴じゃないんだよ。あたしは」


 照れて笑うその顔は。

 どこかあの男の面影は残していたが。

 俺の知らない少年の顔だった。


 多分、『時そばの升伝』という真剣師はもういない。

 ここにいるのは。

 侯爵家の歴史を背負う。

 立派な御曹司。その人だ。


「苦労話はこれくらいで。それじゃ、再会を祝して乾杯と行きましょう」


 小ぶりの盃に酒を注いで手渡すと。

 揺れる水面をじっと見て。


 それから両手でそっと辞して言う。


「やめとくよ。夢になっちゃあいけねえから」


 おあとがよろしいようで。

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