199X年・異世界は暴食の支配する廣野と化した!

はりせんぼん

第1話 蒸気機関の窯焼きバゲットの電撃攻略大作戦

 どこまでも続く緑の地平。

 なだらかな丘の向こうに、岩剥き出しの山々が聳え立っている。


 その道なき平野を走るのは、蒸気を吹き出すハガネの塊。

 黒くて巨大な鋼のボディ。

 ガッシャガッシャと力強く、そして精密に動く歯車とカムとクランク。

 赤熱し、勢いよく蒸気を吹き出す外燃機関。

 技術わざ火力ちからの∨3エンジンだ。


「……蒸気機関って男の子だよな」


 独り、車窓にそう呟いた。


 蒸気列車の車窓には、トレンチコートがよく似合う。

 酸いも甘いも噛み分けた、苦みばしった中年が、ニヒルに笑うと尚似合う。

 まあ、俺の事だけど。


 俺がいる二等客室は、長椅子と足場だけの手狭な客室。

 夜になれば、この長椅子に横になる。

 荷物は長椅子の座面の下の貨物スペース。


 なんとも簡潔で。

 なんとも合理的な客室だ。


「こういうのですよ。こういうのがいいんですよ」


 気楽な男一人の列車旅。

 草原を走る機関車の足元は、しかしレールが存在しない。

 代わりに付いたキャタピラで、道なき平野を疾駆する。


 いまだレールも敷かれぬこの廣野。

 だからこそ、これで良い。

 いや、これが良い。

 なんと言ってもキャタピラが良い。最高と言っていい。

 俺の中の男の子もご満悦だ。

 俺の頬は、さっきから緩みっぱなしだ。


「お弁当いかがっすか~! 本日のランチは豚のハムのバゲットですよ~! サービスにライムジュースもついてますよ~! お弁当いかがっすか~!」

「……おべんとう。です……」


 そして、列車の旅の一番の楽しみこそが車内販売の弁当だ。


 カートにハムを挟んだフランスパンを満載して、エプロンドレスの二人組がやってくる。

 褐色肌に尖った耳。子供のような細くて小柄な体格は彼女らがゴブリンである事を示している。

 俺の世代では、ゴブリンと言えば昔話の性悪な小鬼かマンガの悪役だ。

 だが彼女らは、例えるならば褐色肌の小妖精。

 子供の様な背丈でちょこちょこ働く姿は、たいへんに愛らしい。


「すみません。一食下さい」

「はいは~い! お一人様お買い上げ~!」

「……中銅貨3枚。です」


 片方が愛想よく熱々のフランスパンを渡し、もう片方が料金を受取る。

 慣れに慣れた共同作業と言った風。実に可愛らしくて頼もしい。


「……大銅貨1枚お預かり。中銅貨7枚おつり」

「お買い上げ、ありがとうございます~!」


 愛想担当の売り子と、計算担当の、熟練の早業コンビ技。お見事でございます。


「さて、それはともかくランチだランチ」


 フランスパンは熱々でカリカリ。香ばしい匂いが漂ってくる。

 蒸気機関の窯で焼き直しているのだろう。

 蒸気機関、万歳。


 挟んだハムはしっかり分厚く、見るからに噛みごたえがありそうだ。

 干し肉やハンバーグも良いんだが、フランスパンに挟むのは厚手のハムが一番だ。

 まあ、この意見は美味い干し肉バゲットや、ハンバーガーを前にした時には容易に翻るんだが。

 男の意見は柔軟なのだ。


 そして、ハムに添えられたピクルスの浸かり具合がまた、良い。

 ハムと言えばザワークラフトとビールが定番だ。それは俺も分かっている。

 だが、ピクルスもいい。今の俺はピクルスを求めている。

 ハムの塩気にアクセントを与える、あの酸っぱさを求めている。

 そこに、ケチャップの味があれば最高だ。

 あのハンバーガーは、時折無性に食べたくなるのは何故なんだろう。


 そしてサービスのライムジュース。この一工夫がまた嬉しい。

 ライムジュースは、いにしえ時代。海を旅する水夫を壊血病から救ったと言う。

 そして今、大草原を旅する俺の舌を胃袋を救ってくれる。

 俺の心と身体のビタミン源だ。


「ああ。やっぱりこの列車に乗ったのは大当たりだ」

「アンタ。毎回毎回、嬉しそうな顔をしてメシ食うんだねぇ」


 向かいの席から声がした。

 赤い髪を短く刈ったドワーフの女性だ。ヒゲは無い。

 人懐っこい丸顔に、出る所は大層に出っ張って、くびれるところはくびれた身体。

 若草色のちょっともっさりしたドレスがよく似合っている。


「そりゃあもう。実際に美味しいですからね。それに愛情が籠もっているじゃないですか」

「アタシには普通のバゲットに見えるけどねぇ」

「例えばこのパンです。わざわざ焼き直しをしている。車内販売の弁当なら、そんな事をしなくったって客は買うでしょう? でも、ここの弁当は焼いてくれる。この一手間を、人は愛って呼ぶんです」


 ちょっと、熱を込め過ぎて語ってしまった。

 ドワーフのお嬢さんは歯を見せて笑う。

 唇から覗く八重歯が笑顔をより一層引き立てている。


「そう言やぁ。お名前聞いていなかったね。アタシはテーダってんだ。アンタは?」

「名乗る程の者じゃぁありませんが……」


 そう言いながら帽子を前にちとずらす。

 この角度が、謎めいた男を演出するんだ。


「あっそ。それにしても珍しい格好だねぇ。異世界風って奴かい?」

「背広とトレンチコートって、異世界風なんて呼ばれてるんですね」


 それより、名前を言う前に話しを進めるのやめてくれないかな。


「たまに、そういう人が出てくるって言うじゃないか。神や魔王に選ばれた勇者様とかそういうの。アンタも実はそんなのだったりするのかなぁ?」


 うりうりと指先で俺をつつきつつ、テーダは隣に座ってくる。

 結構、ボディタッチが激しいぞ。

 胸とか太ももが、その。ちょっとむっちりしすぎじゃないですかね。

 嬉しいけど、お金とか取られないよね? 大丈夫?


「いやぁ。それはどうでしょう……」

「だよねぇ。そういうツラしてないもんねぇ!」


 あっけらかんと言われるとショックなんですけど。

 まあいいさ。

 それよりもメシだ。


 美人の付き添いは確かに嬉しいが、出来ればメシは一人で食べたい派のこの俺。

 一人で、静かに、孤独に、そして豊かに。

 ちょっと席を外すかな。でもそれで、失礼と思われても。という気持ちもある。

 列車の旅はまだ2、3日続く。空気を悪くするのも何かと良くないか。


「ん? アレ、光った?」


 俺が困っていると、テーダが窓を指さした。

 いや、身を乗り出すのはいいんですが。当たってる。当たってる。

 ちょっと動くのやめて。今まずい。まずいから。


「ほら、光ったって。あそこあそこ」

「確かに……あれは……鎧、ですかね?」


 どこまでも続く大平原。そこに輝く一筋の光。

 それは確かに鎧をつけた人影だった。

 馬に跨がり、銀色に輝く胸甲と羽飾り付きのど派手な兜。

 長旗付きの槍を空高く掲げた姿は、絵画に描いた騎士がそのまま動き出したかのようだ。


「騎士って。こんな所で何でまた」

「しかもケンタウロスだ。ここいらには、こんなのも出るのかい?」


 ぱっからぱっからと走ってくる芦毛の馬体はそのまま人の上半身につながっていた。

 兜から流れる銀色の髪は、遠目で分かるほどに長い。

 当然、そんなのが出る土地だなんて聞いたこともない。


「我こそは! イアソンの子! イエステッドの白銀! モノスタンの天馬騎士! ヘリアディス・ル・イエステッド!」


 そして、朗々と響く声は間違いなく女性のものだった。


「女のケンタウロスの騎士ぃ?」

「姫騎士という奴ですか」

「そういう事言う人だったんだねぇ。アンタ」


 分かってるから。ちょっとしたジョークだから。

 だからそんな軽蔑するような目で見ないで下さいテーダさん。


「父の仇! 祖国の仇! ついに追い詰めたぞ! 【不壊】のデ・ヴゥ! その名に恥じぬならば出て来い!」


 女騎士が槍を構えて駆け出した。

 真っ直ぐに、飛ぶように、脇目も振らずに蹄を鳴らす。

 まるで、一条の銀色の矢のようだ。


「デ・ヴゥって言ったよね、あの子」

「言いましたね」

「【不壊】のデ・ヴゥって言えば、竜皇国の前元帥だよね」


 わたくし、その辺りをまったく存じ上げません。

 なんとなく、オークっぽい名前だなぁ。というくらいしか分からない。


「こんな列車に乗ってるとも思えないんだけど」

「あれだけ自信満々に言うんだし、何か確信があるんじゃないですかね」


 テーダは腕を組んで思案顔。

 短い腕を胸の前に組むと、どうやっても出っ張った部分を抱き上げる形になる。

 ちょっと、俺には刺激が強い。


 目を反らすと、眼の前に槍が迫っていた。


「うわ!?」

「お前! デ・ヴゥを出せ! 連れてこい!」


 列車と併走するケンタウロスの女騎士が窓の外で怒鳴っている。

 ご無体な事をおっしゃる。

 顔も知らん相手をどうしろと言うのか。


「お客様! 頭を下げて!」


 今度は、顔の横から銃身が伸びて来た。

 さっきの売り子のゴブリン娘だ。手には長銃。

 相方の計算担当は、銃から続くホースを絡まないように手繰っている。


「どけ! 他の者には用は無い!」

「撃ちます!」


 パァン!

 長銃が白煙と破裂音を吹き上げる。

 蒸気銃だ。機関車の窯から送り込まれた蒸気圧で弾を撃ち出すやつ。

 計算担当が持っているホースはその蒸気を送って来ているというわけだ。

 窯の近くなら連発も効く代物なんだが、何かと取り回しが悪い。


「あちちっ」


 何より吹き出す蒸気がやたらと熱い。

 至近距離でぶっぱなそうものなら、蒸気で顔が焼かれる事必死だ。

 今まさに俺がそうだ。

 撃ったの俺じゃないのに。


「頭下げてって言ってるでしょ!」

「ちょっと。なんでここで戦ってんのよ!」

「ええい邪魔だぁ!」

「熱い熱い! 熱いって!」


 なんだかとんでもない事になっちまったぞ。

 とにかく、ここはあれだ。

 さっき買ったランチだけは死守せねば。

 昼飯抜きの空きっ腹を抱え夕飯を待つなんて、俺には耐えられそうにない。

 だから、このバゲットだけは……。


「邪魔だと言うに! やむおえまい。警告はしたぞ!」

「さっきのは威嚇射撃です!」


 言うと同時にまたパァン。

 今度の弾は間違いなく騎士の兜に吸い込まれ、そして甲高い音を立てて弾じけて飛んだ。


「え?」

「うそ」

「なにこれ?」

「無駄なんだよなぁ」


 魔王がこの大地に降臨して以来、ここでは一切の暴力が意味を失った。

 殴ろうが切ろうが撃とうが、そこで生じるダメージはゼロになる。


「良かろう。こちらも相応に対するぞ!」


 窓を破って槍が突き込まれる。そしてそのまま、車内で矛先が暴れまわった。

 人へのダメージはゼロになるが、物は壊れる。

 窓板は割れ、穂先が何度も椅子に突き刺さり、テーダと売り子二人が右往左往と逃げ回る。


 せめて逃げ回るのはやめてくれ。

 当たっても痛くも無いんだから。

 やめろ。やめてくれ。こんな事になったら俺のランチがっ……!


 盲滅法動き回った槍が、俺の腕を打ち据える。

 運の悪い事に、バゲットを持っていた右腕だった。


「あ!」


 思わずぽろりとバゲットを取り落とす。

 いや待て。すぐに拾えばなんとかなる。

 世の中には五秒ルールと言うものがあるんだ。


「ああっ!」


 手を出す俺の眼の前で、無残にも売り子の足が俺のランチを踏みにじった。

 ああ、なんていう事だ……。これではもう、五秒ルールも適用されない。

 ……なんと言う事だ……。


「そろそろ、いい加減にしてもらおうか」


 折しも戦いは佳境に入っていた。

 ケンタウロスが椅子に突き刺した槍を梃子に、窓から車内に入ってきた。

 小柄な売り子やテーダと比べると、馬の身体は目に見えて巨大だ。

 しかもその上に完全武装の人の身体がついている。

 それでも銃を構える売り子の姿はまるで、戦車に向かうカマキリのようだ。


 遠慮なく上がり込む蹄が、再び俺のランチを踏みにじる。

 彼女は、その事にすら気付いていない。


「……俺はただ……」

「何?」


 彼女には何か、ご大層な理由でもあるのだろう。

 俺なんかを踏みつけても気付かない。高い高い理想なんかがあるのだろう。

 だけれども。


「俺はただ、美味いメシが食いたかっただけなんだ」


 だけれども、それとこれとは何の関係もないだろう。


「お前に、【暴食フードファイト】を申し込む」


 瞬間、何かの鍵が噛み合った。


「よかろう。私は受けて立つ!」

「はい! 只今、ご用意いたします!」

「……今。バゲットしか……無い、けど?」

「バゲットしか無いならそれしか無いわね! みんな! テーブルの準備!」

「うむ。それならば仕方ないな。そうだろう?」

「俺は美味ければ何でもかまわない」

「ちょっと、何が起きてるの?」


 状況について来ていないのはテーダ一人だった。

 騒ぎを聞きつけたのか、他の客も集まってくる。

 程なく機関車は止まり、平原の一角にテーブルと言う名の決戦場が用意された。


「ちょっと、これって何なのさ?」

「【暴食フードファイト】だ」


 魔王と言うものは、世界の在り方を変える力を持つ。

 むしろ、それが出来る存在を神とか魔王とか言うのだろう。

 暴力が意味を失った後、争いの決着をつける手段として魔王が与えたもの。それが【暴食フードファイト】だ。


1 【暴食フードファイト】を挑まれた者は「受ける」「逃げる」の二つの選択肢のみが与えられる。

2 【暴食フードファイト】の敗者は、一度だけ勝者に従う。

3 【暴食フードファイト】は祭りであり、周囲の者はそれに全面的に協力する。


 それが【暴食フードファイト】のルールだ。

 何かと穴や抜け道がありそうなルールであるが、何故かなんとなく上手く行っている。

 魔王のルールによる抑止力でもあるのか、他に理由があるのかは分からない。

 単に、リスクが高いから、やりたがる奴があまりいないという事なのかもしれない。


 とにかく、俺はテーブルを挟んで女騎士ヘリアディスに向き合った。

 吹き抜ける風が、草原にさざ波を立てる。

 兜を脱いで、露わになった銀髪が風にそよいで揺れている。

 きりりと俺を睨みつける蒼色の瞳。

 丹精すぎる顔立ちは、まるで硬質な彫刻のようだ。


「いざ。尋常に勝負と行こう。私が勝ったらデ・ヴゥを出す。それで良いな」

「デ・ヴゥと言う奴は知らないが。全面的に探す手伝いをする」


 いつの間にか、野次馬が集まってきた。

 機関車の乗客だけじゃない。

 どうやって聞きつけたのか、関係ない馬車や別の列車、飛空艇までもが集まって来ている。

 ここぞとばかりに、俺が乗っていた機関車の売り子達も、酒やツマミの販売を始めた。

 屋台がいくつも立っていた。

 焼ける肉や粉物の匂いが香ばしい。

 興奮した人の波はまさしく祭りの風景だ。


 祭りには、男を男の子に戻す魔法がかかっている。

 勝負が終わったら、屋台回りをしよう。

 ちゃちな小物や生焼けの粉物を堪能しよう。

 気持ち良く祭りを楽しもう。


 そのためにも。


「それでは【暴食フードファイト】を開始します」


 仲介役のゴブリン娘が宣言する。


「食材は特大バゲット1本。先に食べ切った方を勝者とします」


 お互いの皿の上に、フランスパン一本まるまる使ったバゲットが置かれる。

 熱々のパンから漂い上がる白い湯気が、風にゆらめく。

 皿の先のヘリアディスのまなじりが釣り上がっている。

 目に見える程の気合と闘志を、びんびんと感じる。


 落ち着け。

 焦るんじゃあない。

 俺はただ、皿の上のこの食い物を美味く食う。

 それだけだ。


「開始は、このコインがテーブルに落ちた瞬間とします!」


 観衆のざわめきは、もう最高潮だ。

 景気の良い声でトトカルチョが始まっている。

 どれどれ。オッズは7対3でヘリアディス有利となっておりますか。

 常識的には妥当なオッズだ。

 ケンタウロスの胃は2つもある上に、馬体の方の胃袋や腸管は巨大と言っていいサイズだもんな。

 テーダさんも一口乗ろうと手を上げている。

 ヘリアディスの方に賭けている。

 まあいい。別に仲間とかではないし。

 それよりも、代わりに俺にいくらか賭けてくれと頼むべきだったなー。


 まあ、いいか。


「行きます!」


 コインが跳ぶ。

 きらきらと陽の光を反射しながら回る銀色の硬貨。

 中空で弧を描き、やけにゆっくり落ちてくる。


 ヘリアディスは袖を捲った腕を皿の上へとセッティング済み。

 視線はコインから離さない。


 観衆も、立会人のゴブリン娘も、そしてこの俺も。

 落ちるコインから目を離さない。いや、離せない。


 時が来た。


「スタートです!」


 開始の声を待たず、コインがテーブルに触れたその瞬間、ヘリアディスはバゲットを掴んでいた。

 そしてそのまま、端から口に突っ込んで食い千切り、飲み込む。


「やるなぁ。ケンタウロスのお姉ちゃん」

「やっぱり、こっちに賭けて正解だったわ」


 観衆からそんな声が飛ぶ。

 なるほど、確かに力強い食いっぷりだ。

 食い進む姿はまるで削岩機のようだ。

 胃の容量についても、フランスパン1本を食い切るには十分だろう。


 対して、俺はどのように攻めるべきか。

 【暴食フードファイト】には大きく分けて二種類ある。

 食い切れる分量をより早く食い切る早食いブリッツクリーグ

 時間内にどれだけの分量を食い切れるかを競う大食いトータルクリーグ

 短距離走とマラソンが、同じ走る競技であっても異なるように、早食いと大食いも必要とする技術、能力はまるで異なる。


「今回は、早食いブリッツクリーグか……」


 瞬間、トレンチコートの懐に隠したナイフが閃いた。

 一呼吸する間に一本のフランスパンを一口大の輪切りに分ける。

 熱せられたパン生地が、ほっこりと白い湯気を上げていた。


「さらに、こうっ!」


 続いてコートから取り出したるは、瓶入りのマヨネーズ。

 これを小分けにしたバゲットに、塗る、塗る、塗る!


 見るがいい。湯気を発する程に熱せられたパン生地が、マヨネーズによって見る間に冷やされていく様を。

 これぞ我が秘策、食断熱冷カットアンドコールドの陣である。


 早食いブリッツクリーグの大敵は食材の熱だ。

 これによって、口内や喉奥が灼かれ、競技不能となった者を俺は何百人と知っている。

 故に、湯気を発する程に熱せられた食材を切り分ける事で表面積を増やし、その上で調味料によって強制的に冷やす食断熱冷カットアンドコールドの陣取りを俺は選んだ。

 ホットドッグの早食いには、古来より伝わる通水強制冷却ウォーターコールドの陣がある。

 しかし、水にホットドッグを突っ込んで強制的に冷やす通水強制冷却ウォーターコールドの陣を、俺は選ばない。

 あれは、俺の中では外道の食い方だ。

 より美味く食える手段。それを俺は選ぶ。


 小分けにされ、程よく冷えた俺の食材を見て、ヘリアディスの動きが止まる。

 こちらからは確認するまでもない。

 彼女の口の中は、すでにフランスパンの熱で灼け爛れている事だろう。


 ならば、これ以上の競技続行は彼女の苦しみを長引かせるだけだ。


 いくぞ。

 いくぞ。

 本気で、いくぞ。


「いただきます」


 合掌。


 そして、俺は阿修羅となった(イメージです)。


 六臂の腕が次々と小分けにしたバゲットを同時に口に運ぶ(イメージです)。

 運ばれたバゲットを、3つの面の口が同時に咀嚼し、食道に送り込む(イメージです)。

 怒りの面は炎の如く猛然と(イメージです)。

 冷静の面は氷の如くペースを守り(イメージです)。

 笑いの面は太陽の如く食べる喜びを全力で感じながら。


 食らう。

 食らう。

 食らう。


「……すげえ……」

「なんだあいつは……」

「早すぎるぞ」

「それなら最初から言ってよ……」

「こんな奴がいるなんて……」


 観客達も呆然としていた。

 ヘリアディスの手も、いつしか止まっていた。

 そして。

 最後のバゲットが俺の口の中に消え。


「ごちそうさまでした」


 勝敗は決した。

 最後の一口まで美味しゅうございました。


 わぁっ。と観衆が沸き上がる。

 ヘリアディスは半笑いで項垂れる。


「決着! 決着です!」


 仲介役の祝福の声が俺を讃えた。


「ちょっと。そんなに強いなら、最初に言ってよね。損しちゃったじゃないさ」


 テーダが愚痴半分で祝福にやってくる。

 観衆達はもう、俺達の事などそっちのけで大騒ぎになっている。

 その場で酒を酌み交わし、踊り、歌い、同じ鍋のメシを食う。

 熱狂が高まっていく。

 これはもう、物見遊山の騒ぎではない。


 これは、祭りだ。


「損した分は楽しめばいいんですよ。折角の祭りなんですから」


 この世界の在り方を定めた、魔王に捧げる祭りだ。

 奇跡も魔法もあるこの世界で、祭りは物理的な意味がある。

 大平原に湖が湧く。

 芳しい果実を実らせた木々が生える。

 地面を覆う草花が、豊かな畑に姿を変える。


「少しすれば。ここは豊かな農村に変わるでしょう」


 気の早い旅人が、定住するための土地の確保を始めていた。

 ここはフロンティア。

 どこまでも広いこの大陸は、こうやって開拓されていく。

 まるで西部開拓時代のようだ。


「流石だ。正直、ここまでとは思っていなかった。無礼を詫びたい」


 ヘリアディスが柔らかく笑った。

 彼女が見せた幾つもの貌で、その笑顔が一番綺麗だった。


「良いって事ですよ。俺は美味しいメシを食べられた。それだけで満足ですから」


「有り難い。それで、無礼を重ねるようで申し訳無いが、お名前を頂戴していなかった」


 そう言えば、名乗っているヒマがなかったな。


「名乗る程の者でもない。ってさ」

「なんと! それはどういう事だ?」

「そこはほら。察しなさいって話しだよ。名乗らないって事は、それなりのワケがあるって事だろう?」


 いえ、ワケなんてありません。


「それはまことに失礼を! なるほど、それが故に放浪されておられるのですな」


 いえ、別に放浪はしていません。


「そうそう。敢えて詮索をしないのも、いいオンナの条件ってやつだよ」

「まっことその通り。私は何も聞きはしません!」


 聞いてくれてもいいんだけど。

 なんか、そんな雰囲気じゃあなくなっちゃったなぁ。

 まあいいか。

 列車の旅の間の事だ。

 それまでは、俺は名無男ミスター・ノーボディ

 吉祥寺のアラン・ドロンとでも呼んでくれ。

 いや、呼ばなくていい。

 スミマセン。気の迷いです。呼ばないで下さい。


「では改めて。この私ヘリアディス・ル・イエステッドは貴方に敗北した」


 胸に手を当て宣言する。

 祝福と太陽の光を浴びて、白銀の髪と芦毛が輝いている。

 柔らかく、優しく微笑む美貌までもが光を発しているようで。

 それはまるで、一幅の絵画のようだ。


「故に、我が主よ。私の槍を受け取られたい」


 跪き。長旗がついた槍を捧げるその姿もまた。一幅の名画のようで。


「……ちょ、ちょっとそれはどういう……」


「これより、我が身は貴方に捧げます!」


 それがどうしてこうなった?


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